22.遠くの世界の輝く人へ
ろくろく動き回ることができなかった船内を、初めて散策できている。
入ったことがない部屋や倉庫がたくさんあって、ちょっとした探検だ。
今までは自室と甲板しか行き来できなかったから、随分と行動範囲が広くなった。
それもこれもロミアの涙のおかげだ。
ロミアとの永遠の別れで船内ほぼすべての乗組員がセンチメンタルな気分になっている中、の気分は洋上においては過去最高に良かった。
「あんた急に元気になったわね。船酔いはどうしたのよ」
「しなくなった! レベルアップした、みたいな?」
「ふぅん、も成長するのね。でもよかったわ、次はなんていったって海底王国に行くんだから、泳ぎも苦手そうなはどうするのかちょっと心配だったもの」
「泳げないけど? ねえねえベロニカ、上手に泳げる魔法かけて」
「気が合うじゃない。あたしもそういうも教わっとけば良かったってちょうど考えてたの」
「え? てことは私は船でお留守番ってこと?」
船酔いは克服したが、戦闘員不在の空っぽの船を魔物の来週から守りきれる力はどこにもない。
聖水を撒けばいいという話でもない。
聖水は対象者より弱い魔物しか封じることはできないが、残念なことにこの世界においてこちらよりも弱い魔物といえばスライムがカウントされるかどうか、と言ったところだ。
海底王国には全員で行くとばかり思っていた。
私も海底王国で女王様に会いたい、助けて勇者様!
冗談めかしての背中に飛びつくと、不意打ちになってしまったらしくの体が前のめりに倒れる。
勇者様に助けてもらうどころか、勇者様をはっ倒してしまった。
ナギムナーの祭りで美食を堪能し表面積を減らされた胸も復活したので、体圧にが耐えられなかったのかもしれない。
今は取り戻したスタイルよりもの体だ。
は転んだの前にしゃがみ込むと、大丈夫と顔を覗き込んだ。
目の下に隈ができている。
ロミアと別れてから数晩を船で過ごしているが、あまり眠れていないようだ。
無理もない。
ロミアに真実を伝えたのはで、キナイに二度と会えないと知ったからロミアは泡になったのだ。
心優しいが何も感じないわけがない。
いくらロウが気に病むなと何度背中を撫で慰めたとしても、の心はだけのものだ。
が納得できなければ心は沈んだままだ。
「ごめんね、急に抱きついちゃって」
「ううん、僕こそびっくりさせちゃったね。泳げないなら僕が連れて行ってあげるよ。ちゃんも一緒に行こう、女王様のとこ」
「縄で括りつけときゃも潮に流されないだろ。確かどこかにいい感じに強い縄があったよな、あれ使おうぜ」
「カミュもああ言ってるし、僕もちゃん引っ張るから大丈夫だよ。・・・ごめんちゃん、しばらく手このまま借りてていい?」
の肩に置いていた手に、の頬が寄せられる。
柔らかくてあったかくて気持ちがいいねととろんとした声で呟くの瞼は今にも閉じてしまいそうで、今なら寝かせられるかもと心が弾む。
今のに必要なのは充分な休息だ。
がほんのわずかな時間でも休むことができるなら、手どころか膝も胸もいくらでも差し出したい。
は積み荷を縛るための極太ロープを肩にかけ歩み寄ってきたカミュに小声で囁いた。
「どれだけ寝れてないの、」
「寝ろって言っても夜中起き出してるんだよな・・・。ユグノアの時みたいによく眠れる花でも咲かせてくれないか」
「そうしたいんだけど、ここは船だし今から行くのは海の中でしょ? ここんとこ塩気多めだったり土質悪かったりだから、できれば山奥で一花咲かせたいんだよね」
「だよなあ・・・。あ、苦しくないか? もっと雁字搦めに縛るか?」
「カミュちゃん人を縛るの上手ねえ。芸術作品みたい」
「盗品抱えて逃げる時に荷崩れされちゃ困るからな。他の縛り方も知ってるけどの好みも聞かねぇとなあ」
「束縛自体趣味じゃないかなあ・・・」
泳ぎというよりもむしろ、このまま石と一緒に海に沈められそうな気がしてきた。
は何も知らずすうすう眠り続けているの髪を、空いている方の手でそっと撫でた。
縄抜けの術を覚えようと思う。
は泳ぐ必要も縛られる必要もまったくなかった魅惑の海底王国の地面をしっかりと足で踏みしめながら、すうと大きく深呼吸した。
「深呼吸する時緊張したりしないの?」
「できちゃうからしなかった」
「私、時々のことを羨ましく思うわ・・・」
「いつもじゃないんだ。ていうか何百年か前にここ来た人間ってどんな人だと思う? 前の勇者とか?」
御年240歳の半魚人や数百年は優に生きていると自称する人魚たちに案内されながら、海底王国ムウレアの最奥部の宮殿へ向かう。
海底で息ができるのは女王だけが使える魔法の力とやらの恩恵らしく、それだけでも歓迎されているとわかる。
この調子では女王は既にロミアの結末も知っていそうだ。
同胞を泡にせしめた人間として敵意を抱かれていないようで良かった。
マーメイドハープを奏でても、降りた先は呼吸もできない海の底。
話せばわかると伝えようにも、ただただ空気が出ていくだけ。
そんなすれ違いもあったかもしれないと思うと、が考えに考え抜いた選択は間違っていなかったと心の底から安堵する。
文字通りのお手当で多少顔色が良くなったも、色とりどりの魚や人魚に視線を奪われている。
