うさぎが待ってた終着駅
暇だからといってちやほやされるわけでもなければ、負けたからといってバッシングを浴びせられることもない。
ちょっと旧友のゲームメーカー(仮)とお家ディナーをしていただけで雑誌に載ることもなければ、
そもそも成立していない流星との仲を破局と間違われ、やっぱマジだったんだ、フィディオの片想いじゃなかったんだ!?とカメラに追いかけることもない。
テレビがないこの世界はなんと美しく、そして静かなのだろうか。
は整備もろくにされていないグラウンドでサッカーに興じている無邪気な子どもたちをベンチから眺め、私もここに永住しよっかなあと呟いた。
「ほら、私って自分で言うのも何だけど日本イタリアアメリカ地獄、割とどこででもかなり快適に住めてきたから相当適応能力は高いと思うんです」
「確かにお前なら、どこだろうと自分の世界を作って逞しく生きていけるだろうが・・・」
「でしょでしょー。それにここにいたらおじいちゃんのコーチも受けられるし、てかここにずっといたら私もうサッカーに係わんなくていいんだけどさ」
「わしもお前がいたら、どれだけ生活が賑やかになることやら・・・」
「あ、もしかしておじいちゃんも私にいてほしかったりする? やっぱりねー、ほら私ってサッカーバカに超好かれるから!」
そうじゃなくて、歳不相応の騒がれ方して、マジ天使に看取られて意外とあっさり天に召されるんじゃないかって心配してるんだけどな、わし。
出会ってこの方10年近く前から調子を狂わされたことしかないこの身は、に勝てる要素が見つけられるずっかり怯えこんでいる。
もちろんが嫌なのではない。
がやって来たことでここはすごく明るくなったし、子どもたちもより活き活きと質の高いサッカーをするようになった。
今年のフットボールフロンティアインターナショナルはもらったなと思えるくらいに、実に素晴らしいサッカーをするようになった。
一線を退いても、本人にやる気がなくともが見たチームはそうなるのだ。
こんなテレビもなければ雑誌もろくに届かないような地球の奥地でのんびりしていていい人材ではないのだ。
イタリアで何があってここへやって来たのかは冗談しか言わないし、こちらもよくは知らない。
大差をつけられ負け、責任を取ってクビになったなど嘘としか思えない。
にそんなことができる人物がいるのなら連れて来てもらい称賛したいくらいだ。
称賛するから代わりにに別の仕事先を紹介してやってはくれないかと頼み込むくらいだった。
「あっ、そうだもういっそ携帯も解約しちゃおうかな。どうせここ電波の入り悪いし、基本料金払ってるだけ損じゃん!」
やめろ、それだけはやめてくれ。
外界との通信手段を閉ざしてしまうとわしもお前も、本当にここにいるしかなくなるから。
大介は心の叫びを抑えることができず、辛うじて繋がった身内ホットラインに助けてと叫んだ。
羨ましいと思う。
サッカーについては人にほとんど本気らしい本気を見せていなかったを、本気で落ち込ませている男が心の底から羨ましかった。
いつでもどこでも身も心もふわんふわんで捉えどころのなかったの精神をがっちりとつかんで離さない、けれどもそれに気付いていない奴が羨ましかった。
あんたは、あんたが勝手に想ってる頃からとっくにちゃんから特別視されてたんだよ。
誰も知らない、おそらくは本人も知らなかったうちに一歩も二歩も先へ進んでいたんだよ。
不動は今に至ってもなお気付かない永遠のライバルを忌々しげに見つめ、ちっと舌打ちした。
「似た者同士ってこういうこと言うんだろうな」
「俺とお前は微塵も似ていない」
「俺とじゃねぇよ。鬼道クンとちゃんだよ。何が鬼道くんあったまいーだよ、てめぇも馬鹿だ」
「何とでも言え、俺はを追い詰めた途方もない馬鹿だ」
「ああ馬鹿だ、だから何度でも言ってやる。鬼道クンはちゃんを好きすぎてある意味あの幼なじみバカよりもちゃんが見えてないド近眼の馬鹿だよ」
鬼道は知らない。
知ろうともしなかったのかもしれない。
