怪しいなとかおかしいなとか、人を疑うことを知らないのだろうか。
美波のことは豪炎寺の大切な幼なじみで実はとてつもなく面倒見が良くて優しい奴程度の認識しかないが、それでも当然心配だ。
彼女の周囲の良識ある友人たちは何も思わなかったのだろうか。
吉良サンライズリゾートなんて、どこからどう見てもあの吉良財閥の息がかかった宿泊施設だ。
サンライズってあれか、おひさまにかけてんのか。



「染岡くん大丈夫? 顔色悪すぎない?」
「そりゃそうだろうよ・・・。壁とか思いっきり見覚えある紫だし・・・」
「すっごく希少な石使ったステンドグラス風の壁なんだって! ほんと綺麗、なんか吸い込まれそう・・・」
「わー! 見るな見るな、見るんじゃねぇ!」
「ほんと染岡くん大丈夫? 吹雪くんに会う前で気が立ってるんだろうけど、あんまり私に心配と迷惑かけないでほしい」
「悪いな葉山・・・。俺は葉山ほど図太くなくてな・・・」
「はあ」



 乗り掛かった船ならぬ飛行機だった。
誘われていたし吹雪の様子でも見に行くかとお小遣いを貯め続け家の手伝いに励んでいたところ、吉良サンライズリゾートの宿泊券を持って現れたのが美波だった。
吹雪との関係や彼の性格をそれなりに話していたので、美波も北国のちょっと変わったイケメンとして覚えてくれていた。
だから、こう見えて優しい美波は「じゃあ染岡くんも北海道来る?」と誘ってくれたのだ。
正直、ホテルの名前を聞いた瞬間やばいと思った。
まともじゃないと心中で毒づいたかもしれない。
それでも美波の善意からの申し出を受けたのは、何かあったとしても守ってやらなければと唐突にDF魂が目覚めたからだった。
人間何がきっかけでコンバートするかわからない。



「白恋中って超雪深いんでしょ。コートこれで良かったかな」
「さあ・・・」
「ちょっとの寒さは修也にヒートタックルさせれば凌げるけど、染岡くんはできないから厚着してきたつもりなんだけど」
葉山、息をするように豪炎寺を贔屓するよな。聞いてるこっちが気恥ずかしくなるぜ」
「有効活用してるだけだよ。サッカーの質問は染岡くんの方がよっぽど親身になって教えてくれたし考えてくれたし、そういうのはむっつり修也はできないしね」



 美波自身には、吹雪への思い入れはあまりない。
泣いていた吹雪に発破をかけたらなぜだか懐かれた、それだけだ。
いつまでもジメジメと泣いていた吹雪はもういないらしい。
最新の思い出が泣き顔でいるのも居心地が悪い。
実はもっとイケメンだったかもしれない。
テレビで観るより実物の方が男前に見える人は案外多いのだ。
吉良サンライズリゾートが手配してくれたタクシーに乗り、白恋中へ向かう。
タクシーから降りた直後飛びかかってきた動く雪だるまに、美波はうぅと呻き声を上げ地面に転がった。
来て早々コートが濡れて、いきなり気分と機嫌が悪くなる。




「お、おい葉山! 大丈夫か!」
「やっぱり葉山さんだ、ほんとに来てくれるなんて嬉しいなあ!」
「雪だるまが喋った・・・」
「ひどいなあ。僕だよ、葉山さんってば照れ屋さんなんだから」
「僕って誰」
「吹雪士郎だよ。地元では熊殺しの吹雪って呼ばれてて・・・」
「こわ・・・。てか背中冷た・・・」



 ぶるりと体を大きく震わせた美波を見下ろした染岡が、慌てて吹雪を引き剥がす。
あのホテルなら美波のために医者の手配もしてくれそうだが、どんな医者を宛がわれるか信用しきれないので危険な目には遭わせたくない。
のろのろと立ち上がった美波の背中に付いた雪を打ち払っていると、吹雪もいそいそと手を伸ばす。
染岡は、なんとなく吹雪の手を遠ざけた。
あの手つきは雪を払う平手の形ではなかった。
ちぇ、と吹雪が小さく吐き捨てていたのでおそらく判断は間違えていないはずだ。



