あかしろきいろ
いーいお兄ちゃん、ホワイトデーは3倍返しっていうのが常識だから、お兄ちゃんは5倍返ししなくちゃ駄目よ!
春奈は時々、なかなか理解しがたいことを言う。
鬼道家と音無家の教育方針の違いから生まれた齟齬なのかもしれないが、兄妹だというのにこれは辛い。
赤の他人ならまだしも、春奈は血の繋がった妹なのだ。
「なぜ3倍や5倍にして返さないといけないんだ? 見栄を張るということか?」
「お兄ちゃんの質問に答えてあげたいんだけど、そんなことやってる時間ないから逆質問するね。
お兄ちゃんは、さんからバレンタインチョコクッキーもらったのに何返すの? 3倍? 5倍?」
「500倍だ。・・・なるほど、そういうことか」
「そう、そういうことなの。私、さんに欲しいものリサーチかけてきたんだけど、やっぱりさんはさんだった」
「俺たちを困らせるとはさすがはだ。俺を振り回し心をかき乱す女は、後にも先にも1人だろう」
「ジャイアントスイングか砲丸投げ級の振り回され方されてるけど、そのまま飛んで星にならないでねお兄ちゃん」
春奈は取材ノートをぱらぱらと捲ると、サッカー部の備品のホワイトボードにでかでかとホワイトデーさん攻略メモと書き始めた。
いいお兄ちゃんまずはねと、どこから取り出してきたのか指し棒片手に取材報告をする春奈の話に頷き、メモを取っていく鬼道に見かねた半田がぱーんと教科書で鬼道の頭を叩く。
まったく、部室で何をやっているのだこの兄妹は。
余所でやれと喚くと、春奈が不満たらたらな瞳で半田を見つめてくる。
何だ、その文句言いたげな目は。
今は確実に俺の方が正論言ってるってのに、どうしてアウェー感を味合わねばならないのだ。
「そりゃ半田先輩はいいですよ、さんとクラス一緒で席も隣でいつでもくっついていられる親友ですもん。ホワイトデーのお礼なんてすーぐに思いつきますよねー」
「・・・お、おう?」
「半田先輩と違ってお兄ちゃんは必死なんです! ホワイトデーは3倍返し! この常識すら知らなかったお兄ちゃんが、さんとどう戦えと!?」
「戦いって、はボスじゃねぇし・・・」
「3倍とか5倍とかは気にしないと思うけどな。なら何だって喜んでくれるよ」
「それは風丸先輩しかできません!
豪炎寺先輩みたいな幼なじみでもなく、風丸先輩のような聖人君子でもなく、半田先輩のようにはなりたくないぽっと出後発組のお兄ちゃんは常に後がないんです!」
「俺にはなりたくないって、ちょっとそれ失礼だぞやかまし!」
「音無です!」
ぎゃんぎゃんと春奈と口論してはいるが、半田の心中は『やばい』と『まずい』で溢れていた。
ホワイトデーって何だそれ。
3倍返しってマジで実行しないといけなかったのか。
見返りが欲しいとあの時は言わなかったから、てっきりもらいっ放しでいいと思っていた。
そうか、言われずともお返ししなければならないのか。
どうしよう、今日何日だ。
半田は携帯を開き今日の日付を確認した。
まずい、10日だ、もう4日しか残っていない。
いや、今日はもう夕方で14日には何かしなければならないから、実質上あと2日しか準備期間がない。
駄目だ、間に合う気がしない。
義理というか友というか、とにかくラブ方面への本命ではないとわかっていたから、お返しは必要ないと思っていた。
半田は黙々と本を読んでいる豪炎寺に近付いた。
こいつに訊けばとりあえずなんとかなるんじゃないか。
半田の単純は発想は、豪炎寺の俺はもらってないからの一言で撃沈した。
「俺は今年ももらってないからな、従ってに返す必要がない」
「・・・怒ってるだろ、豪炎寺」
「怒ってはいない。ホワイトボードを真っ二つにしたいだけだ」
「それを怒ってるって言うんだよ! ああじゃあえっと風丸! 風丸は何お返しすんだ?」
「お返しってわけじゃないけど、実はこの後と一緒に駅前のカフェでスカイツリーパフェ食べる約束してるんだ。ということで円堂、あとはよろしく」
「わかった! あのパフェってさ、一日限定5食で要予約なのを風丸、バレンタインデーの翌日に予約してたんだよ。すごいよなあ風丸、半田と鬼道も見習えば良かったのに」
「円堂、同じこと俺がやるとはどう思うかわかんないか?」
「いや、だから風丸すごいよ。でも半田、もらってたんだな」
「もらっちゃったんだよ、隣人愛。超美味かった、惚れ薬でも混入されてんのかと思うくらい美味しくて、うっかり親友やめかけた」
「そうですそれです!」
半田の言葉のどこに活路を見出したのか、春奈が指し棒をびしっと半田へ向け大声で叫ぶ。
今度は何なんだ。
俺、何か変な事言ったっけ?
