偏屈者の歪んだ純情







 美しいと思うよりも先に、欲しいと思った。
だから見目麗しい楚々とした容姿に惚れたわけではない。
もちろん彼女の素性も知らなかったし、それら付帯的な情報を得るよりも先に本能が彼女を手に入れたいと思ってしまったのだから、今更出自なんてどうでもいい。
鐘会は泉でせっせと愛用の髪紐を洗っている娘を背後から見下ろした。
飾りを失くした黒い後頭部を見ているふりをして、実のところは泉に反射して映っている彼女の澄まし顔を見つめている。
彼女の顔の上に同じように映る自身の顔がなんとも表現しがたい表情を浮かべていて、思わず泉に石を投げいれてしまう。
いかがなされたのですか、鐘会殿。
ゆったりと落ち着いた声が聞こえ、鐘会はなんでもないと本人の感覚では素っ気なく返した。




「鐘会殿は怒っておいでの様子。やはりわたくしといるよりもお一人で行動された方が良いのでは?」
「怒ってなどいない!」
「いいえ、鐘会殿のお声には棘があります」
「声だけで判断するとは浅慮の極みでは?」
「何も見ていないとお思いだったのでしょうが、わたくしは水面を通して鐘会殿のお顔も見ていたのですよ」





 おっとりとしているようでも、さすがは奸雄の血を引いているだけはある。
多くの猛将や知将を擁し曹魏の繁栄の礎となった武帝曹孟徳の愛娘は、見ていないようでよく見ている優れた観察力の持ち主だ。
好奇心が強いのか閉じ込められた生活に嫌気が差したのか、単身戦場にいた時はそれはもう驚かされた。
虫も殺せないような若い娘が柄の悪い盗賊たちと相対しているのを放ってもおけず助けてやったが、助けられた後も臆することを知らない肝の据わった女だ。
ひょっとすれば賊よりも性質が悪いかもしれない男に助けられたとは、まさか彼女は思っていないだろう。
ようやく気が済んだのか、ふうと小さく息を吐き顔を上げる。
ゆっくりと振り返ろうとした彼女を制し、鐘会はそっと髪に触れた。





「そのように薄汚れたものでなくとも良いのに、なぜそれにこだわるのだ?」
「大切なものだからです。大切な方からいただいたものは捨てられません」
「大切な人は今どこに?」
「さあ・・・。わたくしが知らぬはずの鍾ヨウ殿の末のご子息とこうしてお会いできるくらいなのですから、いずこにおられるのかまったくわかりません」
「そいつは殿の何ですか。大切とはどのような?」
「鐘会殿は難しいことをおっしゃいます。そのように難しいお顔をなさって、わたくしは刺されてしまうのでしょうか」
「あなた、男をとんでもなく虚仮にしたことがあるでしょう。私が刺したいのは殿ではなくてあなたの大切な人とやらです」





 それはいけませんと窘めるの肩に顔を埋める。
欲しい。
おそらくは男であろう大切な人とやらに捧げた身も心も、何もかもが欲しくてたまらない。
上品な物腰も気高い心も屈しない強さも、すべてを手中に収めたい。
鐘会はの手の上にあった髪紐を奪うと、千切れてしまえばいいと願いながらぎゅうときつく握りしめた。





「次の町に行ったら、私が新しいものを贈りたい」
「お気持ちだけいただきます」
殿、私は野心が強い」
「野心であれば、わたくしも負けはいたしません。わたくしは自らの願いのために国を捨てた女。鐘会殿を捨てるなど造作もないこと」
「私が今手に入れたいのは殿、あなただ。私はあなたを逃がさない、たとえ多くの者を敵に回そうとも」





 昨日までの味方を敵にすることなど慣れきっている。
欲しいと思ったものが手に入るのであれば、寂寥感も色褪せるどころか消えていく。
鐘会は小さく身じろぎするの胸の前に手を回すと、逃がさないように抱き締めた。








あとがき
クロニクルモードがあるからいいじゃない。
生まれた年も生きた時代もまるで違う、ひょっとしたら親子の差ほどもあるかもしれません。
報われない恋の成就すら叶えようとする、そのくらい野心と我が強い鐘会さんがいいです。



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