彼女の味覚は極彩色
美味しいですねと紫色の肉まんを手にしみじみと語るに、そうだねと穏やかに微笑み返す。
が美味しいと言うのだからきっとこれは美味しいのだ。
孫呉での生活はさておき、祖国では誰よりも美食を堪能していたであろう舌の肥えたの感想だ。
肉まんは普通の肉の味が一番美味しいと思うんだけどとは、口が裂けても言えない。
戦場で砂埃にまみれた粗食ばかりを食べてきた自分の味覚が貧弱なだけ。
きっとそうに決まっている。
凌統は、葡萄入りの肉まんとやらに舌鼓を打つ妻の口元を見つめた。
色のせいか、毒入りの肉まんを食べているようにしか見えない。
「はそれのどこが好きなんだい? 皮? 肉?」
「肉の中にわずかに香る葡萄の甘さが味を引き立てていると思います」
「へえ、器用な舌だね・・・」
「恐れ入ります」
少しでも旨さとやらを理解しようと仔細を訊いても、何ひとつ響いてこない。
謎の経由で流通している高級な葡萄は、下手に加工せずありのままの状態で食べた方が絶対に美味しいと思う。
事実、ぷるんとした大粒のそれは口の中で蕩ける旨さだった。
肉まんの中に豚とともに詰め込まれ、肉の臭いが染み込みいつまでも口の中に居座り続ける厄介者と出自こそは同じなのに。
育てられ方が違うとこうも変わってしまう。
人も葡萄も親次第。
妻のこだわりの特性肉まんで人生観まで養えるとは、やはりは極上の妻だ。
「公績殿はお気に召しませんか?」
「そんなことないよ、が作ってくれたものは何だって美味い。これを食べられるのは俺だけだって思ったら独り占めしたくなる」
「まあ、本当に? 嬉しゅうございます、実は今日は新たな味を試みたところで、公績殿にぜひ召し上がっていただきとうございます」「え?」
「いつも葡萄ばかりでは飽きてしまわれたでしょう。これは梨という果物ですが、いかがでしょうか?」
色は悪くない。
紫色でないというだけで少なくとも食欲は減退しない。
やや水気を多く含んでいるように見えるが、形はきちんと保っている。
は料理下手ではない。
孫呉に来た時からのんびりとした手つきだったが炊事はできたし、練師から手ほどきを受けているとも聞いている。
殿は珍重な食材を持ち込んでは大胆に使われるのですよと、練師も苦笑しながら話してくれた。
贅沢を好むではないが、彼女の背後にはには満ち足りた生活を送ってほしいと強い信念を持っている存在が多くいる。
主君に怪しまれない手際でそれを実現させてくるから性質が悪い。
に果物をこれ以上与えないでほしい。
「梨ってどんな味だった?」
「瑞々しい口当たりでございました。甘さはそれほど」
「だからこんなにびしゃびしゃなんだ」
「びしゃ?」
「いや、こっちの話。いいねえ、瑞々しい肉まんなんてが作ったのが初めてなんじゃないかい?」
「美味しくできていると良いのですが・・・」
味見すらされていない肉まんを手に取る。
ずっしりと重い。
匂いは普通、色も肉まんの色だからつい油断してしまうが、これはが作った果物肉まんだ。
凌統はすうと大きく息を吸った。
愛する女の新作肉まんをこの世で初めて食べる撓倖と、どんな味が襲いかかってくるかわからない緊張で喉が渇く。
肉まんなのになぜだか濡れる指を口元に近付ける。
がぶり、ぐしゃ。
口の中いっぱいに肉汁が染み出した。
あれ、不味くないぞ?
むしろこれはきちんと美味しいのでは?
自らの味覚がいよいよ信じられなくなり、凌統は肉まんを皿に置くと首を傾げた。
「公績殿? いかがなされましたか?」
「おかしい・・・。混ぜもの肉まんなのにちゃんと美味い」
「ううん・・・肉に混ぜると甘くなってしまうとは梨とは不思議な果物のようです」
「肉が甘くて柔らかくなって、旨味も強くなってる。すごい、これは毎日でも食べられるっての!」
「それはようございました。では次は蜜柑とやらを・・・」
「いや、俺はしばらくこれを味わいたいね。今まで食べた肉まんの中で一番美味いよ、これ」
たまたまの興味と技術がうまく絡み合っただけで、すべてにそれが適用されるわけではない。
やる気を見せるは愛おしいが、愛情という隠し味で誤魔化せるほど葡萄入り肉まんは易しくない。
正直あれは、粗食に慣れた猛者でないと食べられない。
凌統は食べかけの梨入り肉まんを再び手に取った。
心の底から旨いと思えた肉まんを手放したくはなかった。
でも腹は下したことはないんだよ