乱世的恋愛術







 は、官渡の戦いに従軍し無事に帰還を果たした異母兄の元へと向かっていた。
聞くところによれば、兄はとてつもない戦利品を得たという。
曹操軍全体としてではなく兄個人が得たものだというのだから興味深い。
は兄に真相を尋ねるべく、つい先日まで戦闘が行われていた回廊を通り抜けた。
途中でちらりと見えた、黒焦げになった自室は気にしない。
今になってみれば明らかに火加減を間違えたとしか思えないが、孫策軍の将兵たちを足止めすることはできたので、仕方がないということにした。
父は苦笑しきりで、いくらかお叱りを受けはしたが。






「わたくしが来たと、兄上に取り次いでもらえますか」




 兄の居室の前に控えている衛兵に取次ぎを頼む。
いくらか経たないうちに入れとの声が返ってくる。
部屋に入ったは兄の無事を確認し、兄の隣を見て固まった。
住んでいる場所が後宮などに近いので、日頃から美女は見慣れている。
しかし今日初めて見た女性は、今まで見てきたどんな女性よりも美しかった。





「いかがした、
「・・・いえ、あまりにもお美しい方がいらしたのでつい・・・。ご無事で何よりでございます、兄上」
「うむ。そなたも随分と火遊びをしたようだな。あまり父上や私を困らせるな」
「父上からも厳しくお叱りを受けました。反省しています」





 母が違うものの、兄はよく自分を可愛がってくれる。
もっとも、可愛がるといってもベタベタに甘やかされたことはないのだが。
人は、曹丕様は冷たい印象を周囲にお与えになるという。
しかし、はそうは思えなかった。
兄は、本当はとても優しい人なのだ。
隣にいる正体不明の美女に対しても、優しく笑いかけているではないか。
美女、と思いははっとした。
この女性はいったい何者だろうか。
どこでこんな絶世の美女を見初めたというのだろう。





「甄だ。私の妻になる女だ」
「兄上の、奥方に・・・?」
「そうだ。先の戦いで刃を交え、我がものとした。甄、この娘はといって、私の腹違いの妹になる」
「まぁ、なんて可愛らしい方でしょう!」





 にっこりと微笑まれ顔を覗き込まれたの頬が赤く染まった。
こんな美人に可愛らしいと言われてもお世辞にしか聞こえない。
同性の自分から見ても美しいと思えるのだ。
兄が彼女に心惹かれた気持ちはよくわかった。





「甄、は先日孫策が差し向けた兵との戦いで、自室を灰にしてしまったのだ」
「見かけによらず情熱的な方なのですね。ますます好きになりそうですわ」
「兄上、わたくしの部屋は灰にはなっておりませぬ」
「ですがさすがは我が君の妹君ですわ。さん、私も燃やし尽くすほどに熱い炎は好きなのですよ」





 今度美しい火加減というものを教えて差し上げますわ。
それからより可憐に見えるような、殿方を惹きつけるお化粧の仕方も。
あぁ、わたくしに妹ができたようで楽しゅうございますわ我が君!
をうっとりと眺めながら、甄姫は紅色の形良い唇を綻ばせた。
それを見つめている曹丕も機嫌が良さそうだ。
夫婦仲が良いのはいいことである。
何やら己が身も巻き込まれているような気がするが。






「義姉上は、兄上と戦った末にこちらにいらしたのでございますか?」
「えぇ。・・・わたくしはかつては袁紹が次男、袁煕殿の妻でした。けれども我が君の逞しさに惹かれ、今はこのように」
「・・・不思議な縁で結ばれていたのですね、お2人は」






 正直なところ、敵同士でありながらも愛しい人の元へ行けることが羨ましかった。
囚われの身になるでもなく何の障害もなしに夫婦になれた兄たちが、羨ましくてならなかった。
孫策軍と、凌統と戦った時、兄たちのようにはなれなかった。
いや、本当はなれたかもしれなかった機会を、自ら捨ててしまったのかもしれない。
あれだけついてきてくれ、俺が何とかするからと言ってくれた彼の申し出を、今はその時ではないと言って切り捨てたのだ。
今は無理、と勝手に決めつけていただけなのかもしれない。
一度は振り切ったはずの未練が蘇ってくる。
やはりあの時、多少の無茶を覚悟した上ででも、彼について行くべきだったのか。
向けられていた笑みが急に寂しさを含んだものになった気付き、甄姫はの目線に合うように体を屈めた。
彼女に何があったのかもちろん知る由もないが、なぜだろうか。
とてつもなく苦しい因果を背負っているように見えてならなかった。





「そのように悲しいお顔をなさらないで」
「え・・・? わたくし、そのような顔をしていたのですか?」
「・・・気付いておられないほど、心の奥深くに何かを仕舞い込んでいらっしゃるのね」





 立場が立場だから、何か悩み事を抱え込んでいても迂闊に人に喋れないのだろう。
生みの母も幼い頃に亡くし、そのおかげで卞夫人に育てられたと曹丕に聞いた。
いくら多くの異母兄弟がいても、結局は1人で抱え込むことが増えてしまうのかもしれない。
甄姫は不思議そうな顔を浮かべて自分を見つめている義妹にそっと笑いかけた。






さんにも、いつか必ず切れることのない縁で結ばれた素敵な殿方が現れますわ。わたくしの我が君のように、必ず」
「父上が近いうちにも降嫁の話を出してくるであろうが、あまり気にするな。私は良き人材は自分で探す」
「あぁっ、なんとご立派なお言葉! それでこそ我が君ですわ!」
「兄上は、本当に素晴らしい奥方をお持ちなのですね。わたくしも義姉上のような素敵な妻になりとうございます」








 凌統とはきっと、何人でも断ち切ることができない縁で繋がっているはず。
あの時は無理だったが、次に会う時は必ず一緒になれる。
乱世は人を引き離すのが得意だがその一方で、誰もが予想し得なかった奇跡のような巡り会わせを与えてくれもするのだ。
大丈夫、兄もやってのけたのだ。
自分が見込んだ男である凌統だって、案外さくさくとやってくれるかもしれない。
一度結ばれれば、今の甄姫のように過去に囚われることなく幸せにやっていけるに違いない。






さん、あなたも我が君のように素敵な殿方を見つけるのですよ」
「はい。そのためにも義姉上について女を磨くのですね」
「ふふふ、聡明な方」





 この年若き姫君が何を思い悩んでいるのか、おそらくそれを知ることは当分ないだろう。
しかし女としての幸せを実現するためにも、この可憐な姫君を徹底的にいい女に育て上げようと決心した甄姫だった。








あとがき
兄上夫婦と初顔合わせしてみようというのが前半のテーマです。
ヒロインと凌統もなかなか奇妙な状況下で恋愛してるけど、よく考えれば曹丕夫婦も似たようなものじゃないか、と。
身内であんなことやってのけた人がいるんだから、きっとヒロインもできるはずです。
ヒロイン、やればできる子です。



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