地球の裏へ投げキッス
サッカープレイヤーならば誰もが憧れ、一度は降り立ってみたい夢の舞台を踏みしめる。
サッカー選手でもないのにこんなところに来てしまった。
長めの出張だよとオファーされるがままにスーツケースを引きずり、一流選手たちの手に汗握る試合を見下ろしている。
瞬きする時間すら惜しいほど目まぐるしく動く展開を前にしては、せっかく誂えられたフカフカの背もたれも無用の長物だったようだ。
はおなじみの仕事相手へ、視線を向けることなく尋ねた。
「あのFWってどこの所属だっけ。上にいる?」
「ドイツの下部リーグにいるって聞いたことがある。ちゃんは彼が気になるんだ」
「だってすごくない? 良くも悪くも夢の舞台補正かかってるのにあの位置に走り込める度胸と閃き、冴えてる司令塔がいるチームにアテンドしてあげたい」
「じゃあフランスのあそこはどうだろう。ちょっと変わり者の司令塔だけど俺は嫌いじゃないよ」
「確かに、言葉足らずな気取り屋さんにはぴったりじゃん。さっすがフィーくんよく知ってる!」
さすがなのはちゃんだけどなと苦笑するが、その笑みがの視界に入ることはない。
一瞬の動きも煌めきも見逃さず、選手の特性を見抜くの観察眼には相変わらず感服する。
出来上がった選手見るのはちょっとと初めこそ消極的だったも、今やすっかりスーパープレイの虜だ。
サッカー関係者にとって、この時期は何かと忙しい。
各国の解説として招聘されるスター選手。
大会からゲストとして招待される往年の名プレイヤー。
チームから視察の任務を与えられ、ともすればスカウトまで行うスタッフ。
もちろんゆっくりと自宅で観戦することを選ぶ人々もいる。
てっきりも鬼道と解説談義に花を咲かせながら仲良く観るものだと思っていたが、彼女は隣にいる。
嬉しいような、ほんの少し不憫なような。
白熱した前半戦を終えハーフタイムに入ったフィディオは、ごくごくと水を飲んでいるに問いかけた。
「ちゃん、鬼道は良かったの? と誘った俺が訊くのも何だけど」
「振られた」
「えっ?? そんなはずないよ、だって鬼道あんなにちゃんのこと好きなのに」
「それが聞いてよフィーくん、円堂くんと修也がさあ、サッカー観ようぜって鬼道く・・・有人さん誘ったのよ。であの人、わかったって即答。ワールドカップどうするって私と話してる途中だったのに!!」
「守に誘われたら鬼道も断らないよね・・・。でも豪炎寺も少しはちゃんに気を利かせてあげればいいのに」
「修也が私に気を利かせたこと今まで一度もないのに、急にできるわけないじゃん。も~なぁんで円堂くんに負けなきゃいけないの! 今度修也に会いに日本行くから絶対締める、修也なら円堂くん連れて来る」
忌まわしい過去を思い出したがぷんぷんと怒っている。
彼らには彼らの付き合いがあるのだと諭したところで意味はない。
も円堂や豪炎寺、鬼道の絆の深さはよく知っている。
3人が会いたいなら会えばいいと思っているはずだ。
との会話を遮って予定を先に埋めた鬼道には呆れるが、彼の即決のおかげでと観戦できる機会を得られたことには感謝しなければならない。
ただ、気になるのは円堂のことだ。
彼は、鬼道だけではなく本当はも誘うつもりだったのではないだろうか。
仮にそうだとしたら、来日したに説教を受けることが確定している円堂がかなり哀れだ。
豪炎寺のことは別にどうでもいいが円堂は守ってやりたい。
後でこっそり説教予告を教えてやろう。
「そりゃ円堂くんも修也も忙しいから3人揃うことってなかなかないけど、嫁置き去りにしなくてもいいじゃん」
「そうだね、俺だったらそんなことしないけどな。ちゃんと大会観られて俺はすごく幸せだし嬉しいし、このままずっと大会が続いてほしい」
