恋人は天使か悪魔 3
星彩の告白に、はそっかと返答することしかできなかった。
荊州の関羽が1人で曹操と、表面上は友好関係を見せている孫権に睨みを利かせていることは知っていた。
若いとはいえ、劉備や諸葛亮の下について実戦を経た関平の救援は父としても、将としても重宝されるだろう。
だが、軍の組織や派遣と恋心は関係ないのだ。
一緒にされたら困るくらいである。
関平の実力を買われた上での移動は、将としては喜ばしい。
しかし女として、恋人としては寂しい限りだった。
「星彩は、関平殿と離れることが不安なの? 自分が行けないとこに行って関平殿に何かあったらどうしようって思ってる?」
「・・・関平の実力は私も知ってるから・・・・・・、向こうに行ってもきっと関羽様を盛り立ててくれる・・・。でも・・・・・・、やっぱり少し不安・・・」
「遊びに行くんじゃないもんね。・・・私だって、趙雲殿を笑顔で戦場になんてとても送り出せない。できることなら、私も一緒に戦場行って見てたいくらい」
同じ戦場に立っているからこそ、その場所の危うさを知り不安に駆られる星彩と、何もできずただひたすら無事を祈るしかない自分。
どちらも、本人の前では無力なのだ。
本当に危険が迫った時にも助けに行くことができない。
いつだって、後ろから見守っているだけ。
戦場に赴く男を思い胸を痛めているのは星彩だけではなかった。
力になれず、下手に思いをかけてばかりの自分がもどかしくてたまらない。
と星彩は、互いの曇った顔を見つめあった。
趙雲はよく動き回る恋人を探し、当てもなく市場をうろついていた。
これからは戦の準備も始まり何かと忙しくなるから、彼女と会う機会も減ってくる。
戦のことは馬超たちからも聞かされるだろうが、趙雲は恋人としてきちんとその旨伝えておかなければと思っていた。
いや、自分の口から伝えておきたかった。
様々な意味で戦争には慣れているだが、どんな反応を寄越してくれるのか趙雲は全く見当がつかなかった。
嫌だと駄々をこねられはしないだろうか。
泣き出したりはしないだろうか。
もしかしたら、頑張って下さいと笑顔で送り出してくれるかもしれない。
劉備軍のためにも、自分を案じてくれる女性のためにも趙雲は命を賭して戦うと誓っていた。
「あ、殿・・・!」
通りの向こうから、何やら籠いっぱいの草を抱えたが歩いてきた。
ほんの少し元気がないように見える。
何か困ったことがあったのではないかと趙雲は不安に駆られた。
趙雲はぼんやりと歩いている彼女に歩み寄ると、殿と声をかけた。
「買い物の帰りなのか、殿」
「そんな感じです。趙雲殿は軍議帰りですよね」
「あぁ。次は大きな戦になる。殿も他の将軍方も戦意は非常に高いのだ」
「そうですか・・・・・・」
どこか寂しげなに趙雲は眉根を寄せた。
具合が悪いのではないかとか、変に勘繰ってしまう。
趙雲は用途不明の大量の草が詰め込まれた籠を取り上げた。
草だからと高を括っていたが、意外にもずしりと重たい。
こんなものを女性に持たせるとは、馬家の使用人は何をしているのだ。
いくらが余所の娘と育ちも行動力も違うといえど、何でもかんでも放っておいていいはずがない。
「いいですよ趙雲殿、私このくらい持てますって」
「せっかく男手があるのだから、こういう時は素直に頼ってほしいものだな」
「ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えて頼んじゃいます」
「そうだ、遠慮などしてほしくないのだ、殿には」
男というのは頼られれば頼られるほどに嬉しいものなのだと言うと、は照れ臭そうに笑い俯いた。
彼女の初々しい態度が可愛らしくてたまらない。
できることならばずっと一緒に歩いていたかった。
それができないのは非常に悔しい。
「この草はどうするのだ?」
「食事にも使うし、薬にもするんです。結構効くんですよー」
並んで歩いていた2人に、どんと小さな何かがぶつかった。
