嫉妬と羞恥は不溶性
時々思う。
鬼道兄妹―――主に妹なのだが―――の猛アタックを、は迷惑だと思っていないのかと。
大好きな兄を幸せにするために奔走、時に暴走する姿は基本的には見ていると微笑ましい。
これも美しき兄妹愛のひとつで、一人っ子の身としては羨ましいことだと思う。
あくまでも、他人を巻き込むまではの話だが。
「豪炎寺先輩には悪いですけど、今日は本気でいきますからね!」
「あら、いつも本気じゃなかったの?」
「いつも本気ですけど、今日はクリスマスパーティーという大事なイベントなんで、本気は本気でも超本気です!」
超本気ということは即ち、いつもよりも数倍面倒な事件が起こるかもしれないということか。
春奈が超本気になったところで鬼道が素晴らしい結果を出せるわけではないのだ。
むしろ、かけられた期待とプレッシャーのせいでいつも以上に挙動不審になってしまうかもしれない。
そして、挙動不審になった鬼道を案じてが顔を寄せて大丈夫なんて訊くのだ。
ああ、今日これからどうなるのか手に取るようにわかる。
今日もきっと修羅場だ。
夏未と秋はクリスマスパーティーで起こるであろう惨劇を予想しため息をついた。
なんというか、の将来が心配でならない。
「あっ、ちょっと音無さん! お酒は駄目、私たち未成年なんだから」
「大丈夫ですよう、お兄ちゃんがちゃーんと紳士的に介抱してテイクアウトしますから」
「もう・・・。トマトジュースではなくて本物の血が流れるかもしれないわね・・・流血沙汰は勘弁してほしいわ、血は洗い流すのが大変なの」
「夏未さんも諦めないで、音無さんを止めてあげて・・・」
駄目だ、絡みの厄介事を収拾するのは自分では荷が重すぎる。
やはり今日も事態収拾のスペシャリストにやってもらおう。
秋は教室の隅の席で日々がちゃがちゃと騒がしくしているクラスメイトにすべてを託すことにした。
いわゆる丸投げである。
珍しく雪が降り積もった道路を危なっかしい足取りでふらふらと歩き、何かにつまずいて体勢を崩したの腕を咄嗟につかむ。
通い慣れた道でも、雪が積もるとまるで違う光景に見える。
朝寒いと思ったのはこれのせいだったのか。
道理でが布団から出たがらず駄々を捏ねたわけだ。
毛布を引っ剥がしてリビングまで引きずってくるのに10分もかかった。
10分間も付き合ってやるとは、つくづく優しい幼なじみだと思う。
寝起きの気だるげな表情を見なかったことにし、ううんと呻く声も聞かなかったことにし、余計な事を言わずにただひたすら起きようと説得し続けた自分に拍手を送りたい。
「まだ寝ぼけてるのか?」
「ううんもう起きてる。ふおー、さっむいねぇ! 修也ちょっとヒートタックルしてよ」
「が吹き飛ぶからやらない」
「手加減してよ、そこらへんは」
サッカーに関しては本当にとことん融通が利かない男である。
ちょっとおしくら饅頭をしてくれと頼んだだけなのに吹き飛ばすとは、幼なじみを何だと思っているのだ。
ぬくぬくと温まっていた毛布を引き剥がしたのも納得がいかない。
風邪を引いたらどうしてくれるのだ。
外科医は風邪は治せないから医療費が嵩むではないか、まったく。
そもそも、散々自分の部屋には入るなと厳命しておいて人の寝室には無断で入り込んでくるというのは、どういうことなのだ。
入る前にはノックくらいしてもらいたい。
ドアではなく襖だが。
寝室といってもあそこは豪炎寺の家だが。
「でも夏未さんも太っ腹だよね、部外者の私までパーティー呼んでくれるなんて。さすがセレブ」
「・・・音無あたりが強引にねじ込んだ可能性が高いな」
「へ、春奈ちゃん? そっかそっかあ、兄妹揃って優しいなあ」
相変わらず鬼道兄妹の狙いには気付いていないに豪炎寺は苦笑した。
それでこそだ、長年付き合っているこちらの予想も遥かに超えてくる鈍感さだ。
いつからこんなに他人からの好意を感じなくなったのだろう。
昔はもう少しはっきりとしていたはずなのだが。
ああわかった、鬼道の想いが重すぎて、が知る好意のメーターを大きく超えているからエラーを起こしているのか。
きっとそうに違いない。
そして、しばらくエラーのままでいて一向に構わない。
これでも大事に接してきた幼なじみが、ぽっと出の親友に掻っ攫われるのはなんとなく気に食わない。
「おーい」
「呼んだ、修也」
「いや、俺じゃない」
2人で顔を見合わせていると、前方からもう一度おーいと聞こえてくる。