「でしょ~? フィーくんの感想が普通だと思うのよね。はっ、もしかして有人さんも釣った魚に餌与えない人なのかも!?」
「それはどういう意味?」
「自分のものにした後はテキトーな扱いしかしないって意味らしい。カビ頭の親戚がいる緑川くんっていう舎弟が言ってた」
「ちゃんの交友関係って本当に広いよね。宇宙人もいるんだろう?俺もなんだか誇らしいよ」
「まぁね!」
「でも鬼道はそんな人じゃないと思うよ。ほら、ちゃんにすごく高性能の最新式スマホ渡してただろう。俺、そこまでしてちゃんを守ろうとする鬼道には頭が下がるよ。夫じゃなかったら星屑にしてた」
「これすごいよね! 私がどこにいるかすぐわかるから、拉致監禁されても助けに来てくれるんだって!」
ピカピカのスマートフォンに取り付けられたストラップがひらひらと揺れる。
どれだけ年月が経ってもボロボロになっても、肌身離さず持ち続けているの愛が嬉しい。
フィディオは自身のスマートフォンを取り出すと、お揃いだねとにストラップを見せた。
こうして2人で笑い合っている瞬間すら宇宙衛星を通して鬼道に見られているが、視線を感じることはないのでまったく気にならない。
実家に帰った時のがこちらの家へ入り浸っているのも既に知れているのだ。もはや何も怖くない。
「ちゃん、大会が終わったらまた仕事だよね」
「うん。共通の休みってこの大会の間くらいだったしね。あーあ、有人さん私にも時間割いてほしい?」
「困ったね・・・。有無を言わさず強引に時間を奪いたいね」
2人で顔を見合わせるも、名案は出てこない。
の役に立ちたい気持ちは存分にあるが、サッカーではないのでこれといった戦術が思い浮かばない。
ゲームメーカーを陥れる計略は非常に難度が高い。
休憩中のスタジアムが妙に盛り上がっていることに気付き、フィディオは顔を上げた。
巨大なスクリーンへ視線を移すと、驚いた顔の自分が映し出されている。
すぐさま笑顔に変え、隣で俯いているの腕を引く。
あ、いいこと考えた!
カメラに向かってにっこりと微笑んだが、戦術用ノートに手早く文字を書き連ねる。
ゴーグルに見える?
の不安げな問いかけに、ノートを覗き込んだフィディオは満面の笑みで頷いた。
さすがは我が幼なじみ、愛の伝え方が自分とまったく変わらない。
懐かしい。
かつてと再会を果たす前の自身も、勝利後のインタビューでは常にへの想いを告げていた。
が男性カメラマンに向かってにこやかに手招きをすると、カメラマンも笑顔でノートを手にしただけをスクリーンに映す。
『今度試合のお話いっぱいしようね、ダーリン!』
まあ、こうなるに至った理由もじっくりお話したいんだけどね。
カメラが去り笑顔を消したがぼそりと呟き、フィディオがあははと声を出して笑う。
鬼道どころか円堂も豪炎寺も、世界中の視聴者が皆ダーリンとの今後を好き勝手に夢想し、ときめき、あるいは地団駄を踏んでいるに違いない。
のイマジナリーダーリンを自称し始める輩も発生するかもしれない。残念ながら彼女はもう誰かのハニーだ。
「そうだちゃん、スマホ貸して。これ撮って鬼道に送ってあげよう」
「フィーくんナイスアイデア! ふふん、美貌の嫁を恥ずかしがらずに待ち受けにしなさい、ダーリン!」
ファインダー越しに見る笑顔は、他の誰に見せる時よりも一番美しくて輝かしい。
これを独り占めできるのは鬼道だけなんだな、ちょっと羨ましい。
フィディオは慣れた手付きで鬼道にメッセージを送るの横顔をそっとカメラに収めた。
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