俺たち第二世代
とても可愛らしい、花のような女の子を見つけた。
宮殿の中にいる小さな女の子など大抵は良家の姫君だと今になってはわかるが、幼かった自分はそんな疑問は微塵も抱かなかったらしい。
同年代の少女の中でも特に線が細くて華奢な、一瞬病気なのではないかと不安になってしまうような白くて小さな女の子。
夏侯覇が少女に抱いた第一印象は、極めて好意的なものだった。
つくづく、子どもの無鉄砲さには驚き呆れてしまう。
少しでも学があれば、間違っても話しかけることなどしなかった。
「やあやあ、あんたこんなとこで何やってんだ? ていうかどうやってここに?」
「遊んでおります・・・」
「1人で? 何やって遊んでんだ? あー、もしかして花摘みとか?」
「・・・・・・誰にも言わないと約束していただけますか?」
「へ? いいけど?」
「実はわたくし、逃げてきたのです。見つかれば叱られてしまいますゆえ、このことは他言無用にしていただけませんか?」
ちょっとした好奇心で話しかけた女の子は、なんとびっくり人に追われている身だった。
こんなに小さな少女を捕らえようと追いかけ回しているとは、性悪な大人もいるものだ。
本当に困り果てているのか、表情もどこか曇っている。
かわいそうな子だ、自由に遊ぶこともできずにこんな宮殿の隅っこでかくれんぼとは。
夏侯覇の胸で英雄の魂が目覚めた。
今は、彼女を追っ手から守ってやらなければ。
夏侯覇は少女の白い手をぎゅっと握り締めた。
そして、訳がわからず小首を傾げている彼女に守ってあげるよと宣言する。
少女の真っ黒な瞳がひときわ大きく見開かれた。
「・・・あの、いったい何から守って下さるのですか?」
「だから、あんたを追っかけてる悪い奴から! 俺こう見えても結構強いんだぜー!」
「あのっ、わたくしあまりここより外には・・・」
「いいっていいって! 俺の知り合いってことにしとけばあんたがここ入ったことお咎めなしになるから!」
「いえ、そうではなくて・・・!」
渋る彼女の手を引き、広大な庭園へと飛び出す。
侍女たちの視線が一斉に注がれる。
今日はいつもよりも注目度が高いがなぜだろう。
どこかから公主と叫ばれ、夏侯覇は少女の手を引いたままきょろきょろと周囲を見回した。
「公主って知ってるか? 殿のご息女で、聡明な方だって有名なんだぜ!」
「・・・あの」
「ん? 何だ? そういやあんた、名前は? 俺は夏侯覇、未来は光り輝く鎧武者!」
「・・・わたくしの名は曹。だから・・・、だからあの場から離れたくないと何度もお願いしたのに・・・!」
「曹・・・・・・。・・・もしかしてあんたが、いや、あなた様が公主」
「左様でございます」
まずい、やらかした。
あろうことか主の娘にぞんざいな口を利いてしまった。
父に知られたら、叱責どころの騒ぎではなくなる。
侍女に見つかり宮殿へと強制送還されるを夏侯覇は呆然と見送った。
あれが聡明だと評判の高い公主。
おそらくは学問が嫌で逃げ出した公主が聡明。
人の噂ほど当てにならないものはない。
夏侯覇の幼心に、の存在は良くも悪くも鮮烈に刻み付けられたのだった。
今日はいい天気だ。
こういう日は重い鎧を脱ぎ捨て昼寝をするに限る。
夏侯覇は傍らに大剣を横たえると、ごろりと地面に転がった。
昼寝をする前に水浴びをするのもいいかもしれない。
しかし、水浴びのために鎧を脱ぐのも面倒だ。
ああ、あの雲ちょっと肉まんに似てるかも。
うとうとし始めた夏侯覇の頭上に人の影ができたのはちょうどその頃だった。
「夏侯覇殿、お願いがあるのですが」
「今日もまた逃げてきたんですか公主。今日は匿う気ないですからおやすみ」
「いいえ、そうではございません。肉まんを作ったのですが味見をしていただけませんか?」
「食う食う!」
勢い良くがばりを起き上がると、首筋にぴたりと木の枝を当てられる。
無防備すぎますとおかしげに笑うにつられ笑みを浮かべるが、あっさりと首を取られそうになった現実にはまったく笑えない。
いつからこんなに武芸に秀でた娘になったのだ、我が幼なじみは。
戦にも出たと聞いたし、彼女はいったい何をやりたいのだ。
夏侯覇は籠の中の肉まんを取り上げると、空腹で唸りを上げていた腹を満たすべく礼もそこそこに齧りついた。
口をもごもごさせながらありがとう超美味いと賞賛の声を上げると、それはようございましたと微笑まれる。
武芸に興味を抱いてみたり料理に目覚めてみたりと何かと多趣味なは、夏侯覇の気の許せる友人の1人だった。
歳も近く境遇も似ていたことが仲良くなる理由とも言えた。
初めこそ父子共々恐縮しきりだったが、子どもというのは本当に怖いもの知らずで、友人を見つけたとなると相手が主の娘だろうが何だろうが構うことなくはしゃぎだすのだ。
や曹操が心の広い人物で本当に良かった。
そうでなかったら、何度打ち首にされていたかわかったものではない。
を池に突き落としてみたり泥まみれにさせたりと、ぞっとする出来事に関しては思い出せばきりがない。
「今日も鍛錬をなさっていたのですか?」
「そうそう。いやあ、こう暑い日に着る鎧は重くて辛くて」
「夏侯覇殿は幼き頃より、末は光り輝く鎧武者になると仰っておられましたものね」
「よく覚えてんなー公主は。さすが聡明と名高い様」
「・・・せめて兜はお取りになっても良いのでは? もしくは、子孝おじ上のような形になさるとか・・・」
