親睦のススメ ~甘寧編~







 納得がいかない、腑に落ちないと思うことが最近よくある。
周囲を巻き込んだゴタゴタも無事解決し、一緒に暮らせないがほとんどの時を共に過ごせる毎日がようやく到来したと思っていた。
思っていたのだがなぜだろう。
聡明で人当たりも悪くはなく、何よりもとても可愛らしい彼女はもっぱら孫呉の姫君と一緒にいる。
尚香と仲良くしておくことは、の不安定な立場からしても喜ばしいことである。
尚香もの出自などほとんど気にしていないようだし、2人が並んで話している姿はとても絵になる。
2人の性格からしてまず仲良くなどなれないだろうと踏んでいた凌統にとってこれは、嬉しいのか悲しいのかよくわからない誤算だった。
笑顔でいるを見ているのは楽しいが、尚香とばかりいるのには妬いてしまう。
男心とは複雑にできている。
今日は彼女はどこにいるのだろう。
凌統はの元へ向かおうと思い、そしてどこにいるのかわからないという現実に唖然とした。




殿は今、おつかいに行ってもらってますよ」
は女官でも下女でも、軍師さんの使い走りでもないんだけど」
「お手伝いさせて下さいと言ってきたのは殿です。甘寧殿に書簡を渡すまで帰って来るなと言っていますが、まだ見つけていないのでしょうか」




 そういえば殿は甘寧殿がどのような方かわかっているのでしょうか。
至極どうでもいい独り言のように呟かれた陸遜の言葉に、凌統は慌てて甘寧の執務室へと向かうのだった。





























 生まれて初めて海を見た。
は、目の前で休むことなく動き続ける波を見つめ顔を輝かせた。
甘寧という将軍に書簡を渡すために彼の執務室を訪ねたが目的の人物はおらず、彼の子分(部下ではないらしい)に案内されてやって来たのが海だった。




「何だ、あんた海が初めてみたいな顔しやがって」
「はい、海をこれほど間近で見るのは初めてです。とても広うございます・・・、この先には何があるのでしょう」
「島があるって話だぜ。しかしあんた・・・・・・、もう少し人を警戒するってことを覚えた方がいいぜ」
「きちんと甘寧殿にお渡しすべき書簡は失くさぬように持っております」
「物じゃなくて自分の心配しろよ」






 陽に焼けた顔をぐっと近づけられ、はああと思い出したように声を上げた。
ぎょっとして後退する自称甘寧の子分に、あのと声をかける。




「な、何だよいきなり・・・」
「以前とある方からお聞きしたのですが、海の水は燃やすと塩ができるそうです。それは真でございますか?」
「誰だよ、んな物騒な事あんたみたいな子に吹き込むの・・・」
「故あって名は申せませぬが、わたくしを養って下さっている方でございます」
「・・・なに、あんたどこぞのお偉いさんに囲われてるんだ? 世間知らずのいいとこのお嬢様みたいに見えたけど、あんたも苦労してんだな・・・」
「時折酷い事を仰って迫ってこられますが、わたくしのような者を養って下さっている良い方なのです・・・」





 ほんの少しだけ笑ったに、子分は胸を打たれた。
どこの色狂い親父だか知らないが、こんなに健気で清らかな娘を手篭めにして、挙句困らせているとは酷い男である。
よく見なくても上品で綺麗な子だが、囲われる前はそれなりの家で暮らす娘で、家の没落に伴い身を委ねたといったあたりだろうか。
そうだ、兄貴(甘寧)に頼んで引き取ってもらおうか。
兄貴ならば彼女のことをきっと大切にするだろうし、何よりも、彼女を姐御と慕うのも悪くない。





「それであの、甘寧殿はいずこにおられるのでしょうか」





 渡すまで帰って来るなと言われている。
外へ出てそれなりの時間が経っているし、早く戻らなければ叱られてしまう。
書簡も急ぎのものかもしれないし、これを渡すのが遅れたがために凌統が戦いで窮地に陥るようなことがあってはならなかった。