知ったところで自分ではないと諦めていたから、知らないまま気付かないまま好きでいようと決めていたのかもしれない。
サッカー以外は鈍感で、てんで使えない。
他人の助言すら理解できず、未だにこんな所で油を売っている暇な奴。
不動は鬼道に行けよと言い放つと、がたりと席を立った。
「鬼道クン、あんたは間違いなく馬鹿で、でも、特別だ。俺はずっとあんたを目の敵にしてきたし、追いかけてきた。
ちゃんも、俺を鬼道くん相手でも渡り合えるようになるように面倒見てくれた。ちゃんはあんたを見ていたんだ、あんたが理想だったんだ」
「・・・・・・意味がわからない」
「だろうな」
まだ状況が飲み込めていない鬼道の背中を、のおまじないのようにばしりと叩く。
なるほどこれは元気注入に便利だ。
何よりも、相手に顔を見られなくていいのが最高だ。
不動は訝しげな表情を浮かべたままの鬼道を置き捨てタクシーに乗り込むと、世話のかかる奴らと呟き苦笑した。
突然外が騒がしくなり、昼寝から覚醒する。
テレビの電波もろくに入らない人里離れた山奥が騒がしくなるとは、ついに熊の集団でも攻め寄せてきたのだろうか。
はハンモックからのろのろと降りると、一応は要介護者の大介を見舞いに行くべくグラウンドへと出た。
熊の姿はどこにも見えないが、森の奥にうっすらと巨大な何かがあるように見える。
まさか戦車か、円堂くんのおじいちゃんはまだ世界に喧嘩を売る現役だったのか。
条件反射でアイアンロッドならぬそこら辺に落ちていた木の棒を拾い上げたは、突然ぼふんとタックルを受けううと呻いた。
「さん・・・!」
「うう・・・不意打ちだなんてそんな、最低・・・。てか誰よ、僕」
「俺です! ・・・まさかわからないんですか?」
「わかるわけないじゃん? だって私と僕はそもそも初対面でしょ。なぁにまさかこの子迷子? 迷子に見せかけてうちに戦車仕掛けてきた敵のスパイ的な?」
見たこともすれ違ったこともない訝しげな表情を浮かべている少年を剥ぎ取り、追い返す。
最近見る子どもたちは大介の教え子ばかりで、彼らはまともなユニフォームなど着ない。
いったいどこの誰なのだ、あれは。
ますます持って怪しくなってきた森の奥を睨んでいたは、戦車から現れた人物を目にしてひぃと叫んだ。
嫌だ、会いたくない。
会いたくないというか、合わせる顔がない。
無意識のうちに後退りしていたことに気付き、だったらこのまま逃げ出そうと思い直し逃走体勢に入る。
入っただけで実行に移せなかったのは、こちらよりも遥かに運動神経が良く、そして頭の回転も早い相手にあっという間に抱き締められたからだった。
「ここに・・・・・・いたのか・・・・・・」
「え・・・? あの、いや、えっ・・・?」
「ずっと探していた。いなくなってしまったあの日からずっとずっと探していた。消されたわけではなかったんだな・・・」
「はあ・・・。てかあの、「教えてくれ。どうやったら俺はを守ることができる?」
「あの、呼び方」
「どうすれば消えなかった?」
「ちょっと待って」
「俺はやはり、と一緒にならない方が良かったのか・・・?」
「人の話聞けって言ってんでしょ!」
意味のわからないことを言われ続け、日伊幼なじみ以外から名前で呼ばれ、話を一向に聞いてくれないことに苛立ち腕の中から思いきり頭突きをお見舞いする。
いだっという悲鳴を聞き腕の中から脱出したは、3歩ほど間合いを取ると落とした棒を拾い直し構えたまま何なのようと叫んだ。
「さっきから勝手に感動してしんみりして、何しに来たのよ!」
「・・・・・・サッカー・・・?」
「だったら私そこにいらないでしょ! 何よ何よ、私からサッカー取り上げた張本人のくせして何よ、今更何なの!」
「・・・ああ、そんなこともあったな・・・」
「そんなこと!? そ、そ、そんなことって、わ、私、誰のせいで用無しの価値なしになってクビにされて、も、も・・・やめてよ・・・・・・」
こちらにとっては一大事で人にはできるだけ悟られないように気丈に振る舞っていたのに、一大事となるに至った原因を作った向こうは淡々としている。