「染岡くんありがと~!」
「いや、それよりも大丈夫か? 冷えてねぇか?」
「めちゃくちゃ寒い」
「えっ、そんなに!? ごめんね葉山さん、僕、葉山さんがそんなに弱いとは思わなくって。ほら、話に聞く葉山さんって傍若無人で熊より強そうだったから」
「私レベルの美少女を熊呼ばわりするなんていい度胸してんじゃない。ていうか誰がそんな言い方したの、一之瀬くん、土門くん、一之瀬くん、一之瀬くん、さあ誰」
葉山さんって鼻が利くね、すごいや! それに怒ってる葉山さんも可愛いね!」



 褒めてくれるのは嬉しいが、今は心に沁みる言葉よりも体中に伝わる温もりが欲しい。
ちょっと待ってねとアイスグランデで校舎へ続く氷の道を創り出した吹雪が、当たり前のように手を差し出す。
スケートとスキーも僕の趣味なんだよと雪も溶けるような朗らかな笑みでアピールされ、頬だけ少し熱くなる。
美波は吹雪の手に自身の手を重ねると、次の瞬間、想像の5倍のスピードで氷上を滑り始めた体に悲鳴を上げた。
アイスダンスの速度ではなく、スピードスケートの速さを体感することになるとは思わなかった。
寒さも相俟って、今なら体のどこかが散切れても気付かない自信がある。



「ちょ、は、はや、吹雪くん」
「喋らない方がいいよ」
「う」
「女の子の体は冷やしたら良くないから、とっておきのスピードで滑ってるんだ。ふふ、葉山さんは風丸くんの疾風ダッシュ好きでしょ」



 見るのは好きだが、体験したいとは思わない。
日々トレーニングで体を鍛え上げている細マッチョではなく、こちらは超絶可愛い一般女子中学生だ。
もはや寒さも感じなくなってきた。
北海道の雄大な雪景色をのんびりと堪能する余裕もない。
吹雪につかまれた腕が唯一の命綱だ。
染岡が慌てて後を追っているが、地上でも特段俊足を誇るわけではない彼に過度な期待はできない。
校舎前に到着したのか、吹雪が急減速する。
遠心力だか何かで、掴まれていたはずの手がすっぽ抜け体が宙に浮く。
もしかしなくてもこの熊殺し、泣かされた恨みをここで晴らそうとしてはいないだろうか。
人と熊、耐久力はどちらが上だろう。
美波はぎゅうと目を閉じた。
幼かった頃の自分に、顔がぼやけてよくわからないが確実に豪炎寺でない男の子が何かを手渡している。
これはもしかして人生のエンドロール。
ていうか走馬灯でも顔がはっきりしない元祖幼なじみマジで可哀そう。
絶望と憐れみと怒りと、様々な負の感情が胸に浮かぶ。
このまま宙を待って校舎の壁に直壁したら呪ってやる。



葉山さん大丈夫? びっくりした?」
「ふ・・・」
「もう喋っていいよ。葉山さん軽かったから浮いちゃったね。染岡くんがワイバーンクラッシュしなかったら、葉山さんがクラッシュしてたかも」
「何か飛んだと思ったら葉山で、シュート技持ってて良かったぜ・・・」
「いやマジでそれ、染岡くんいて良かった。吹雪くんはもう少し私をちやほやして、私熊よりあっさり倒れるから」
「ごめんね・・・葉山さん動ける?」
「・・・・・・」
葉山さん?」



 ワイバーンに咥えられサッカーグラウンドに尻餅をついたが、動ける気がまったくしない。
宇宙人相手にもタイマンを張り勝利を重ねてきたこの美波様が、吹雪の速度超過スケートに戦意を喪失してしまった。
さすがは熊も殺せる顔だ、これに逆らうと次は狼の牙で食いちぎられかねない。
すっかり腰が抜けてしまった美波を、反省したらしい吹雪が不安げな表情で覗き込む。
美波はしょぼくれた犬のような瞳の吹雪の頭をぽんと撫でると、染岡に向かって両腕を突き出した。







「見て見て染岡くん、紫の石お土産にあるよ」「『星の神秘』・・・開き直ってやがる」




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