ぐるぐると混乱している半田に構うことなく、春奈がホワイトボードにぎゅっぎゅと文字を書き始める。
惚れ薬と書かれた部分をひときわ強調させ、春奈は得意げに眼鏡を輝かせた。
嫌な予感がする。嫌な予感しかしない。
半田はホワイトボードへと視線を移した。
「お兄ちゃん、惚れ薬混ぜたのさんに渡しましょう!」
「待ってくれ春奈、それはどこで手に入れるんだ?」
「突っ込みいれるとこ間違ってんぞ鬼道」
「どこって、化学室にでも行けばあるんじゃない? どこの学校にもマッドサイエンティストはいるもんです」
「なるほど・・・。しかし、効き目があるのか不安だ。もしの身に何かあれば、俺はどうしたらいいんだ」
「その時は責任取ればいいのよお兄ちゃん」
「その手があったか! さすがは春奈だ、抜かりはないな」
「ちょっ、お前らのこと何だと思ってんだ!? 豪炎寺さすがにこれはまずいって、何か言えよ!」
「俺の父さん、医者なんだ」
だから何だと言いたい。
医者の父を持つからなんだ、解毒剤を用意してくれるのか。
それとも怪しい薬を調達してくるのか。
駄目だ、こいつらほんとのことになると常識も道徳倫理も全部捨てちまう。
やっぱ俺が体張って止めるしかないのか。
俺、こんなことやってる場合じゃないんだけどな。
半田はホワイトボードに書かれたおぞましい文字を消すべくイレーザーを手に取ると、勢い良くボード上に滑らせた。
何するんだと非難する鬼道の声も聞こえなかったことにして、ひたすら文字を消していく。
何をお返しするかちっとも考えていないこちらも酷いが、考えてもろくなことにならない鬼道兄妹の方がよっぽど性質が悪い。
惚れ薬を使って仮にを篭絡したとして、薬の効き目が切れたらどうするのだ。
意思の自由が奪われている間に不本意なことばかりされて、それでが悲しむとは思わないのか。
そもそも、薬なんか使ってを手に入れて幸せになれるのか。
それで満足するのか。
正々堂々真正面からぶつかっていつものように粉々にぶち壊され、それでもまた突撃していくがむしゃらさはどこへやったのだ。
円堂じゃないけど、お前らもうちょっと風丸見習え。
「半田先輩横暴です! こんなにお兄ちゃんと私一生懸命なのに、そんなに豪炎寺先輩応援したいんですか!?」
「まあ派閥があるなら俺そっちだけど」
「派閥? 俺と鬼道に? 何だ半田、それは」
「外野が勝手に騒いでるだけだから本人は気にするなって言いたいとこだけど、豪炎寺お前もうちょっとを意識しろ。ただでさえ豪炎寺派少ないってのに」
「半田が何を言ってるのかよくわからないんだが・・・。それよりも半田、からバレンタインもらったというのは本当か?」
「もらったって言ってるだろ! 虎の子の1個、放課後忘れ物扱いされて」
「・・・奪えば良かった」
「奪う前にねだる努力しろ」
しまった、またホワイトデーとは関係ないところで時間を割いてしまった。
こうやって部室でわあわあと非生産的な話題で盛り上がっていても何も始まらない。