とロウで鼻の下の伸ばし方、形がまるきり同じというスケベぶりを見せつけている。
締まりのない笑みを隠し切れない祖父と孫をニヤニヤと眺めていたは、マルティナにそこそこの衝撃を伴う肘鉄を喰らいうっと呻いた。
マルティナにとってはただのスキンシップのつもりだろうが、彼女の鍛え上げられたしなやかな腕から華麗に繰り出される肘鉄は、こちらにとっては薬草一服分のダメージにあたる。
「女王様の御前よ、礼儀に気を付けて」
「うう・・・はい・・・」
「あの方は生まれついての女王。女王として国を治めるための心得を一度、ゆっくりとお話ししたいわ」
「マルティナは今も充分立派な女王様だと思う・・・」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない、ふふふ」
「ふふ、お待ちしておりました。そしての仲間の皆さん。ようこそ海底王国ムウレアへ。わたくしは人魚の女王セレン」
「だと? 女王さん、あんたなぜこいつの名前を知っているんだ?」
「カミュ、礼儀礼儀」
「ああ? なんだよそれ」
「2人とも静かにして」
「・・・ふふっ、わたくしはちょっとした魔法が使えるのです。地上のすべてを知っていますわ。・・・無論、ロミアとキナイのことも」
きらきらと神秘的な光を放つグリーンオーブを両手に抱えたまま、セレンが悲しげな表情で人魚の人間の恋を反芻する。
陸に上がった人魚は泡となり消える。
その掟を理解していても愛し合おうとしたのはロミアたちが初めてではないという。
人も人魚も、自分にはない輝きを持つものに憧れる。
人は人魚に比べると力も体も弱く、未熟な心を持った危うい生き物だ。
しかし瞬きのような一生の中で何かを求め強く生きる姿は、人魚にとってはひときわ輝いて見えてしまう。
美しいと、愛おしいと知ってしまったら共に生きたくなってしまう。
「許されざる恋は確かに燃える。デルカダールの劇場でも人気の演目だったからその日はめいっぱい弁当仕込んで売り捌いてたもん」
「さまの目が眩んだのは、まばゆいゴールドの輝きでは・・・?」
「元極貧生活者が夢見る輝きって金色なんだよね」
「おい」
「人間の世界のものは本当に美しい・・・。海底には届かない陽の光を閉じ込めたよう。あなたが話す劇とやらもこの目で見ることができれば、どれだけ心躍ることか」
「地上のすべてがわかるなら、デルカダールの酒場の昼に魔法かけることをおすすめします。祝日の演目は外れなしって評判」
「それは名案。わたくしも長く生きてきましたが、このような魔法の使い方があるとは考えもしませんでした」
「ちゃんお手柄だね、すごいや」
「女王様の高貴な魔法がこんなことに使われるってアリなの・・・!? あっでもあたしもそんな風に都会の演劇見れるんなら村のみんなと集まって鑑賞したいかも」
「そこはほら、みんなと共有できるかは女王様にその手のちょっとした魔法の心得があるか次第「あります」だって」
海底王国が世俗にまみれてしまいそうで心配だわ。
マルティナの懸念の声は泡となって消えた。
海底王国にサンゴと泡でできた謎の平面盤が現れたことを見届け、海上へ戻る。
ひんやりとした海の底にいたせいか、洋上に降り注ぐ太陽の光をひときわ強く感じる。
海と地上で住む世界を選べるなら、やはり地上がいい。
セレンと大樹に導かれ示された光の柱を探し再び航海を始めたシルビア号の甲板に寝転がったは、宙を舞う海鳥を数えふわあと欠伸した。
センチメンタルな気分にはならなくなったが、洋上が心地良いとまではまだ思えない。
木や土の温もりが恋しくて今も甲板に寝そべり、心の暖を取っている状況だ。
ナギムナーはいい村だったが、欲を言えばもう少し土と木の臭いがむうむうに詰まった森に行きたい。
日光浴と森林浴をしたい。
草でふかふかの地面に頬ずりしたい。
シルビア号の空きスペースにレッドベリーの木を植えてもいいだろうか。
シルビアベリー号なんて、赤が映えておしゃれ度が増すと思う。
木が欲しいよお、加工されてない極太の原木にしがみつきたいよお。
甲板にべたりと張り付きぶつぶつと呟くに、ちくちくと哀れみと驚きの視線が突き刺さる。
言いたいことと思っていることは重々理解しているが、自我を抑えすぎると体に悪い。
何せこちとらロミアお墨付きの人外なのだ。
常人に耐えられる環境に適応できない可能性はある。
人外と言われたとは口が裂けても誰にも言うつもりはないが。
「ちゃん落ち着いて。ほら、光の柱よ。あの先は内陸部ってこともあるかもしれないわ!」
「でも光の柱は洋上にしかないでしょ。だったらどうせ海辺か、海中か、海のど真ん中・・・・・・じゃないね」
「あらあ、湖みたいね。どこかしら、ここ」
山に囲まれた湖上に移動した船が、ひとまず着陸できそうな地点に錨を下ろす。
カミュやロウと地図を眺めていたが、ちゃんと嬉しそうな声を上げる。
ここ、山の中みたいだよ。
朗報に歓声を上げに飛びつこうとしたは、パンを咥え脇目も振らず全速力で駆けていく少女に跳ね飛ばされ、栄養たっぷりの地面にキスをした。
いっけなーい、遅刻してしまいますわ!