「この顔を晒せと? 即行で舐められるっしょ、ガキだって」
「わたくしは、いつまでも変わり映えのしない夏侯覇殿のお顔を見ているとなにやらとても落ち着くのですが」
「さりげなく俺がガキのまんまの顔だって言ったよね公主。そりゃ俺はご覧の通りの童顔だし背丈もないけど?」
「そのようにすぐに拗ねておられると、確かに将軍方に子ども扱いされるやもしれません」
人の痛いところをびしびしと突いてくる姫君だ。
こういった鋭さにはやはり、曹操の血を感じてしまう。
孟徳に比べれば公主など優しすぎると夏侯惇はぼやいているが、夏侯覇にはの厳しさがちょうど良かった。
昔から、絞めつけられるのは好きではなかった。
だからあの時に声をかけたのだし、今もこうしてゆるゆると華麗なる生活を送っている。
仲良くなったのがではなく他の公主だったらこうはならなかっただろう。
彼女の父自身がは変わり者だと認めるのだから、変わり者でないいかにも公主らしい公主とは付き合える自信がなかった。
「公主、最近よく料理するようになったよなー。武芸飽きた?」
「いいえ。ただ、こうして何かを作り食べていただき、美味しいと仰っていただけるのが嬉しいのです」
「へえ。俺はまた、とうとう変わり者の公主にも春が来たのかと」
「・・・・・・」
「え、まさか当たり? 誰、相手は? ていうか公主、そういう人いても無理だってわかってる?」
「存じております。・・・ずっと宮殿にばかりいるわたくしに、いつ殿方と出会う機会があるとお思いでございますか?」
「確かにそうだけど。いやー、びっくりした。てっきり俺かと」
「夏侯覇殿?」
「嘘ですすみません」
嘘つきに差し上げる肉まんはございませんと籠に蓋をされる前に、慌てて両手で残りの肉まんを掴み取る。
子どものような行為がおかしかったのか、はまた淡く笑うとゆっくりと顔を空へと向けた。
春は待っていても来るわけがない。
春など望んではいけない。
そうわかっていても戦へ向かうのは春に永遠の別れを告げるためか、あるいは春をつかみに行くためか。
黙って空を見上げていると、肉まんを平らげたらしい夏侯覇も同じように空を見上げる。
戦に行くんだってと尋ねられたので素直に頷くと、いいなあと返される。
驚いて横を向くと、夏侯覇の口が駄々っ子のように尖っている。
「俺も行きたい。公主、よく殿に許してもらったなー」
「わたくしの最後のわがままなのです。戦より戻った後は、わたくしはおそらく夏侯覇殿ともそうお会いできなくなりましょう」
「そうまでして行きたいんだ。なんで?」
「そこに行かねば達することができない夢があるのです」
「はー、変わり者の考えはわかんないや。ちゃんと生きて帰って来なよ公主、でもって俺に戦の話聞かせること」
「約束ですね」
「そう、約束!」
あっち行く前に父上にも会ってやってよ。
妙才おじ上はお優しい方なので、元譲おじ上と同じくらいお慕いしております。
夏侯覇がと笑みを交わし合ったのは、それが最後の日となった。
公主は戦死したのである。
人には必ず死が訪れる。
戦場に出て、人を殺し殺されていることを見続けてきた夏侯覇にとって人の死は特段珍しいことではない。
しかしそれでも、の戦死は信じがたいことだった。
従軍したといってもは公主だから、安全な場所に留まっているとばかり思っていた。
そう思い、戦場に安全な場所などどこにもないと考え直した。
はどうして、どんな状況で命を落としてしまったのだろう。
父や夏侯惇に訊いてもまともな返事は得ることができなかった。
明確に答えられないとは即ち、誰一人としての死を見ていない、亡骸がないということだった。
誰にも看取られずは逝ってしまった。
初めて出会ったあの時のように必死に逃げたのだろうか。
逃げて力尽きてしまったのだろうか。
それとも、果敢に立ち向かい命を落としてしまったのか。
あるいは、生きたまま囚われの身となり嬲り殺しに遭ったのか。
すべての可能性が考えられ、それが夏侯覇をまた辛くさせていた。
「いっそ、まだ生きてるとか」
亡骸がないのであれば、生存説も考えられた。
しかし、あれで苛烈なところがあるが敵に辱めを受けてまで生き永らえるとは思えなかった。
むしろ、そうなってほしくなかった。
夏侯覇にとってはびしょ濡れになろうと泥だらけになろうと綺麗な存在で、本物の公主だった。
「約束したのに公主って嘘つきだな。会えなくなるのは帰ってからだって言ってたから、面白い話とかまた仕入れてたのに」
生前が好んでよく訪れていた宮殿の外れの草原に寝転がり、空を見上げ今はもう亡き幼なじみへと返事のない問いかけを続ける。
肉まん、どんどん美味しくなってたけどやっぱあれって好きな男に食わせる練習だったよな。
誰だったんだろう、あの公主が惚れた男って。
そういや公主、何だって赤壁にだけは行きたいって駄々捏ねたんだろう。
・・・まあいっか、今更思っても訊けないことだしな。
夏侯覇は空に向かって手を伸ばすと、さよなら公主と呟いた。
あとがき
無双6に出てきた夏侯覇さんと公主様は、あっちでは幼なじみみたいな関係だといいなあという願望です。
2人の間に恋愛感情なんてありませんが、夏侯一族とはかなり親密なお付き合いしていました。
公主様実は生きてるけどまだ知らない時間軸の設定です。
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