きっかけというのは、些細なものだ。きっとどこにでもあって、ただそれをどうするかは、そのきっかけに出会った人次第、なんだと思う。
なんでもないことだと、なかったことにしてしまうのも。
大切にそっと、その時のことをしまっておくのも。
運命だと位置づけて、大きく行動に出るのも。
全部、そのきっかけを得た人の選択次第だと思う。
自分自身どうだろうか、と考えて、我知らず苦笑を零した。どうだっただろう。自分は一番最初のきっかけを、どう捉えていただろう。







きっかけはささいなこと






 天気のいい日だった。日差しが日に日に強くなる、夏休み前のある日。




「暑いー。暑いよー暑いよー」
「あんたねぇ・・・夏なんだから暑いのは当たり前でしょー」




 さらに暑くなるから連呼しないよーに、という言葉と共にぺしんと頭を下敷きではたかれ、はじとりと友人を睨んだ。
しかしそんな視線に動じるほど、友人との付き合いは浅くない。
うちわ代わりの下敷きをぱたぱたと振って、友人はの視線を受け流した。




「・・・冷たい飲み物がほしい」
「いくらうちがマンモス校でも、校内に自販機はないなー」
「わかってるよそんなの! わーん!」
「泣き真似気持ち悪いからやめて」
「酷いこの鬼!」
「はいはい」





 ぞんざいな態度の友人にパンチを繰り出すが、それは見事に下敷きで防がれた。
憮然とした表情で友人を見上げると、友人は勝ち誇った笑みを浮かべてぱたぱたと下敷きでに風を送った。




「もう帰ってやる!」
「えーごめんごめん。まぁでも、帰るなら気をつけてね」





 立ち上がったに、友人は微笑んでまた下敷きを振った。
荷物をまとめて肩に掛ける。
本当は少しだけ・・・本当にほんの少しだけ引き留めてほしかった気もするが、いつまでも校内にいるから暑いのであって、さっさと家に帰ってクーラーをつければ涼しいのだと思い直した。




「じゃあねー」
「んー、また明日ー」




 そんな言葉を交わして教室を出る。
放課後教室でだらだら過ごすのは楽しくて好きだが、暑い中長時間いるのはそれなりに体力も使う。
部活にも入っていないことだし、今日は帰ってのんびりしよう、などと思いながらは昇降口を出た。
グランドでは今日も運動部が練習している。
雷門中には様々な運動部があり、様々あるが故にグランドは譲り合い精神で使われている。
この暑い中すごいな、思いながらグランドの横を通り過ぎる。そのまま門から出ようとした、とき。




「!」



 すぐ目の前に人の姿。次いで、どん、と肩に衝撃。
しまったと思ったときにはもう遅かった。
どさりと尻餅をついた拍子に、肩に掛けた鞄がするりと肩を離れる。
その拍子に鞄からばらばらと中身が転げ落ちた。鞄のチャックを閉めていなかったのが悪かった。
幸い重い教科書などは弾き出されなかったようだが、小物やペンケースなど軽いものが概ね被害に遭っている。
あちゃー、と思いつつ鞄の惨状を眺めていたら、上から声が降った。




「うわごめん! だ、大丈夫か?!」




 見上げると、サッカー部のユニフォームを着た男子がを見下ろしていた。
心配そうというよりは戸惑った表情を浮かべ、鞄からまき散らされた荷物とを交互に見やる。
それでもその男子は、鞄の中身よりを優先したらしい。すっと手が差し出される。




「ごめんな。た、立てる?」



 差し出された手を取って、は立ち上がった。
盛大に尻餅をついたが、スカートの下にハーフパンツをはいていたので問題はない。
はいていてよかったと心の底から思った。




「ありがとう。こっちも前方確認が疎かだったみたいで・・・。すみません」
「えっ、いやそんな・・・俺の方こそ結構な勢いでぶつかったし・・・」




 ホントごめんな、と言って、の目の前の相手はすまなそうな顔をした。
そしてすぐに散らばった小物類を拾い始める。



「サッカー部?」



 一緒に荷物を拾い集めながら、はそう尋ねた。
相手はそれに頷く。



「うん。あ、俺はサッカー部の半田。そっちは?」
「私? 私は・・・GHQの・・・です」
「じーえいちきゅー?」



 そんな部活あったっけ、と首を傾げる半田と名乗った相手に、はくすりと笑う。


「Go Home Quicklyの略」
「それって・・・」




 少し呆れた顔をした半田に、は悪戯っぽく笑った。
この名前は友人と遊び半分で考えたのだ。言ってしまえば帰宅部だが、帰宅部よりGHQのほうがかっこいい気がする、という理由で使っている。主に友人とのみの間で。




「帰宅部ってことだろ? 日本語使えよなー」




 拾った小物をに手渡しながら、半田は呆れた顔をしていた。
はそれを受け取りつつ笑う。




「ちょっとかっこいいでしょ?」
「そうかぁ・・・?」
「そうだよ」



 落ちたものを全部拾い終わり、鞄を肩にかけ直し、は一つ頭を下げた。



「じゃあ、ありがとうございました。ぶつかってすみません」
「いいって。ていうか、俺の方こそごめんな」
「いえいえ私こそ」
「いや俺こそ」


 顔を見合わせて、笑う。


「いつまでも言い合っててもしかたないか」
「そうだね」
「じゃあな。俺部活戻るわ」
「うんがんばって」
「おー」




 ひらひらと手を振って、半田は走っていった。
その背を見送って、は学校の門を出た。
 
 
 
