面影をかさねる
彼の姿を今日より前に見たのは、2年ほど前のことだったろうか。
友軍の窮地を救うため一軍を率い泥でぬかるむ悪路を進軍した彼は、そのまま国に帰還することはなかった。
誰よりも軍規に厳しく、己も律していた男が軍神に屈した。
信じられなかった。
自分が愛した男は、父を決して裏知らないと信じ切っていた。
夏侯惇や亡き夏侯淵たち股肱の臣と同じく、魏王たる曹孟徳に反旗を翻すはずがないのに。
彼がなぜ降伏という道を選んだのかはわからない。知る日は来ないだろう。
「子桓、なぜああも」
「政に口を挟むことはお嫌なのでは、姉上」
「口を挟むつもりはありません。しかしこれではあまりに惨いのではありませんか。敵に屈していたとはいえ、功多き将です。然るべき処遇を」
「私はこれが于禁に対する然るべき処遇と思いますが、姉上はいささかかの将に甘すぎるのでは? 情が透けて見えますぞ」「
「な、何を・・・」
幼い頃から利発で万事に長けていた異母弟に口で勝てるはずがない。
ましてや弟は、今やこの国の最高権力者だ。
複雑な事情から特定の身内以外を寄せ付けようとしなかった彼の機嫌を損ねることは、即ち己が命を捨てることに繋がりかねない。
今でさえ、積年の秘めていたはずの情念を見透かされ嗤われてすらいる。
物事を知らぬ、弁えぬ愚かな女の戯言としか受け取られていない。
「姉上、間違ってもかの男に添おうなどとはゆめゆめ思われぬように」
「子桓!」
「これは我が意思と心得よ」
「・・・仰せのままに、陛下」
王の娘として生まれても、誰も何も救えない。
手を差し伸べることすら許されない。
いっそ、なんでもないただの娘なら。
虜囚となっていた地で見知った程度の娘であれば、彼の背中を支えることができたものを。
は亡き父の墓前で咽び泣く男の老いた背中を黙って見つめた。
わたしの思い出が遠のいていく