下の方からあいたっと叫ぶ声が聞こえる。
見下ろしてみると、元気に走り回っていたらしい少年が地面に転がっていた。
押さえている膝からは血が滲み出ている。
「あらあら、元気なことで」
「大丈夫か? 男が膝を擦り剥いたくらいで泣くんじゃない」
「でも痛いですよやっぱり。ほら、怪我したとこ見せてみて?」
は手持ちの袋の中から瓶を取り出すと、少年の前にしゃがみこんだ。
砂にまみれた膝を趙雲から受け取った水で洗い流し、傷口に瓶の中身を塗りたくる。
草か葉っぱを潰したような緑色の練り物がいかにも沁みそうだが、よく効きそうに見えた。
は手当てをした少年の背中をぽんと叩きにこりと笑った。
「ちゃんと前見て走らなきゃ駄目よ? 今度から気を付けてね」
「うん! ありがとうお姉さん!」
立ち上がり再び元気良く駆け出した少年を見送っていると、良い心がけだと背中越しに声を掛けられる。
隣で一緒に少年を見送っていた趙雲の顔に緊張の色が走る。
いきなり顔色変えちゃってどうしちゃったんだろうか。
街中で知り合いに会うくらいよくあることだ。
毎度毎度そんなに血相変える必要はあるまい。
趙雲につられるように振り返ったは、意外な人物の登場に目を見開いた。
あの大きな耳のおじさん、忘れもしない。
兄や従兄とはぐれて1人あてもなく彷徨い川下りをしていた時に助けてくれた、この国で一番偉い人ではないか。
は素早く身支度を整えた。
万が一馬超の親族だと知られた時のためだ。
兄の立場もあることだし、時事で妹が醜態を晒して兄の株を下げるわけにはいかない。
しかも劉備の隣にいるのは兄たちが苦手だと常日頃からぼやいている軍師諸葛亮その人ではないか。
どうしよう、馬ばっかり走らせて高尚な学問や戦術なんておよそ見たことない私も、この軍師はきっと苦手だ。
趙雲殿、できる限り私の紹介はしないでくれ。
恋人としては少し、いやかなり悲しい決断だが、この際通りすがりの町娘とかにしておいてほしい。
「子どもも大人も大切なかけがえのない民だ。あのような腕白な子どもにも分け隔てなく接するとは、さすが趙雲の良き人だな」
「と、殿・・・、いきなり何を仰るかと思えば・・・」
「隠さずともよい。そなたの隣にいる女性は恋人であろう? ・・・どこかで見たこともある気がするが」
趙雲はちらりとを見やった。
一体、どう説明すれば彼女は満足してくれるのだろう。
きっぱりと恋人と言いたいのは山々だが、それが周囲に知れて酒の席でからかわれる目には遭いたくない。
第一、馬超が聞いたら決闘を本気で申し込まれかねない。
やはり、ここは素直に馬超の妹とだけ紹介しておこう。
それすらが拒んでいるとも知らず、趙雲は劉備と諸葛亮にを引き合わせた。
馬超の妹と聞いた途端に劉備が相好を崩す。
諸葛亮も興味深げにを見つめ始めた。
「やはり、どこかで見たと思っていたのだ! いつぞやのどかな村落で出会ったものな。元気そうで何よりだ!」
「・・・その節は大変お世話になりました・・・。今も、兄たちがお世話になっております」
「さすが馬超の妹御、正義の志とやらはしっかりと受け継いでいるのだな」
この言葉にはなんとも返答しにくかった。
は曖昧に笑うと趙雲に視線で救援を求めた。
劉備との会話は平気なのだ。
気になるのは、先程から痛いほどに感じている諸葛亮の目だ。
じっくりと品定めされているようで戸惑った。
「名は・・・、殿と仰るのですね。その籠の中身と瓶は何ですか」
「食事に使おうと思いまして・・・。あと、薬でも作ってこうやって保存しとこうかな、と」
「ほう、あなたは医学の知識がおありなのですね」
「そうなのか? 素晴らしい才を持っているのだな」
「いえ、医学なんて・・・。山暮らしが長かったので自然と知るようになっただけです」
と薬の原料となるものを見つめていた諸葛亮の口元がわずかに綻んだ。
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