縁儚し恋せよ姫君     6







 最近また、早朝から鍛錬に励む恋人の姿をよく見かけるようになった。
周囲が騒がしくなり戦の様相を呈してきたことをなりに感じ取ったからかもしれないが、それにしては鬼気迫った鍛錬ぶりだ。
いつの間に親しくなり慕われるようになったのか、甘寧子飼いの彼いわくの子分とも剣を交え相対している。
苛烈に見えず、豪放磊落でもないがお世辞にも品が良くなく率直に言えば下品な甘寧軍から姐御と慕われている意味がわからない。
が生まれ持っている品位を貶めることなく、彼らの手を出されない限りは少しもやもやするが我慢して見守っている、
頭ではそう割り切っているのだが気が付けばと鍛錬相手の間に割り込んでいるあたり、やはりを取られるのが面白くないのだろう。
凌統は小さく息を開いているの手から木刀を取り上げると、ぶんと二、三度軽く振った。




には少し重すぎると思うけど。こんなの振り回してたらろくに動けないって」
「重い剣に慣れておけば動きも俊敏になるのと思ったのですが・・・」
「どうだろうね。逆に、手応えがなくて拍子抜けするかもしれない。俺なら下手に重いもん振り回さずに手数で稼ぐかな」





 の剣技は、教えた人物の腕が相当良かったのかとても綺麗な太刀筋を描く。
女性なので重い一撃を与えることはできないが、おっとりしているようで軽い身のこなしをするなので相手の一撃の間に二、三撃を与えることはできる。
凌統はに先程よりも細く軽い棒を渡すと、甘寧の子分を押しのけと対峙した。
に向かって武器を構えると、死の恐怖とは違う緊張で体が強張る。
に負けるとは思わないが、真剣な表情でこちらに剣を向けてくるを見ていると彼女が遠くへ行ってしまいそうな気がして怖くなる。
遠くへ行かないため、遠くへ連れ去られないために強くなろうとしているとわかっているのに、離れてしまいそうで苦しくなる。
凌統は恋人に向かって躊躇うことなく切り込んできたの攻撃をすんでのところで受け流すと、体を捻りながら足技を繰り出した。




「だいぶまともに避けられるようになったじゃん。俺の教え方が良かったのかねえ」
「はい、公績殿がわたくしの鍛錬について下さったからです。公績殿、わたくしは次は、先の戦いのようにはならないと思われますか?
「ならないだろうし、もうあんな目には遭わせない。ていうかは留守番してなよ、戦うことないっての」
「・・・・・・」
「戦ってるも鍛錬に励んでるもどんなでも好きだけど、でも戦場に出ればいやでも怪我はする。俺はに痛い思いはさせたくない」
「・・・申し訳ございませんと、先にお伝えすべきでしょうか・・・」
「へ? ちょっとどこ行くんだい、また俺の知らないとこで勝手に何か企んでるのかい!?」





 これはもう決まったことだ。
こうすることが孫権軍の、ひいては凌統の平穏に繋がる。
陸遜の他に火計に長ける者がいないのであれば、多少は素養がある自分が出るべきなのだ。
は凌統の前から辞すと、軍の一切を任されている陸遜待つ会議場へと向かった。







































 期待のすべてに応えられる将になりたかったが、今回は間に合いそうにない。
策の発動という大役を任されたのだが、肝心の策を巧く発動させられる自信がどこにもない。
朱然は錚々たる将軍が集う会議場で、自身に課せられた使命の大きさを感じ緊張していた。
失敗は孫呉の敗北に繋がる。
代役もいないため、失敗は許されない。
緊張の糸を解そうとしてくれたのか甘寧が背中を叩いてくれるが、痛みしか感じない。
蜀軍の万余の兵を一網打尽にする火計が本当にできるのだろうか。
不安な表情を看て取ったのか、陸遜が名を呼ぶ。
叱責されようが、やったこともない火計が上手くいくわけがない。
朱然は顔を上げると、存外穏やかな表情を浮かべていた陸遜にぞくりとした。





「この作戦の成功はあなたにかかっています」
「はっ・・・。あの、本当に私で良いのでしょうか。甘寧殿や凌統殿など、もっと適任の方がおられるのでは・・・?」
「私は朱然、あなたに託しました。その意味をわかっていただきたいです」
「それはもちろん心得ております。しかし私には!」
「火計が不安ならば彼女を使いなさい。自室を灰にする程度には火計に長けた、私の倒すべき身内です」





 陸遜の主観にまみれた紹介を受け、部屋の奥からしずしずと若い娘が姿を現す。
朱然の前で立ち止まり緩やかに頭を下げた娘に、少し離れた場所からがたりと席を立つ音が聞こえる。
騒音が聞こえなかったのか、素知らぬ顔でわたくしがお供致しますと告げたに朱然は今にも泣きそうな声を上げた。




「陸遜殿、こ、この子は!」
殿と言います。なりはこれですが、自室を灰にするほどに容赦のない娘なので火計は彼女に任せて下さい」
「無理です!」
「・・・無理?」
「こんなに美しい殿を戦場に、しかも私の傍になんて無理です! 危険すぎます!」
「そうだね軍師さん。・・・これはいったいどういうことか今すぐ説明してほしいんだけど」
「凌統殿、私語は慎んで下さい。いいですか朱然殿、先程も言いましたが殿は見てくれこそ美しいかもしれませんが情け容赦のない苛烈な方です。
 傷つけることが怖いというのであれば傷つくことがないように策を成し守って差し上げればいい、あなた自身が」
「武人たるもの、自分の身は自分で守るものと心得ております」




 ですからどうか、朱然殿は任務の遂行の身をお考え下さい。
朱然の混乱も気にすることなく淡々と言葉を続けるに、凌統が鋭い声で名を呼んだ。







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