26.センチメンタル・ミッドナイト
仄かに温もりを感じる樹木に触れる。
淡く光るそれから流れ込むのは、旅に出てからの思い出だ。
ここに来るまでに様々なことがあった。
楽しかったことも悔しかったことも、何もかも大切なかけがえのない思い出だ。
それらをまるで夢のように見せてくれるこの木は、まさしく大樹の記憶の器と呼べるだろう。
「あれ、?」
「ちゃん」
寝間着の上から布団を羽織ったが、不思議そうな声で名を呼ぶ。
何してるのと続けながら傍へ寄る彼女に場所を譲るべく、体をずらす。
隣に腰を下ろすなり幹を撫で始めたの横顔を見つめる。
顔色は悪くない。
怪鳥の幽谷で襲われていたからは血色を伺うことができなかったが、セーニャとロウのベホイミで回復したらしい。
幹を撫でている手は、どんな武器も扱ったことがない肉刺ひとつない細さだ。
は戦えない。
戦えない彼女を連れて旅をして、怪我をさせては回復呪文で傷跡を消している。
見た目は綺麗だが、は痛みを忘れていないはずだ。
痛い思いを何度もしているはずなのに、今もは穏やかに笑って幹に頬を寄せている。
このまま彼女が木に飲み込まれてしまいそうな気がして、はの腰を引き寄せた。
「わっ、ど、どうしたの」
「行かないで」
「ベッドに? まだ眠たくないの?」
「ずっとここにいて」
「えーっと」
木から引き離されたが、腕の中で困ったような声を上げる。
腕の中のは、どんな鎧にも耐えられないであろう細さと軽さだ。
こんなにか弱い女の子に無理をさせて、彼女のあっけらかんとした性格と言動に誤魔化されて。
身体を引き寄せたまま抱きしめていたのか、の腕が背中に回っている。
よしよしと、木の幹を撫でるように背中を擦ってくれている。
癇癪を起こした子どもと思ったのかもしれない。
残念なことに反論の余地はない。
「良くない夢でも見た?」
「見てない」
「大樹に何か言われた?」
「何も・・・。この木、今までの出来事を覚えてるんだよ」
「密林の根っこみたい。いい木だよね、私もこれにくっついてると元気が出てくる」
「やっぱりまだ調子悪い? 僕もベホイミを・・・」
「ううんううん、そういうんじゃなくて! 私は、草と木に囲まれてる時が一番調子がいいんだよね。怒られちゃうからしないけど、ほんとはこの木もちょっと味見したい」
木の根っこもその気になれば美味しいって感じられるしと、聞くだけで苦みが走る食レポを語るに駄目だよと返す。
時折聞く彼女の昔話は、あまり楽しいものではない。
ホメロスに会ってからは穏やかに過ごしていたようだが、彼に会う前のはなかなかに壮絶な生き方をしていたらしい。
カミュと知り合ったのはその頃かもしれない。
2人の本当の関係はわからない。
カミュがを好いていることは知っている。
相手はだ、好きになって当然と思っている自分もいる。
「ねぇちゃん」
「ん~?」
「今日、一緒に寝てくれる?」
「が寝るまで子守唄歌ってあげる。夢見の花でもいいけど」
「意地悪だなあ、ちゃんは」
腕の中でが大きく欠伸する。
怪我が癒えたばかりの彼女に夜更かしはさせられない。
明日からはまた旅で、野宿が続くかもしれないとなればには尚更休息が必要だ。
はから体を離した。
おやすみ、いい夢を。
歌うように軽やかに耳元で囁くの声音に、眠気が押し寄せてきた。
センチメンタルな勇者様だった。
天真爛漫なにもセンチメンタルな夜はあるらしい。
夜更けの寄宿舎で年頃の男女が2人並んで話す内容は、恋バナが相場だと思っていたのに。
は草原を先頭に立って歩くの背中を眺め、ううんと首を傾げた。
が何で悩んでいるのかは結局わからないままだった。
かといって、2人の会話を他の誰かに相談するわけにもいかない。
今のはいつものように元気いっぱいに魔物を真っ二つに割っていて、特別声や気をかける必要もなさそうだ。
むしろ、こちらの方がいつものように襲われている。
プテラノドンに追いかけられ、よろよろと逃げた先で座り込もうとして、ズッキーニャの色違いが持っていた槍が尻に刺さった。
武器を地べたに放り出さないでほしい。
見せる機会がないので内緒にしているが、ヒップラインには自信があるのだ。
いっそ色気を磨いて武器にしようかと考える程度には、護身術に飢えている。
マルティナの投げキッスでモンスターが砕け散るのだ。
ミスデルカダールセミファイナリストの様の投げキッスでも、かすり傷くらいはお見舞いできる算段だ。
「様、ホイミしましょうか」
「お尻だからいい・・・血も出てないからいい・・・」
「跡とか残るんじゃないか? 見てもらえよ」
「乙女の柔肌をほいほいと乙女に見せたくないってわかんない? さっき薬草と効き目ありそうな草拾っといたから、後で貼っとく」
「ほう、には膏薬を作る才があったか。わしにも腰痛に効く膏薬をひとつ作ってくれんかのう」
「あ~わかる! このへん高低差多くて息切れしますよね」
ひとたび座れば、次は立ち上がれないであろう筋肉痛が迫っている気がする。
できれば今夜は野宿ではなく宿屋がいい。
かつて人が住んでいた遺跡はあるが、現代人が住まう集落はあるだろうか。
は、痛む尻と腰をさすりながら地面に手を這わせた。
人々の営みを支える大地の温もりを感じた。
大地はなんでも教えてくれる