 
 






 「おはよー。聞いてよ、昨日帰るとき事件が起きてさー」
「事件?」





 翌日学校へ行ってがまずしたことは、昨日のことのあらましを友人に話すことだった。
友人は今日も下敷きをぱたぱたと動かしながらの話を聞いた。
そして聞き終わったあと、


「そりゃ災難だったね」

と一言で片づけた。




「でも、そんな災難でもなかったよ。ぶつかった人いい人っぽかったし」
「あぁ、半田だっけ。うちの学年だよ、その男子」
「え、そうなの」




 そういえば、昨日は苗字を名乗りあっただけで学年もなにも聞かなかった。
まさか同じ学年だったとは。学年を知らないまま若干ため口をきいていたけれど、問題はなかったらしい。



「なんで知ってるの?」


 首を傾げるに、友人は至極ぞんざいに答えた。



「一年の時同じクラスだった」
「へー。いい人?」



 尋ねたに友人は僅かに眉を寄せる。
んー、と呟いて肩を竦めた。



「いい人、っていうか、なんか、ぱっとしない感じ? 良くも悪くも普通っていうかさ」



 友人の言葉に、今度はが眉をひそめた。



「なにそれ。ちょっと酷くない? 普通って悪くないと思うけど」



 それに、とは思う。
半田は荷物を拾うのを手伝ってくれた。
その前に、に手を差し伸べてくれた。
間違いなくいい人だ。




「あの人、いい人だったよ」



 強い口調でそう言ったを見て、友人がにやりと笑った。



「庇うね。まさか一目惚れ?」
「なっ! なんでそうなるの?! そんなんじゃないよ!」
「へぇ。まぁ、いいけど」



にやにやとたちの悪い笑みを浮かべる友人に、はそんなんじゃないとその日一日弁解を続けた。
 
 
 
 
 




 次に半田と会ったのは、廊下を歩いているときだった。



「あ」
「あ」




 お互いにそう言って足を止め、視線を交わして数瞬。
どちらからともなく表情をゆるめる。




「こんにちは」
「おー」
「今日は制服なんだね」
「ってそりゃそうだろ」
「まぁそりゃそっか」




 それにしても奇遇だね、と言ったに、半田は笑った。



「同じ学校で同じ学年なら、会うことだってあるよ」
「それもそっか。にしても暑いねー毎日」
「だなー。夏だし当たり前だけど。この暑さで練習はきついや」
「あぁサッカー部? そういえばこの間はなんで一人で走ってたの? 他の人いなかったよね」



 首を傾げるに、あぁ、と半田は頷いた。
苦笑がその顔に浮かぶ。



「サッカー部はグランドじゃなくて、河川敷で練習しててさ。俺ちょっと部室に忘れ物して、取りに戻ったとこだったんだよ」
「へー」



 サッカー部が河川敷で練習しているなんてことは知らなかった。
サッカーなんて結構な人気スポーツなのに、そのサッカー部がグランドを使えないとは。
うちの学校のグランド事情はそれほど切迫しているのか、などとが思っていると、半田があのさ、とを覗き込んだ。




「怪我とかなかったか? あと、なんか散らばったもの壊れたりとか・・・」
「あぁ私は平気だったよー。荷物も無事だったし」
「そっか。ならよかった」



 半田はほっとしたように息を吐いて笑った。
は思わずまじまじと半田を眺めた。



「? どうかしたのか?」



 の視線に気づいた半田が首を傾げる。
は首を傾げる半田を見て、うーん、と唸った。




「半田くん、いい人だね」
「え、そうか?」
「うん。すごくいい人だと思うよ」
「え、えっと・・・ありがとな?」



 照れたように笑う半田を見ては、どうしてこんなにいい人がぱっとしないと言われるんだろう、と不思議に思った。
 
 
 
 
 



「あ、半田くんだ」



 の口から零れた言葉に、友人が視線を上げた。
は窓からグランドを見下ろしながら口元をゆるめる。



「がんばってるなぁ」


 そんなに、友人は机に頬杖を突きながらにんまりと笑った。



「おやおや。随分と半田を気にしてるみたいじゃない」
「えー。別に気にしてるっていうわけじゃ・・・。ただ、いい人だなーと思ってるだけで」
「ふぅん?」



 にやにや笑う友人を睨んでから、はまた窓の外へ視線を戻した。
今日はグランドを使わせてもらっているらしい。
ボールを追って走っている姿が様になっている。


「サッカーってよくわかんないけど、楽しいんだろうなー」
「なんで」
「だって半田くん、すごく楽しそうだし」



 のその言葉に、友人がくすりと笑った。


「そ」
 
 
 
 それから校内ですれ違うたび、は半田と話をするようになった。
それは特別なものでもなんでもなく、ただの世間話程度のもので。
たとえば天気の話や、授業の話。抜き打ちで小テストがあったとか、最近見たドラマの話だとか。
そんな他愛のない話をするだけの関係。
けれどいつしかの中で、それが日常になっていった。








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