家族になりたい




 学校の先生はいつも優しいけれど、たまにちょっぴり意地悪だ。
夕香は宿題のプリントを机の上に置き、じっと見つめたまま動かなかった。
早くやらなければならないし提出する日も近付いているが、上手く書けない。
父も兄もフクさんも大好きだが上手く書けない。
どうしようかな、誰かに相談した方がいいのかな。でも誰に?
うーんと考え込んでいると、玄関からただいまと声が聞こえてきた。
次いで聞こえるお邪魔しまーすという声に、夕香は部屋を飛び出した。




「お帰りなさいお兄ちゃん! お姉ちゃんもお帰りなさい!」
「ただいま夕香」
「こんばんは夕香ちゃん、お邪魔するね」
、材料は仕舞っておくから先に着替えてきていい」
「そ? じゃあお言葉に甘えて・・・。夕香ちゃん、今日の夕飯はハンバーグだよー」




 私も手伝うとかいった殊勝な言葉を口にすることなく、がさっさと客間へと向かう。
豪炎寺はが部屋に入ったのを見届けると、今しがた買ってきた夕飯の材料が詰まったエコバックを持ち上げた。
スーパーで買うよりも商店街で買った方がおまけしてくれるとのアドバイスで精肉店へと向かったら、店主の親父はの可愛さにころりと騙され大量におまけをしてくれた。
そのおかげで予定よりも重い荷物を持つ羽目になったのだが、そんなことは荷物を持たないにはどうでもいいのだろう。
労いの言葉ひとつなかった。
かけてもらおうと期待もしていなかったが。




「お兄ちゃん、今日はお姉ちゃんもお泊まり?」
「うん」
「やったあ! ねぇねぇハンバーグ作るのお手伝いしていい?」
「偉いな夕香。じゃあ成形する時に手伝ってもらおうかな」




 と比べて夕香はどうだ。
まだ小さいのにこんなに優しくて可愛くて健気な、非の打ちどころのないいい子だ。
なんかと比べてしまうのも申し訳ないくらいによくできた妹だ。
将来大きくなったらどれだけ素敵な女性になるのだろう。
であれなのだから、夕香は相当の数の悪い虫がつくに違いない。
ああ、今から心配だ。
小学校はともかく、中学からは女子校に通わせた方がいいのかもしれない。
これは父と要相談だ。




「途中まではお兄ちゃんたちがやってるから、それまで夕香は宿題してるか何か・・・」
「ご本読んでるね!」
「一緒に遊んでやれなくてごめん。その代わり美味しいハンバーグ作るから」
「わぁい楽しみ!」




 夕香を部屋に返し冷蔵庫に野菜やらを詰めていると、客間から着替え終わったが鼻歌を歌いながら現れる。
風丸からもらった髪留めはよほど気に入っているようで、今日もつけている。
俺のはどうした俺のは。
なんとなく気に入らなくて冷蔵庫に突っ込んで冷えに冷えていた右手を何の前触れもなくの襟元に差し込むと、がぎゃあと悲鳴を上げる。
悲鳴を上げられることはわかっていたのでそのまましばらく首筋に指を這わせていると、探していたものをようやく見つけ引っ張り出す。
まったく、初めから表に出していればいいものを人を焦らせるとは。




「びっくりしたー・・・。何すんの、ほんっとびっくりしたじゃん!」
「そんなにその髪留め好きなのか」
「へ? うん、好きだよ。髪の毛落ちてこないし、風丸くんからもらったやつだから大切に使いたいし」
「じゃあどうして俺のは隠すようにしてるんだ」
「いいじゃん別につけてるんだから。普通そこは喜ぶとこなのになぁんで修也は怒るの。わっけわかんない」




 とことんまでに男心を理解しない奴だ。
繊細なのは乙女心だけではないのだ。
人の家で別の男からもらった物は嬉々としてつけていて、こちらが贈ったものはつけていないふりをするなど、豪炎寺にとってはの考えの方が意味がわからなかった。
少しくらいは幼なじみを立ててくれてもいいではないか。
立てろと言ったところで、どうせは理解しないのだろうが。
豪炎寺は残りの片付けをに任せると、手早く制服から着替えた。
数分の間に人参やら玉ねぎやらを切り終えている手際の良さは褒めてやってもいい。
の数少ない長所を、豪炎寺はほぼ100パーセント把握している自信があった。




「夕香ちゃんは?」
「本を読んでるらしい。ああ、成形する時に手伝うって」
「ほんといい子だよねぇ夕香ちゃん。修也の妹とは思えない」
「可愛いだろう、羨ましいだろう。俺の自慢の妹だ」
「はいはい」
「お兄ちゃん、お手伝いすることない?」




 本とやらを読み終わったのか、夕香がリビングへと顔を出す。
本当にいい子だ。
さて、何か他に手伝ってもらうことはあっただろうか。
ああそうだ、テーブルを拭いて食器でも出してもらおう。
は台拭きを夕香に手渡すと、お願いしていいかなと頼んでみた。




「テーブル拭いたらお皿出してくれる? あ、届かないのあったら言ってね」
「はーい! あ、そのエプロンお兄ちゃんと色違いのおそろいだ! 可愛い!」
「ありがとう、もうなんでも似合っちゃって困ってるくらいなんだよねー」
「そうなの?」
、俺の手伝いはどうした?」
「ああわかったわかった。ごめんね夕香ちゃん、じゃあテーブルはよろしくね」