「ほら、あそこにいるのが甘寧様。かっこいいだろ、鈴の甘寧ってのはあの方のことだ」
「本当に鈴をつけておいでなのですね。案内して下さってありがとうございました」




 楽しげに子分たちと談笑している甘寧を呼んでもらう。
涼しそうな格好をしている人だと思い無言で見つめていると、おいと声を掛けられる。




「呼んだかと思えば何も言わねぇで・・・。喧嘩売ってんのか?」
「申し訳ございません。甘寧殿、こちらは陸遜殿よりお預かりした書簡にございます」
「そんなもんわざわざこんな所にまで持ってくるか?」
「渡すまで帰って来るなと言われておりますので、さぞや大切なものだと・・・」
「まあいいけど・・・・・・。・・・あんた、どっかで見たことある気がすんだけどよ・・・」




 良家の子女のような丁寧な言葉遣いに上品な物腰。
そのような娘をお近付きになることはまずないのだが、この娘はどこかで見たことがある。
はて、それはどこだっただろう。
出会いを思い出していると、急に辺りが騒がしくなった。
何事かと思って声のした方を見やると、長身の男が駆けてくる。





「おい甘寧、あんたんとこに来なかった?」
「あ? こいつのことか? なあ、俺こいつ、どっかで見たことあるんだけど・・・」
「こ、この子はとある方に囲われている可哀想な子なんです、兄貴!」
「「「は?」」」





 不意に叫んだ子分の声に、凌統と甘寧、そしてはそれぞれ不思議そうな顔をした。
言っている意味がよくわからない。
わからないが、なにやら嫌な予感はする。




が誰に囲われてるって?」
「教えてくれないから知らないんすけど、きっとどっかお偉い貴族の野郎ですよ! 酷い事言って日夜迫ってくるとか兄貴、そいつからこの子を助けてやって下さい!」
「・・・ああ思い出した。こいつ、お前が連れ帰って来た公主だろう・・・。連れ帰って何してんのかと思ったら大層な言われようじゃねぇか」
「・・・いや、これは俺のことじゃなくてたぶん・・・」





 凌統と甘寧はちらりとを見やった。
首を傾げ考え込んでいるようだったが、考えがまとまったのか子分に声をかけている。
本当に、何をどう話したらそんな頓珍漢な話になるのだろう。
一度彼女の話を聞いてみたい。




「何か誤解をなさっておいでのようですが、わたくしはどなたかの側女ではございません」
「けどお前、養ってくれてる奴がどうとか言ってたじゃねぇか。そんな非道よりも甘寧様の方がいい男だって俺が保障するぜ?」
「そういえばわたくしが身を寄せることになった折、甘寧殿の元であれば程良くこちらに染まることができるのにと仰っておいででした・・・」
「うん、軍師さんの言ってること何から何まで信じ込むのはやめた方がいいよ。
 甘寧って奴は女に手は早いわ柄は悪いわ喧嘩っ早いわで、俺の足元にも及ばないくらいに酷い男だから」
「本人の前で随分な言いようじゃねえか、凌統」





 公然と罵詈雑言を浴びせる凌統に甘寧が掴みかかる。
なるほど、凌統が言うように甘寧と言う男は喧嘩っ早い男のようだ。
さすがは凌統、悪口も的を得ている。
はわあわあと騒ぎ始めた2人を眺め、ふっと頬を緩めた。
楽しそうで何よりである。



「わたくしは故あって凌統殿に連れられこちらへと参りました。これも故あって今は凌統殿ではない方の元にてお世話になっておりますが、誰かのものになった覚えはございません」
「色々訳ありなんだな、あんた・・・。しかし凌統様、あんたみたいな子が好みだったか・・・?」
「そうだぜ凌統。お前もう少し艶っぽい女をよく選んでたじゃねぇか。さてはてめぇ、自分好みの女にしようって魂胆か?」
「妓女と本命は違うっての! あ、いや、、今のは・・・」




