地球の裏からキラーパス




 キックオフ30分前にすべての用事を済ませ、新調したてのテレビの前に座る。
酒もつまみも選手名鑑もタブレットも、観戦中に欲しくなるものはおよそ全てテーブルに並べたはずだ。
今からの時間、一秒たりとも席を立つつもりはない。
円堂は豪炎寺と鬼道のグラスになみなみとビールを注ぐと、それじゃあまずはと声を上げた。



「スッゲーいい試合をお前らと観られる今日に」
「「「乾杯!」」」



 子どもの頃は難しかった夜更かしも深夜の集合も、大人になれば造作もない。
それぞれに仕事があり、家庭もあるので集まることができる人の数は減ってしまった。
それでも今晩こうして3人集うことができたのは何よりも嬉しい。
世界最高峰の選手たちから解説と実況を間近で聞くことができる。
これ以上ない贅沢な時間だ。



「鬼道の解説聴きながら観るなんてスッゲーよな! テレビの解説誰だっけ」
「不動だ。ふっ、あいつの歯に衣着せぬ物言いが一定の人気を得ているらしい」
「へぇ~、解説の世界でもお前らライバルなのか! 俺や豪炎寺には無縁の仕事だもんなあ」
「俺だってやったことはある」
「一度だけだろう。あまりに寡黙だったからマイクがオフになっていたのかと伝説になっていた、あの」
「ま、まあ豪炎寺のファンってどこにでもいるからな! 一言でもいいから聞きたかったんだよ!」



 キックオフの笛が高らかに鳴り、雑談をやめテレビへ視線を移す。
激しいチャージ、軽やかにステップを刻む足元での攻防、ペナルティエリアでのせめぎ合い。
フィールドを駆け回る選手たちの姿から片時も目を離せない。
テレビ前で細かに実況してくれる鬼道はチームや選手のことをよく研究しているらしく、こちらの質問にも淀みなく答えてくれる。
戦術面の解説は現地の公式実況の不動とほぼ同じタイミングで切り出しているのも面白い。
少しでも不動より先んじようとひとりで戦っている鬼道のビール消費量も増えてくる。
そろそろプライベートなキラーパスを仕掛けても良いだろうか。
円堂は空になった鬼道のグラスに豪炎寺持参のワインを注ぐと、嫁さんと問いかけた。



「鬼道、嫁さんも連れて来れば良かったのに。スッゲー賑やかで楽しいことになったのに、俺らには見せてくれねぇの?」
「散々見飽きた顔だろう、俺は別にいい」
「そりゃ豪炎寺は幼なじみだから珍しくもなんともないだろうけど、俺は会いたかったなー。元気にしてるか? 豪炎寺に睨まれるのもあれだからもうって呼ぶけど」
「嫁はいない」
「いやいやいるだろ~。照れるなよ鬼道!」
「嫁は今、現地でサッカー観戦している」
「あ、そうなんだ?仕事?」
「と聞いている。ああ、GPSもこの会場を指してるから間違いはない」
「え、なに? 鬼道、のストーカーやってんの? 知ってんのか、それ」
「ふわっと言ったら笑顔で承諾してくれた」



 出会った頃から不審者とのエンカウント率が異様に高かっただ。
拉致監禁の経験を経て彼女なりに警戒心を育んではいるが、敵がいつも不審者のナリをして現れるとは限らない。
友人ぶった顔をして近付くジョーカー。
幼なじみだから仕方がないよと、治外法権の剣を振りかざし接触を図る白い流星。
カズヤの友だちはミーたちの友だちだからと、いかにも不健康そうな巨大なハンバーガーを手土産に突然現れる自称一之瀬の友人。
不安しかない。
に対する愛情が大きくなるのと比例するように、彼女の身辺への心配が膨らんでいく。
互いの仕事上、常に一緒にいられるわけではないのも不安を増大させる一因だ。
大丈夫大丈夫、みんないい人だから平気平気と笑顔でのたまうの背後で不動がニヤニヤ笑っている光景には何度声を荒げようとしたことか。
決してを束縛したいわけではない。
ただただ彼女が心配だから。
そう彼女に懇願し、鬼道財閥が持ちうるすべての技術を結集させた超高性能GPS機能付きスマートフォンをに与えた。
めちゃくちゃ高そうと無邪気に喜んだ彼女が真っ先に星とサッカーボールを模したストラップを取り付けていたのは、見えていないことにした。
あれは彼女の人生そのものなので、追及することは絶対にできない。