 キッチンへと戻り兄の隣に立ったの背中を夕香はじっと見つめた。
なにやら楽しそうに話をしながら手を動かしている。
どんな話をしているのかは聞こえないが、お揃いのエプロンを着て並んで料理を作る姿は、アニメでよく見る新婚さんとまったく同じだ。
話がよほど楽しいのか兄もに笑いかけている。
2人の姿を見て、夕香はふと宿題を思い出した。
に相談してもいいだろうか。
すごく訊きにくいことだけれども、思い切って尋ねてもいいだろうか。




「夕香、ハンバーグ形作っていこうか」
「はーい! あのね、いろんな形にしてもいい?」
「いろんな形?」
「うん! お星様とかハートとか、あとはね・・・」
「じゃあお兄ちゃんもうさぎさんとか作ろうかな」
「うさぎさんは駄目でしょ、食べるのもったいない。熊にしようよ熊」
「なんだ、も欲しいならテディベア贈るのに。俺だと思っていついかなる時も枕元待機させといてくれ」
「いや、今ので充分です。わあ、夕香ちゃん上手だねえ!」




 がちゃがちゃと口論をしている間にもせっせと手を動かしていた夕香の前に置かれているハンバーグを見て、は歓声を上げた。
夕香を間に挟んで大人気なく喧嘩をしていた我が身が恥ずかしい。
上手だねと褒めると、夕香が顔を上げにこっと笑う。
あ、顔に種がついてる。
は背を屈めると、夕香の頬についていたハンバーグの種をそっと取った。



「ほっぺにお肉ついてたよ」



 優しい手つきで頬に触れられ、夕香はきゅんとときめいた。
なんだか今のはすごく幸せだった。
ラブラブしているように感じた。
ちょっとだけ悪戯してもいいだろうか。
夕香はのエプロンの端をくいくいと引っ張った。




「ん? どうしたの夕香ちゃん」
「あのね、ちょっとお耳貸して」
「んー、なぁに?」




 の耳に口を近付けた時に、こっそりと左の頬に種をつけてみる。
兄はの左側に立っているので、こうしていればきっと気付くはずだ。
ぽそぽそと耳元で喋ると、がにやりと笑う。
さっすが夕香ちゃんよくわかってると褒められたがなぜだろう。
髪留め可愛いと言ったのが間違いのように思えてきた。



「何の話してたんだ?」
「夕香ちゃん、この髪留め可愛いねって」
「・・・・・・似合っていることは認める。、ちょっと動かないでくれ」
「へ?」



 豪炎寺の指がの左頬へと伸び、ふわりと撫でられる。
また急襲か、しかも夕香の前でと身構えたが、今回は本当に意味があっての行動だったらしい。
いつついたのかもわからない種の指摘を受け、は首を傾げた。
頬につけるほど飛ばしてはいないはずなのだが、どうなっているのだろう。




「お兄ちゃんもちょっとお耳貸して」
「何だい夕香」
「あのねあのね、今日もちゃん可愛いね!」
「え? ・・・ああ、でもお兄ちゃんは夕香の方が10倍は可愛いと思うよ」




 緩みきった笑みを浮かべる兄の右の頬にも、ちょこんと種をくっつける。
ひそひそ話を終えまな板へと視線を戻した豪炎寺の横顔を、がじっと見つめる。
右側からの遠慮のない視線に耐えきれず、豪炎寺はへと向き直った。



「何なんださっきから人の顔をじろじろ見て」
「いや、改めて見ると修也イケメンだなって」
「俺の顔に何かついてるならさっさと場所を言え」
「何よ、せっかくイケメンだって褒めたげたのに」



 は豪炎寺の右の頬についている種を指で掬うと、そのままそれを豪炎寺の作りかけのハンバーグへとくっつけた。
これだ、見たかったのは。
夕香は兄との間で顔をぱあっと輝かせた。
思わずラブラブだあと呟くと、2人が同時に夕香を見下ろす。
しまった、ばれてしまった。
叱られるかもしれないと思いドキドキしていると、意外にも豪炎寺とは顔を見合わせ苦笑を浮かべた。




「ごめんね夕香ちゃん。喧嘩してるって思って和まそうとしてくれた?」
「お兄ちゃんたち実はそんなに仲は悪くないから、心配しなくていいんだよ」
「まあ、ラブラブじゃあないけど。あと、食べ物で悪戯は駄目だよ」
「ごめんなさい・・・。で、でもっ、ここから見てるとお兄ちゃんたちすごくラブラブだったんだよ! だからね、もっとラブラブしてるとこ見たいなぁって思っただけなんだよ!」




 それはそれで困ってしまうのだが、何を言っても夕香のラブラブフィルターは取り外せない気がする。
いちゃついているつもりはさらさらないのだが、やはりこの年頃の女の子はそういう話が大好きなんだろうか。
もしかして、ずっとラブラブだと思われていたのだろうか。
ハンバーグ成形を終えやりかけだった食器の準備を始めた夕香を、豪炎寺とはぞっとした思いで見つめた。







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