 どいつもこいつも過去のやんちゃをさらりと口にしやがって。
これでが傷ついてみろ。
どうやって傷を癒してやればいいというのだ。
彼女の沸点がどこで何に対して怒り出すのかもわからない今の段階で、明らかにこちらの分が悪い話は慎むべきだった。
いっそのこと、これを期に過去をすべて捨てたいくらいなのだ。
凌統は無言でこちらを眺めている恋人を見やった。
ふんわりと微笑んでいるその笑顔が怖い。
虫も殺せないような可憐な顔をして、自室を灰にして敵兵を容赦なく屠る勇ましい彼女なのだ。
公績様は酷いですとまた言われたらどうしよう。
あれはものすごく傷つくのだ。矢で射られたがごとく、ぐさりと刺さる。




、帰るんなら一緒に行こう」
「ありがとうございます。今日はわたくしが夕食を作る日ゆえ、あまり遅くなると叱られます」
「あんた、話だけ聞いてると軍師殿の嫁みたいだな」
「・・・奥方であれば、日々戦いを迫られることもありますまい・・・」




 ほうと小さくため息をつき、すぐに笑顔に戻る。
ぼそりと呟かれた言葉に、彼女がいかに苦労しているのかがなんとなくわかった。
よほど扱き使われているのだろう。
そうでなければ、渡すまで帰ってくるななどと通告されはしない。
甘寧は並んで帰路についた凌統とその恋人を、大した感慨を抱くことなく見送るのだった。





























 凌統とは夕暮れの街を無言で歩いていた。
並んであるかず一歩後ろをが歩くのは、そうするようにと躾けられていたからだろう。
礼儀正しくてそれはそれでいいのだが、独りで歩いている気分になり少し寂しい。
同じ時を生きているというのにまったく違う道を歩んできたのだ。
歩く道がようやく交わり同じになったのだから、並んで共に歩きたい。




「どんな話をすればが軍師さんに囲われるってことになるのか、俺はわからないね」
「わたくしはただ、ありのままをお話ししただけなのですが・・・」
「見ての通り甘寧って男はのためにならない事しか言わない奴だから、無駄に関わらないこと。あと、姫様ばっかりといるのも駄目。ちゃんと俺のこと考えてくれてる?」
「ですが、公績様は公務でお忙しいとお聞きしたので、お邪魔してはならないと思い・・・」
「俺はの存在を邪魔だと思ってことは一度だってないっての」




 控えめというか、心配性というか。
そんなところも可愛らしいのだが、やはり、もう少し構ってほしい。
嫉妬する男というのはみっともないと、周囲の連中を見て小馬鹿にしていた頃が懐かしい。
男は嫉妬されてなんぼのものだと自負していたあの頃が遠い昔のように感じる。
凌統はを見下ろしぼんやりと考えた。
そして、彼女が自分をじっと見上げていることに気付き、何だいと尋ねる。




「いえ・・・。・・・今日は妓楼に通われなくて良かったのかと・・・。あちらがそうではないのですか?」
「あ、知ってたんだ・・・・・・?」
「わたくしは全く気にしておりませんので、我慢なさらないで下さいませ」





 いや、そこは少しでもいいから気にしてほしい。
むしろ、我慢させないでほしい。
返す言葉も甘い睦言も囁くことができず立ち竦んでいる凌統の心中に気付くことなく、は公績殿?と声をかけた。








あとがき
甘寧というか、甘寧軍との交流がメインのような甘寧編。
公主様シリーズの凌統と甘寧は、親父様の因縁はそこまで深く掘り下げない予定です。
間違ってることを言ってはないんだけど、なんだかとてつもなく厄介事に聞こえてしまうのが公主様の直らない真面目な口調の欠点にしておきます。
あの曹操様の娘ですから、男というものはみんな妓楼も側室も通い放題持ち放題だと素で思ってます。



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