Please take my hand, princess! 2
預けられた書類を整理し、それなりの数が溜まると決裁を仰ぐべく担当の文官の元へと持っていく。
それなりに移動をしてそれなりに人とも会話をするから、なんとなくではあるが国の事情も知ることができる。
どうやら大規模な戦を仕掛けるらしい。
劉備と同盟を結んでいる孫権軍が戦う相手はただ1人、父が統べる曹操軍だ。
母国どころか父や兄たちと戦うことには今でも当然複雑な思いを抱く。
だからだろう、凌統も陸遜も、口が軽いと言われる甘寧でさえも何も教えてくれなかった。
気を遣っているのか警戒しているのか、理由が何かまではわからなかったが。
「曹操軍と戦をなさるとか・・・。凌統殿も出陣なさるのですか?」
「あれ、知ってたんだ? 軍師さんたち教えた?」
「私は教えていませんよ。甘寧殿もそうでしょう?」
「俺らが言わなくても公主さんには知られちまうんじゃねぇの? 大方公主さんの事情知らない文官どもに教えられたんだろ」
「甘寧殿の仰るとおりです。わたくしが書簡を届けている方々は皆、わたくしの出自をご存じないようです」
「殿の処遇を決めるあの場にいたのはごくわずかの将のみ。殿が懇意にしている者たちがわからないのも当然です」
「ごめん、隠してたわけじゃないんだ。ただ、言ってもはいい気分にはならないだろ? それから甘寧、のこと公主さんって呼ぶのやめてくれるかい?」
甘寧はに注がれ満たされた杯を一気に呷ると、細けぇこと言うなよとぼやき凌統を顧みた。
これといったしっくりとする呼び方が見つからないのだ。
それにいいではないか、彼女のことをそう呼ぶのは事情を知る人々の前でだけなのだし。
そもそも、余所では彼女の話はまったくしない。
は酒瓶を卓に置くと、考え込むように口元に指を当てた。
「此度は水軍は使えないのですね・・・。大丈夫でしょうか・・・」
「俺らの軍を甘く見られちゃ困るんだけど、」
「申し訳ございません。ですが、わたくしは皆様が無事に帰還されるか不安でたまりません」
「対劉備戦線で兵力が割かれているとはいえど相手は曹操軍。合肥にもまだ余力を残していそうです」
「まあ、のとこにちゃんと帰って来るから軍師さんと大人しくお留守番してなよ」
「陸遜殿は出陣なさらないのですか?」
「守将も必要なのです。凌統殿がいないからといって羽目を外すことは許しません」
「陸遜殿は母のようでございます」
何か言いましたか殿、表に出なさい決闘しましょう。
お酒の飲みすぎは体によろしくありません。
どこか噛み合わない2人の会話だが、いつもこうやって喧嘩の売買をしているのだろうか。
凌統はを見つめると、ふっと頬を緩めた。
今日もお持ち帰りはできないらしい。
正式に戦に行くという話を告げられてからだ。
がせっせと鍛錬に励むようになったのは。
武器を執ってはいけないと叱りつけ、あるいは窘めていた重石が出陣準備で忙しくなったことが原因か、最近のは机仕事を片付けると庭の隅で一心に剣を振っている。
虫も殺せないようなほわほわとした淑やかな令嬢が、ざっくりと敵を葬ってしまうのだからそら恐ろしい。
孫呉の女性はみな勇猛果敢だ。
いずれはも、先日劉備の元へと嫁いだ我が国の姫君のようになるのではと考えると気が重くなる。
陸遜は双剣を手に取ると、の間合いに入り一撃を繰り出した。
怪我をさせると後々何かと面倒なので練習用のものを使ったが、かつんと太刀を止められると悪い気にしかならない。
「まさかとは思いますがあなた、従軍したいとか思ってないでしょうね」
「・・・まさかそのようなこと、考えるはずもありますまい」
「じゃあ今の間は何ですか。まったく・・・、駄目ですよ、いけません。あなた、どの面下げて向こうと戦うつもりなんですか」
「・・・・・・」
「それとももしかして、故郷に帰りたくなったんですか? まあ凌統殿は今はぱったりですけど以前はかなりの浮気性でしたし、幻滅する気もわかりますが」
「わたくしに帰る場所などとうにございません。あの日、捨てました」
「当たり前です。今更帰りたいなんてごねたら凌統殿爆発しますよ。この国どころか家からも出してもらえなくなります」
は陸遜との打ち合いの手を止めると、そっと眉を潜め近くの東屋へと向かい腰を下ろした。
確かに、今の身の上で父の軍との戦いに臨むことは難しい。
国を捨てたとはいえ、どう現実と向き合えばいいのかわからない。
しかし行きたいのだ。
足手まといになることは承知の上でも行きたいと思ってしまうのだから、なおさら性質が悪い。
行ったところでどうせ、何もできやしないのに。
「殿も充分ご存知でしょうが我が軍は強い。凌統殿ももちろん強い」
「存じております・・・」
「だったら待っていればいいでしょう? あなたに帰る場所はなくても、あなたの元を帰る場所だと決めている方もいるんですから」
「・・・・・・」
「凌統殿からも留守を任されたことを忘れたんですか。凌統殿が持ちうる力のすべてを発揮するには、あなたはここに留まっていなければならないのです」
「それもよく存じております・・・」
わかっているが、それでも役に立ちたいと思ってしまうのはいけないことなのか。
本当に何の役にも立てないまま、戦を迎えてもいいのか。
無事を祈ることしかできないのか。
違う、あの時、許昌では祈っていても何も変わらないと悟ったから前線に赴いたのだ。
決めた、こっそり紛れ込もう。
は隣でとくとくと説教を続けている陸遜の言葉を聞き流し、1人静かに決意した。
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