本命は名前変換できる
来たるべき決戦の日に備え、ゴミを片付ける。
消しゴムのカスひとつでも残しておくのはプライドが許さない。
机の隅から隅まで新品の雑巾で丁寧に拭き、ここ数年のマストアイテムとなった消毒液を吹きかけ乾拭きを重ねる。
ここまでお膳立てしてやる親切な隣人が他にいるだろうか。
いないと断言できる。まず、自分の机上だけでは収まりきれないプレゼントを受け取るイケメンの友人がいることが大前提だ。
つまりこのシーズンだけは唯一にして最高の中学2年生に君臨することができる。
俺こそが世界一気の利く友人だと!
「自分のためにやらないってあたり半田ってほんといい奴と思う。親友やってる私も鼻が高い」
「おうよ、俺は信じてるからな。今年は豪炎寺復権の年だって」
「私もそう思う! 去年は散々だったけど今年の修也はやるわよ。CMデビューも果たして、ますます私の幼なじみらしくなってきたって感じ」
「ワールドカップもあってサッカー自体の人気とか注目度も上がったしな。俺も今年こそはいける気がする」
「それはないと思う」
「そこは私もそう思うで通せよ」
心にもない同意をして、半田が浮かれてしまってはどうするのだ。
期待だけ膨らませて結果ゼロで終わり落ち込む半田など見たくはない。
バレンタインデーとは喜びの日だ。
半田にはこれからも友チョコの下賜に涙を流す勢いで喜んでほしいし、マジチョコがもらえなかったことに対して悲しんでほしくもない。
マジチョコを渡すには相当の根性と勇気が必要だ。
今年こそと意気込んでいる女の子がどれだけいるのかさっぱりわからないが、半田には心当たりがあるのだろうか。
あったらあったで相談してほしかった。
「今年どうすんの? 誰かにマジチョコ渡す?」
「一度くらい渡してみたいかも」
「やめろよ、バレンタインに暴動とか勘弁してくれ」
「こっそり渡せば良くない? 放課後サッカー部室裏に呼び出してさ、鬼道くんはいどうぞってやってみたくない?」
「・・・なんで鬼道?」
「なんか思い浮かんだから」
「そこは名前変換できるわけか、心臓止まるかと思った」
今日は廊下に鬼道が張り込んでいなかったが、念のため再確認のため教室の外に出る。
良かった、今日はいなかった。
万が一いたら、今の会話だけで鬼道の生涯が終わていたかもしれない。
何にせよ、のマジチョコには誰かしらの生命がかかってくる。
今年はやめてほしい。
今年はまっとうな豪炎寺激モテデーを面白おかしく冷やかしていたい。
今年の祭りが楽しみだ。
半田は席に戻るとに声をかけた。
綺麗にしたばかりの机に『の』の字をなぞり続けていたを教室から追い出すと、最後の乾拭きを仕上げた。
クラスメイトがニヤニヤと締まりのない笑みを浮かべている。
彼がどんな表情をしていようと彼の勝手なので関係ないが、ニヤニヤ顔で終始こちらを見てくるから気にせずにはいられない。
良かったね鬼道、楽しみだね鬼道。
近づくたびににやけ顔で謎の言葉をかけられ続け、気分は楽しくもないし良くもない。
一之瀬が何を考えているのかさっぱりわからない。
わからないから不気味で、今すぐその顔をやめろと言いたくなる。
鬼道は終礼後、サッカー部室へ共に向かった一之瀬に詰め寄った。
「この間から何だ、何を隠している。言え、言わないならにやけるな」
「ひどいなあ、俺は鬼道を応援してるのに」
「・・・それとにやけ顔の関連性がわからない」
「まあ、それもそっか。鬼道にとってバレンタインはさんからマジの友チョコもらう日だから・・・。でも今年は違うと思うよ」
「なに?」
「俺、聞いたんだ。放課後鬼道をサッカー部室裏に呼び出して、はいどうぞって」
「・・・まさか」
「俺もまさかとは思ったんだけどさ、さんが半田に話してたってことはマジのマジだと思うよ。豪炎寺相手になら言葉の売買?で鬼道持ち出してきそうだけど」
「一之瀬、それは売り言葉に買い言葉という」
ユニフォームに着替えることも忘れ、ロッカーを開けたまま一之瀬からのリークを反芻する。
鬼道くん、はいどうぞ?
確か去年は部室に入って東方向に80センチ歩いた先、古いサッカーボール置き場の前で渡された。
その前の年は出校日が違ったからという非情な理由で自宅の郵便受けに入れられていた。
そこまで来たならなぜインターホンを鳴らしてくれないのかと首を捻ったが、にとって『鬼道』と書かれた表札はよろしくない思い出を蘇らせる代物なのかもしれない。
家を改築する予定ができた時は、思いきって外壁の意匠を変えたらどうかと父に提案してみようと思う。
「やったじゃん鬼道、いったい何があったの?」
「何もしていない・・・。だからにわかには信じがたい。お前の話を信じたいが、俺は俺自身にそれほど自信がないんだ」
「鬼道はさんの前ではサッカーグラウンドにいないと100パーセントの力を発揮できないからね。大丈夫? 部室裏じゃなくてグラウンドの真ん中にしてくれって頼んでこようか?」
「交渉は決裂するだろうな・・・」
一之瀬との相性があまり良くないことは、サッカー部周知の事実だ。
ずけずけと物を言いをエキセントリックと評した一之瀬のことを、同じく素直で直情的なはやや警戒している。
仲が悪いわけではない。
2人が誰に遠慮するでもなく話し合っているサッカー談義は聞いているだけで為になるし、なるほどと気付かされることも多い。
謎の距離感を利用して一之瀬から不定期配信されている『今日のさん』のカメラアングルは絶妙で、つい先日はそれを保存するためだけにスマートフォンのストレージを拡張した。
せめて画面の中のだけは独り占めしたくてフォルダそのものに鍵もかけているので、彼女が逃げ出したりネットの波に浚われる心配もない。
常に主に影からとの仲を応援してくれている一之瀬に、これ以上負担をかけさせるわけにはいかない。
それにはサッカー部室裏に呼び出すつもりで準備を整えているのだ。
急な予定変更で彼女を困らせるのは本望ではない。
「今回は・・・、今年もいつも通り過ごそうと思う。ありがとう一之瀬」
「同じMFの仲じゃないか! 健闘を祈ってるよ、鬼道」
この時期のMFは各陣営の軍師として活躍する決まりでもあるのかもしれない。
彼自身のバレンタイン事情に何の心配もないとはいえ、一之瀬の献身にはいつか必ず報いようと思う。
鬼道はユニフォームを着ると部室を飛び出した。
体が浮くように軽かった。
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