これほどまでに世界が変わってしまったのかと思うと、相手にされない戦いを1人で戦っていたようで空しくなる。
誰が悪いわけでもない。
強いて言うならば鬼道のゲームメークに勝てなかったこちらが劣っていたそれが唯一の悪で、あとは誰も何も悪くない。
もう嫌だ、何もかも、もう嫌だ。
は深く息を吐くと、くるりと鬼道から背を向けた。
「どこに行くんだ、もうどこにも行かないでくれ」
「別に私がどこに行こうが鬼道くんには関係ないでしょ。どうせ私なんか用無しの、時代遅れのコーチなんだから」
「違う、は早すぎたんだ。だから・・・」
「早いって何が? 私、さっきから鬼道くんが言ってることが全然わかんない? 消えるってなぁに、私幽霊だったの? 自分が負かした相手に変なこと言うのそんなに楽しい?」
今すぐにでも泣き出したい気持ちを抑えながら返事を待っていると、ぼそぼそとここは3年前の世界かという呟きが聞こえてくる。
だから先程から何なのだ、ずっとだの3年だの、この鬼道は本当に鬼道なのだろうか。
ゴーグルを取っ払ったら鬼道ではない別の人だったりしないだろうか。
取っ払ったところで、取っ払った鬼道の素顔を知らないので確かめる術もないのだが。
苛々する、泣いてしまいたい。
耐えきれずしゃがみ込んでしまおうかと膝を折りかけた直後、こほんと咳払いが聞こえ鬼道がゆっくりと話し始めた。
「・・・すまない、俺も少し気が動転していた。・・・、いや、に会えて本当に嬉しかったんだ。
確かに俺がここへあいつらと来たのはサッカーをするためだったが、俺はサッカーよりもの方が大切だから、を前にして本来の目的を忘れてしまっていた」
「・・・サッカーバカの鬼道くんなのに?」
「・・・人は愚かだから、失ってからしかそのものの本当の大切さに気付けない。・・・俺の前からが消えたのは4度ある。一度目は別れだとは気付けなかったまま見送ってしまった。
二度目は、俺のせいでが隠れてしまった。三度目「もういいよ、私いっぺんしか心当たりないし」そう・・・だろうな」
今度の鬼道はどうやらまともに正直なことを言っているらしい。
鬼道が歩み寄ってくる気配を感じ、はもう一度鬼道を見上げた。
最後に試合で見た時よりも少し大人びているように見えるが、それは彼がスーツを着ているからなのだろう。
と小さく名を呼ばれ、なぁにと答える。
鬼道は、こんなにも柔らかく自分の名前を呼んでくれるのか。
心地良い、ずっと名前で呼んでほしいくらいに気持ちいい。
それになぜだろう、鬼道を見ていると今まで一人で意地を張っていたツケが回ってきたかのように涙腺がどんどん崩壊していく。
鬼道は再び伸ばした手にが強張ったことを見ると、口元をわずかに緩め手を引っ込めた。
「、よく聞いてくれ」
「うん」
「俺はに頼ってしまう情けない男で、がいないとすぐに慌ててしまうような男だから、きっとこれからもに多くの迷惑を苦労をかけると思う。
俺は昔からのことが大好きだったが、への行動はどれも不発か暴発だらけだったからな」
「うん」
「だがこれだけは信じてくれ、誓わせてくれ。・・・たとえ何が起こって何度が俺の前からいなくなろうと、俺は決してを諦めない。
絶対に会いに行く。が心の底から俺のことを嫌うまで、俺は、ずっとのものだ」
「鬼道くん、どうしよう私泣きそう。なんか、プロポーズされるってこういう気分なのかな」
「ふっ、されたくなったか?」
「もう、ほんっとに策士なんだから・・・」
これから先はと俺の問題だから、今の俺にできることはここまでだ。
どこか遠くを眺めてそう告げた鬼道は、ぽんとの背中を叩いた。
背中のおまじないだと言って笑った鬼道の顔が霞んでよく見えない。
やはり鬼道には人間的な意味で勝てそうにない。
は再び森の中へ消えて行った鬼道を見送ると、そのまま地面にしゃがみ込んだ。
今度こそ、ひとりになってしまった気がした。
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