茄子・鷹・富士より旦那様




 待たされているのには慣れている。
何度名前を呼んでも起きる気配を一向に見せない朝。
どんな髪型にしてもベースは変わらないのに、鏡の前でやたらと悩んでいる出発前。
溺れているか上せたか、うっかり眠っているのではないかと不安になる入浴時間。
それらの時間には差こそあれ、それなりに苛々させられる。
しかし今日は苛々するのはやめておこう。
1年の始まりの次の次の日くらい、心が広く寛大な態度を見せておこう。
下手に機嫌を損ねさせて、1人で行くからさっさと行けばなどと言われて困るのはこちらだ。
着慣れていない振袖で外を歩いて、道端や神社の階段で躓いてみろ。
大変ではないか、考えるだけでもぞっとする。
新年早々そういった無駄な恐怖を味わなくて済むように、豪炎寺はひたすら待っていた。
さすがは娘を溺愛し可愛がりまくっているの母だ。
娘にいつでも着物を着せたい一心で覚えた着付けスキルが遺憾なく発揮されている。
女の子は着せ替え人形というのは事実らしい。
日々、青より赤にしろと服を渡し試着室へ押し込んでいる身としては、納得せざるを得ない。
こっちの方が似合うからこれにしろと言って店員にほんわかした目で見つめられたのは悪い思い出だ。




「お待たせ修也くん。ちゃん、足元気を付けてね」
「ありがとママ! どうよ修也、可愛いでしょ」
「おばさんのセンスがいいからな」
「もう、もっと正直に可愛いって言えないわけ!?」
「正直に可愛いって言って気持ち悪いって引いてたのはどこの幼なじみだ」
「む・・・」
「あらあら2人とも、喧嘩しないの」





 あやすように割って入った母に送り出され神社へと向かう。
段差に気を付けろそこは水溜りがあると隣でやかましく言ってくる豪炎寺が鬱陶しい。
慣れない着物で歩きにくいことを考えてくれているのかもしれないが、少々口うるさい。
ただでさえいつも小姑のようにお小言を言うのに、どうして新年早々叱られなければならないのだ。
つーんと無視して足を踏み出すと、下駄がぐらりと揺れる。
転ぶかもしれないと思いぎゅっと目を閉じると、ふわりと手を取られる。




「大丈夫か?」
「・・・うん」
「だから危ないって言ったんだ。せっかく綺麗にしてもらったのにみんなに見せる前に崩れたらもったいないだろう?」
「それはそうだけど、でも修也ちょっとうるさい。水溜りがあることくらいわかるもん」
「そうだったな、じゃあ水溜りは自分で気を付けろ。あと、神社の近くは人が多いから手を貸せ」
「えー・・・」
「はぐれたらどうするんだ。はぐれたら風丸や木野にも会えないぞ」
「仕方ない、じゃあ手を貸してあげよう」




 神社に着くまでひたすら豪炎寺の天皇杯談義を聞く。
その話は昨夜も電話で30分ほどかけて聞かされたのだが、気付いていないのだろうか。
そこでFWがオーバーヘッドキックで1点を入れてなど、身振り手振りも交えて話している。
学校でもどこでもクールでストイックな性格を売りにしている豪炎寺が、ジェスチャー付きの超饒舌トーク。
豪炎寺くんかっこいいともてはやしているファンクラブの女子たちに見せてやりたい。




「ねえ修也」
「何だ」
「今みたいに手を動かしながらのトークって、円堂くんたちと一緒の時もやってんの?」
「いや? の前だけじゃないかな」
「なんで。やったげなよ、わかりやすいとか言って円堂くん喜ぶよ」
「それこそどうしてだ。いいだろう別に、俺は今はに向けて話している。がわかってくれればそれでいい」
「ああそう。その話、昨日も聞いたからもういいよパス」




 神社へ近付くにつれて人がどんどん増えてくる。
待ち合わせの場所までを連れて無事に辿り着けるだろうかと不安になりながらもの手を取る。
妙に暖かいが、いつまで経っても手を開いてくれない。
ぐぐぐと力を込めると、もその分だけぎゅうっと固く握り締める。
そうして攻防すること30秒、痺れを切らした豪炎寺がの首に冷え切った手を押し当てると、が悲鳴と共に手を開いた。
ぽろりと手から零れ落ちた何かを拾い上げる。
頬ずりしたくなるくらいにほかほかと温かい。
は豪炎寺の手から温もりの正体であるカイロを分捕ると、それを巾着へと突っ込んだ。




「手、繋ぐなら温かい方がいいでしょ。温めてあげたんだから感謝しなさい」





 優しい。
が俗に言うデレ期とやらに突入している。
これは初夢の続きなのだろうか。
今年から優しくなるからよろしくねと他人にしか見せないにっこり笑顔で宣言していた夢の中のが、具現化したのだろうか。
現実とは思えなくて思わず自分の頬をつねる。
痛い、じんわりと痛い。ということは即ち現実だ。
何の変異か病気か、突然優しくなったが目の前にいる。
嬉しいと感じるよりも先に恥ずかしくなってきた。
気の聞いた世辞ひとつ言えない我が口がもどかしい。
額に手を当て自分の世界に入り浸っていた豪炎寺の手を、はぐいと引っ張った。




「ねぇ、早く行こうよ」
「あ、ああわかってる。待ち合わせの場所まで段差があるから気を付けてくれ」
「おう。それにしてもどうしたの修也、夕香ちゃんの前でもないのににやけちゃって気持ち悪ーい」
「・・・やっぱり夢か?」
「何が」
「なんでもない。、今年はもう少し俺に優しくしようとか思わないのか?」
「は? 充分優しいじゃん。電話プラス対面で1時間サッカーの話聞いてあげる子なんてそういないからね」




 恥ずかしく思い、嬉しいと感じたのは間違いだった。
よく考えなくてもそうだ、9年間やってきたスタイルがいきなり変わるわけがない。
豪炎寺は諦めにも近い笑みを浮かべると、ほかほかと温かいの手を引き円堂たちの元へと向かった。







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