とりあえず今日は家に帰ってにメールして、欲しい物があるかさりげなくリサーチしたい。
春奈のリサーチ結果とやらも気になるが、彼女に情報を乞うのはなにやら癪だ。
どうせのことだ、常人では考えも及ばないようなぶっ飛んだおねだりをするに違いない。
その目星がついているだけでも覚悟はできるというものだ。
何の覚悟もせずのほほんと尋ね、帰ってきた答えに血の気を失くす経験は2度ほどすればもう充分だ。
「まあ鬼道も半田もとりあえずのことは置いといてさ、俺たちサッカー部なんだしサッカーしようぜ!」
そういえばそうだった。
円堂の魔法の言葉ではっと我に返り現実へと戻ってきた半田たちは、渋々ホワイトデーのお返しを頭の隅に追いやると部室を慌てて飛び出した。
バレンタインチョコがもらえようがもらえなかろうが、ホワイトデーに縁があろうがなかろうが、どうせこの時期はに貢ぐのだから周囲の喧騒など関係ない。
豪炎寺は部活帰りに立ち寄った生花店で予約していた花を受け取ると、ふっと頬を緩めた。
日常生活が充実している人は皆、燃え尽きてしまえばいい。
燃え足りないというのならばいくらでも火種を継ぎ足してやる。
きっと今頃半田も鬼道もホワイトデーのプレゼントを延々と考えているのだろうが、こういうのはキャリアがものを言うのだ。
と付き合い始めてまだ月日が浅い彼らに、が喜ぶプレゼントなど用意できるわけがない。
せいぜいマシュマロでもこさえておけばいいのだ。
まあ、マシュマロはマシュマロでも鬼道あたりは少し趣向を凝らして某有名スイーツ店のギモーヴくらい持ってきそうだが、所詮はギモーヴも鶴の子もマシュマロなのだ。
値段と形状に違いこそあれ、ベースはただのメレンゲだ。
ケーキ大好きなが、今更メレンゲごときに喜色を浮かべるわけがない。
その点では、スカイツリーパフェを選んだ風丸はさすがとしか言いようがなかった。
アイスクリームはの大好物だ。
あれ食べたいなあいいなあと雑誌やテレビで見かける度に羨ましがっていたを風丸が知っていたかどうかはわからないが、何にしても風丸のハイセンスなチョイスには頭が下がる。
知らなくて選んだのだとしたら、彼は読心術の使い手なのかもしれない。
もしくは、が単純明快な脳構造をしているのか。
「明日の朝、迎えに行く時に渡して・・・」
今年はなんと言って喜んでくれるのだろう。
去年は確か、明るい色で一足早く春が来たみたいと言ってくれた。
それからしばらく、枯れてしまうまではずっと家の玄関に飾ってあったのを見た時はこちらの心も暖かくなった。
花束の中から一輪選んで押し花にしてくれているのを見た時は、不覚にも可愛いと思ってしまった。
そういう律儀なことができるのならどうしていつもまともにしていないんだと恥ずかしさの裏返しで思わず口走ると、律儀じゃなくてすみませんねと極寒の海の冷たさで言い放たれたが。
去年の教訓を踏まえ、今年は余計なことを言わずにただ渡すだけにしようと思う。
ああ、明日が楽しみだ。
豪炎寺はもう一度花に視線を落とし笑みを浮かべると、自宅の扉を開いた。
目次に戻る