女狐の艶笑 4
部下というよりも子分、いや、下僕がなにやらかさこそと動き回っている。
与えた仕事をきちんとやってくれさえいれば、私事にまで口を挟むつもりはない。
しかし、今回はどこかきな臭い。
馬岱はの命令を受けあちこち嗅ぎ回っていたらしい楊丹を捕まえ、尋問していた。
が絡むと、些細な出来事もたちまちのうちに大事件へと発展する。
油断はできなかった。
「あの子は何をさせてるんですか」
「いや、その・・・」
「言いなさい。あなたを雇っているの私と従兄上なんですよ」
「・・・その、趙雲様にお嬢様でない別の女の影がちらついていたんです。それで、気になるから女の素性を洗ってこいと」
「まったく、だから趙雲殿はやめときなさいと常日頃から言っているんです。・・・それでどこのどいつですか、うちのを悲しませている女というのは」
「それが・・・・・・」
楊丹の報告を受けた馬岱の目が一瞬見開かれ、そしてすぐにすうっと細められた。
は趙雲と一緒に北の外れにある泉へと遊びに来ていた。
心がもやもやすることはあったが、それでも大好きな人と一緒にいると嬉しくなる。
この間の女は趙雲が言うとおり、ただの昔なじみだったのだ。
友人に妬いてしまうとは、意外と心が狭い女だったのか。
恋人なのだからもっとどっしりと構えていていいのだ。
そうしていいのが恋人なのだ。
あれから楊丹も特に気になるようなことは言ってこないし、すべては思い違いだったのだ。
趙雲が美女と浮気をするなど、あるはずがないのだ。
は半ば自己暗示をかけ、そう信じていた。
好きな人を疑うのも気分が悪いし、気にしなければどうということはないのだ。
「おお、料理の腕を上げたな」
「そうですか!? この日のために特訓したんです。喜んでもらえて良かったです」
「特にこのシュウマイ、ぴりりとした辛さが私は好きだ」
「あ、それは隠し味なんです。そうやったら味に締まりが出るって料理番に教えてもらって」
「は勉強熱心だな」
褒めてやると恥ずかしそうに笑うを見つめ、趙雲はふっと頬を緩めた。
先日は珠蓉のせいであらぬ誤解をされ疑いをかけられてしまったが、疑いが晴れたのか今日のはいつものように明るく元気な姿を見せてくれる。
やはりはこうでなくてはでない。
趙雲はの復調に心から安堵していた。
「子龍殿、すみませんでした」
「何がだ?」
「その、この間子龍殿を疑うようなことを言ってしまって・・・」
「あれは珠蓉を避けられなかった私も悪かった。だが、あなたは私のたった1人の恋人なのだから、もっと自分に自信を持ってほしい」
「でも、あの人私よりも美人だったし色っぽかったし・・・。子龍殿はすごくいい男なんですから、子龍殿ももう少しそういう自覚を持ってもらわないと不安です」
誰にでも慕われてるところもまた素敵なんですけど、少し寂しいです。
そう続けたを、趙雲は思わず抱き寄せた。
可愛い、可愛すぎるこの娘。
普段は兄に負けず劣らず勝気でやんちゃなのに、ふとした時に見せる弱々しさがたまらない。
こんなにも愛らしく健気な恋人がいるのに他の女に現を抜かす男がいるのだろうか、いや、絶対にいないだろう。
趙雲は幸せだった。
この幸せがずっと続いてほしいと心の底から願っていた。
幸せでほわほわした気分で家まで帰り、門前で出迎えた従兄を見ては一気に我に返った。
おかえりなさいと言っている笑顔が胡散臭くてたまらない。
またお小言と嫌味だろうか。
もう随分と聞き慣れたので聞き流すという芸当はできるようになったが、それでも不快になってしまう。
お話がありますと言われれば従わざるを得ない。
馬岱には、嫌だと言うことができなくなるような冷ややかな恐ろしさがあるのだ。
「、今日はいつもと少し違う話ですから聞き流さずに聞いて下さいね」
「聞き流してるって知ってたんだ、岱兄上」
「何度言ってもやめないのはその人が馬鹿か、そもそも話を聞いていないかのどちらかでしょう」
相変わらず穏やかな口調でさらりと毒を吐き散らす男だ。
可愛い従妹を馬鹿か馬の耳だと断定しやがった。
図星なので言い返すことができないのが悔しい。
せめてもの救いは、馬鹿扱いはされていなかったことか。
そこに救いがあるのかどうか考えるのは、考えても気分良くはならなさそうなのでやめておく。
「珠蓉という女を知っていますか」
「珠蓉・・・? ああ、確か趙雲殿の昔なじみがそんな名前だったかな・・・。どうして岱兄上が知ってるの?」
「楊丹はあなたの子分ではなくて私の下僕ですから。・・・彼女は私たちの敵です、係わるのはおよしなさい」
「趙雲殿の昔のお友だちが敵ってどういうこと?」
「そのままの意味です。詳しくはまだ調べている途中なのでなんとも言えませんが・・・」
「私はどうすればいいの、趙雲殿に言った方がいい?」
「あなたのために言います。趙雲殿とはしばらく逢わない方がいい」
意地悪に聞こえるかもしれませんがそれもあなたのためです。
馬岱の言葉に、はいそうですかとあっさり同意できるわけがなかった。
趙雲との話になると兄も従兄も渋い顔になって理不尽な意地悪しか言わなくなるが、今日の意地悪は過去のどれよりも手厳しい。
なぜだと尋ねても自分のためだの一点張り。
まっとうな理由が提示されるのならばともかく、このまま納得できるはずがなかった。
「どうしても駄目なの? 敵なら倒せばいいじゃない」
「倒して解決する敵じゃないんです。いいですね、これはあなたを思っての忠告なんです」
忠告だとかなんとか言って、結局は兄たちのわがままを押し通したいだけじゃないか。
そんな言いつけを大人しく守る妹だと思っているのか。
翌日、言いつけを当然のように破り家を飛び出したと知った馬岱は天を仰いだ。
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