お月様は知っている
減らしたはずの書簡が、片付けても片付けても積まれたままだ。
うら若き女人に不似合い極まりない眉間に深く刻まれてしまった皺を伸ばすべく揉んでいたわずかに間に、次から次へと新たな仕事が舞い込んでくる。
才能を買ってくれていると好意的に解釈しているからこそ続けられる激務だ。
もしかして嫌がらせ?
そんな拗らせた感情を一度でも抱いたその日には、書簡どころか文机もろともひっくり返していた。
「殿、次はこれを」
「あの、残務に乗りに乗っていられるところ大変恐縮なのですけれども! 荀攸様はあの月がお見えになりませんの!?」
「綺麗だと思います」
「ええそうですね、そうですもの。こんなに綺麗な満月の夜は滅多にありませんもの」
「殿が天文にも詳しいとは・・・驚きました」
「話を逸らさないでいただけます!? 私はそろそろお暇したいのですが!」
今日中に処理しておくべき仕事はすべて終えた。
できれば仕上げておきたいものも、前倒しで終わらせた。
我ながらよく出来た部下だと思う。出来すぎた部下だと思う。
だから、ついあれもこれもと仕事を追加してしまいたくなる気持ちもわからないではない。
わからなくはないが、それはそれとして残業の強要は良くない。
逆らえない立場なのだ、少しは慮ってくれても良いではないか。
は、こちらと夜空に浮かぶ月を交互に眺めていた荀攸を見つめた。
彼ほど月の光によって現れる翳が似合う人物はいないと思う。
楽しくもなんともない残務で得られる数少ないご褒美だ。
「殿は、この後は?」
「もちろん帰りますが、まだ何か? 私としてはお話は明日お伺いしたいのですが」
「担当不在の案件があったのですが、殿ならば適任だと思ったので」
「はあ? ・・・聞くだけ、聞くだけですからね。受けるか否かはそれからです! そも、なぜ今頃そのような」
「月を肴に一献、いかがですか」
「・・・それは、本当に担当不在の案件でして?」
「殿にしか頼めない重要な任務です」
返答を待っているらしい月下の荀攸を置き去りにし、書簡を片付け身支度を整える。
いつから考えていたのかは知らないが、もっと早くに言ってくれればよかったものを。
今からでは、酔うふりをするにも酔わせようにも時間が足りないではないか!
「荀攸様は女を誘うのが不得手なのですね」
「難しいようでしたら別案を考えます」
「いいえ、口説き馴れた荀攸様なんて興味はありますが好意は抱けませんもの。まあ、次はもっと早い時間に誘っていただきたいですが」
別案とはどんな口説き文句なのだろう。試しにねだってみようか。
は執務室を出ると、当たり前のように彼の自邸へと歩き始める荀攸の腕を慌てて掴んだ。
好意を・・・抱かれている・・・・・・?