コートとマフラーと手袋の完全装備のいでたちで現れたのは風丸だ。
が風丸くんと声を上げると、風丸が走っていた勢いそのままにに抱きつく。
足元の不安定さから後ろに倒れそうになるの背中を豪炎寺が慌てて支える。
もこもこくすぐったいよう、温かいなぁはとじゃれあっている2人に呆れ、とりあえず引き剥がす。
「ここをどこだと思ってるんだ風丸」
「誰も見てないからいいだろ。なあ」
「ねー!」
『誰も』の中に、の連れは含まれていないらしい。
いないもの扱いをされているのかはたまた数に入っていないのか、非常に複雑な気分になる風丸の答弁だった。
と自分、どちらがおまけなのかわかったものではない。
「2人とも随分ゆっくりだな。早くしないと遅刻するぞ?」
「え、もうそんな時間なの」
「ああ、あと15分しかない。手を出せ、走る」
「えー、誰が見てるかわか「文句言うなら俵抱きする」ずるい、それずるい!」
競争だと言い残し一足先に走り出した風丸の後を猛然と追いかける。
ぎゃあスカートに雪がついたと後ろで騒いでいるが、遅刻して叱られるわけにはいかないので無視を決め込む。
走る羽目になったのも、すべては今朝がいつまで経っても起きなかったからだ。
それを理由として挙げるとまた面倒なことになるので言えないが。
正式な理由を言えないから遅れたくないのだ。
と2人で来て遅れたなど、様々な憶測をされ厄介極まりないではないか。
鬼道からいわれなき嫉妬は買いたくないのだ。
「おせーよ2人とも! うわあ何だそれ雪女ごっこか!?」
時間が迫ってもやって来ないことを案じていたのか、校門で待っていた半田が豪炎寺の後ろにいる白い物体を見て悲鳴を上げる。
転んだのか遊んだのか知らないが、の身体にはびっしりと雪がついている。
風邪を引かないかと心配になってしまうほどにものすごい雪の被りようだ。
は豪炎寺の手を振り解くと、ばしばしと服についた雪を叩き落とし始めた。
手伝った方が良さそうだと思い半田ものコートに手をかけると、あろうことか豪炎寺に手を叩かれる。
何だ今のは。
理由なき暴力は立派な苛めだぞと非難の声を上げると、不必要な接触はセクハラだと返される。
開いた口が塞がらない。
今のどこを見たらセクハラ呼ばわりされるのだ。
服についた雪を払い落としてやろうという親切心だったのに。
「おま・・・っ、俺がいつセクハラした!? 俺がアウトなら風丸どうすんだよ、あいつ!」
「風丸には下心がない」
「し、下心なんて持つわけないだろ、の大したことなさそうな体なんて触って!」
「・・・ちょっと半田、今の聞き捨てならないんだけど。だれが大したことない体してるって、ええ?」
まずい、聞こえていた。
にっこりと笑みを湛えたが雪の塊を持って詰め寄る。
目が笑っていない、瞳の奥に殺意すら見える。
いつから日本は事実を口にしたら罰せられる国になったのだ。
誰がどう見ても思うはずだ、観賞用なのは顔だけだと。
「半田、まだお昼食べてないからお腹減ってるよね? これでも口に詰めて二度とそんな事言おうとすんなバーカ! 行こ修也、半田なんて雪に埋もれちゃえばいいのよ」
雪をべしゃりと顔に押しつけたがむうと顔をしかめて校門を潜る。
容赦なくぶちまけられた雪をかじかむ手で取り除くと、そもそもの原因を生み出した発言者がの後へ続こうとしているのを見つける。
こいつら本当にいつでもどこでも俺を滅茶苦茶に扱いやがって。
元はといえばお前のせいだからなと声を張り上げると、豪炎寺がちらりと振り返る。
同じ男ならばわかるはずだ。
たとえ幼なじみという特殊なフィルターがかかっていようとも、現実は見えているはずだ。
「半田、1つだけ言っておく」
「何だよ」
「お前の目が節穴で良かった」
「は・・・? いや、意味わかんねぇから、なあ!?」
もうやだこの2人。
パーティーが始まる前からこの仕打ちとは、中ではどれだけ大変な目に遭わなければならないのだ。
中では例のごとく春奈が何か画策していたし、調子に乗った一之瀬たちも乱入したら事態はもっと酷くなる。
半田がいるからなんとかなると名言のように円堂は言ったが、そういったことは軽々しく口に出してほしくない。
半田はこれから我が身を襲うであろう苦難を思い、重い足取りで会場へと向かうのだった。
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