星空に恋して
人の忠告を聞かない公主は、今日も外に出て月を眺めている。
毎日見上げていても毎日変わらない夜空だろうに、情趣を解する者が見る空は常人の目に映るそれとは違うのだろうか。
張遼は黙って空を見上げているの背後に歩み寄ると、公主と静かに声をかけた。
「今宵も外は寒くなります。どうか中に入り休まれますよう」
「まだそのような刻限ではありますまい。それにわたくしとて鍛えております」
「そうであったとしても、お体に障りが出ることは確かです。遠方の地では治療もままなりません」
「・・・張遼殿も空を見上げてはいかがでしょうか。今宵の空は大層美しゅうございます。きっと、張遼殿の波立った心も癒して下さるのでは?」
心を波立たせているのは一向に言うことを聞いてくれないのせいである。
もちろん主の娘にそうは言えず、さあと促されるままに空を見上げるがこれといった変化を感じることはできない。
星が明るいなとしか思えない。
は空を見上げたまま小さく口元に笑みを刷くと、羨ましいとぽつりと呟いた。
「わたくしは、星に住まう2人が羨ましい」
「牛郎と織女の話ですか。互いに夫婦生活が楽しく、働かなくなったばかりに天帝から引き離されたという」
「よくご存知なのですね。今宵は、星に住まう2人が年に一度の逢瀬を交わす日でございます」
「その程度で良いのでは。連れ立っていると仕事をせぬのであれば、多少の荒療治も致し方ありますまい」
「・・・まあ」
やや驚いた表情のに見つめられ、何か変なことを言っただろうかと思い自身の発言を顧みる。
はきょとんとした表情で見返してくる張遼に苦笑を向けると、左様でございますかと答えた。
「張遼殿らしいと言って良いのでしょうか・・・。張遼殿の奥方になられる方はその話を聞くとお困りになるやもしれません」
「は・・・?」
「好きで添い遂げた方に見惚れ、仕事も手につかなくなるのは当然のこと。ですが、張遼殿の奥方は夫に見惚れることも叶わぬのですね」
「私のような無骨な男に目を奪われるような者がいると本気でお思いですか?」
「ええ。わたくしは、張遼殿のあのように細やかな心配りができるところは好ましいと思われる方もいらっしゃるのではないかと考えております」
「・・・公主は、公主は私のかような行動にはいかがお思いか」
「母に叱られているような気分になります。
わたくしは母を早く亡くしたゆえ母に本気で叱られるということを今まで知らなかったのですが、きっと、張遼殿のように万事において細かく叱られるのでしょうね」
まただ、また母親呼ばわりされた。
の体を気遣って忠告しているのに、はやはりこちらの思いなど汲んでくれない。
話の途中でもしかしてと期待してしまったのが失敗だった。
母親のような、良くても父に仕える頼もしい将軍の1人という認識しか持たないがこちらを喜ばせるような気の利いた言葉を言うわけがなかった。
世辞を言わず媚を売らないのがの好ましいところでだから彼女を妻にしたいと思うようになったのだが、これではあまりにも酷すぎる。
は空ではなく黒々と流れる長江へと視線を落とすと、小さく息を吐いた。
「天の川は、まるで長江のよう」
「確かに、長江がなければ我らは船団を作らずとも江南の地に攻め入れましたな」
「・・・張遼殿はやはり、武に生きる方ですね」
「私の答えにご不満でも」
「いいえ。・・・わたくしは早くお会いしとうございます」
「私も一刻も早くお会いしたいです」
「それはもしや、張遼殿の佳き方にでございますか?」
「その方にはとうの昔にお会いしております」
張遼殿が見初められた方はきっと、聡明で淑やかでけれども強い素敵な方なのでしょう。
何も知らず予想を口にする聡明で淑やかで敵兵を屠る強さを持つに、張遼はどうでしょうかとぶっそりと呟いた。
あとがき
中国でも七夕は通じるそうです。『牛郎』と『織女』は中国での彦星と織姫の呼び方です。
誰もが知っている民間伝承らしいので無骨な張遼も知っていることにしましたが、2人は1年かかっても3年かかっても思いは平行線です。
張遼がお母さんに見えてくるマジックです。
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