「鬼道、確かには行動が読めないし手札も見せないが、ストーカーは良くない」
「安心しろ豪炎寺。いかに高性能とはいえ多少の誤差はある。ご実家に帰っているはずのがなぜだかずっと隣の家に居座っているように見えるから、具体的な場所までは把握できんさ」
「・・・」
「なんだ2人とも、その顔は」
「いや、鬼道ってほんとに甘いなって・・・」



 本当によく出来た素晴らしい性能だ。
鬼道が隣家の住人を知っているのか定かではないが、知らない方がいいこともある。

 互いに譲らない展開が続いた前半が終わり、ハーフタイムへ移行する。
あれ、ちゃんじゃん。
フィールドから観客席へカメラが向けられている中、不動が弾んだ声を上げる。
フィールド全体を上からよく見渡せる俗に言うVIP席を映していたカメラが、一組の男女へとズームインする。
カメラに気付いた青年が、隣に座る女性の腕をそっと揺する。
嫁、いた。
円堂の呟きに、鬼道が画面に噛みつく勢いでにじり寄った。



『あれはイタリアの白い流星、フィディオ・アルデナ選手ですね?。お隣にいる方を不動さんご存知のようで・・・というか不肖わたくし実況各馬もよく存じ上げております』
ちゃ・・・さんですね。試合終わったら会い行こっかな』
「へぇ~、フィディオといたんだ! 元気そうじゃん!」
「近いうちに家に来るって言ってたし、円堂も一緒にどうだ?」
「なんだよ、来るんだ。行く行く! 現地の感想とか聞きたい!」
「待て豪炎寺、俺も行く」
「なんで嫁が幼なじみと会う現場に夫が乗り込むんだ、別でやってくれ」
「別がないから言っている。嫁、フィディオと一緒に観るなんて一言も言わなかったぞ!!」



 画面の中のがフィディオに体を寄せ、仲睦まじく語らっている。
やがてどこからかノートを取り出したが、サラサラと何やら書きつけている。
カメラに向かってちょいちょいと笑顔で手招きすると、花に誘われた蝶のようにカメラマンがに更に近寄る。



『今度試合のお話いっぱいしようね、ダーリン!』



 英語で走り書きされた文字の隅には、中学時代に愛用していたゴーグルらしきイラストが描かれている。
カメラ終わり、終わりと不動が早口で進行を促している。
カメラがフィディオたちから離れ、他の観客席をピックアップしていく。
鬼道はテレビの前でよろよろと座り込んだ。
嫁、これが全世界放送されてるってきっと知らないんだ。
自分がどれだけ有名人が知らないから、地球に住まう元宇宙人も含めた数十億人の視聴者に向けて惚気話を披露できるのだ。
ほら見ろ、自分のスマートフォンが先程からひっきりなしに明滅している。
通知の数がすごい。
この中にネガティブ発信は何割くらいあるのだろう。
とりあえず不動からの着信はブロックしてもいいだろうか。



「あー面白い! 俺の家で解説させるだけじゃもったいなかった! やっぱはあのくらいじゃないと! 不動も大変だな~この後と反省会かも」
「円堂、楽しんでるだろう」
「楽しいに決まってるだろ。良かったなダーリン、別枠どころか特別枠ご用意されてて」
「聞くものじゃなかったな。にはTPOを考えろと叱っておく」
「豪炎寺・・・、幼なじみだかなんだか知らないが、俺のに厳しくするんじゃない」
「そうやって甘やかすから放送事故が起こるんだ!」



 渋い顔を浮かべている豪炎寺に抗弁すべく、鬼道は勢いよく立ち上がった。
確かにあれは大変なことだった。
だが豪炎寺が叱る必要はない。
まぁまぁ落ち着けってと間に入った円堂に勧められ、不貞腐れながらも再び定位置に戻る。
ぴろりんと軽やかな通知音が鳴り響き、鬼道はスマートフォンを手に取った。
堪らず2人に声をかけ、画面に映し出された画像を見せる。
画面いっぱいに笑顔で例のノートを持つが映っていた。





Next



目次に戻る