ネオンライトの影送り




 あ、と聞き慣れた声を感知し周囲を見回す。
今はまずい、疚しいことをしているのでできれば妙齢の女人には見られたくない。
やっぱり姜維殿だ、こんばんは。
往来のど真ん中で呼び止められ、ああと言い淀む。
できればここに留まりたくない。
何してるのとは無邪気に尋ねているが、答えを言いたくない。
ここはは知らなくていい場所だし、見られたくもない場面だ。



殿、なぜここに」
「夏侯覇殿に誘われたから」
「誘われた・・・? ここに? 夏侯覇殿が殿を?」
「そう」
「なぜ?」
「なんでだって、夏侯覇殿」
「いやいや、ここで俺に振るのはどうなの」



 人混みに紛れ込んでいた夏侯覇の腕を掴み、が引っ張り出す。
狼狽えた表情の夏侯覇を全面に押し出し、ほらほらさあさあと急かしている。
純真無垢なを適当に言いくるめ、なんて場所に連れ込んでいるのだ。
姜維は夏侯覇を侮蔑を込めた瞳で見下ろした。
いやいやと夏侯覇が両手を顔の前で振っているが、言い訳は聞かない。
理由によっては武力行使も厭わない。



殿に何をするつもりだったんだ」
「違うんだよ姜維」
「何が違う? ここは連れ込み宿もある、見苦しい言い訳はみっともない」
「姜維詳しいんだな・・・。そもそも俺は殿だけは無理なんだ、殿は絶対に嫌だ」
「口ではどうとでも言える」
「なんでここまで来て殿になるんだよ、蜀の美女に会わせてくれよ」
「姜維殿はいつもどこに通ってるの?」
「私は通りを曲がって2軒目の・・・、殿?」
「だって夏侯覇殿、きっといいお店だよ」



 帰るねと笑顔で手を振り踵を返すを姜維は慌てて呼び止めた。
確認したいことと弁明したいことがたくさんある。
の中で今日の印象が決まる前に、なかったことにしておきたい。
不潔な男と思われたくない。好色な男と思われたくもない。
できればこれからも誠実で文武両道で品行方正な美丈夫と思われていたい。
それなりの期間親しんできて、呉にも温泉にも同行した仲を今更拗らせたくない。
とは今後も良好な関係を築いていきたい。
今の蜀には、自分の味方は驚くほど少ないのだ。



殿、待ってほしい」
「どうしたの? あ、姜維殿ももう帰る?」
殿はここがどこか知っているのか?」
「妓楼街でしょ、知ってる知ってる。姜維殿もよく通ってるの?」
「そんなことはない、今回が初めて「あらぁ姜維様、今日もいらして下さったの? たまにはうちにも遊びに来て下さいな」
「大人気じゃん、さすが姜維殿」
「まあまあ殿、姜維だって息抜きしたい日があるんだって」
「夏侯覇殿は黙っていてほしい」
「そうだろうけど、だからっておんなじ気分の夏侯覇殿を置いてけぼりにしてさっさと行くのは冷たくない?」
殿も黙ってくれないか」



 男の生理事情に理解がありすぎるに正直驚いている。
諸葛亮や関兄妹、張兄妹たちに世の不純物をすべて排除され丁寧に育てられてきたと思っていたから、否定どころか率先して妓楼通いを勧めるに狼狽えている。
いつの間には欲望の世界を知ったのだろうか。
誰が教えたのだろう。
ひょっとして誰かに連れて来られたことがある?
鮑三娘と星彩という双壁を破壊してに迫った勇士が蜀にいるというのか。
誰だ、どうやってに接近した。
何をしても、どんなに事故やうっかりに見せかけても最後の一手を詰めさせないを陥落させた手の内を知りたかった。



「まず夏侯覇殿は殿に案内を頼まないでほしい。殿に妙な噂が立ったらどうする」
「それについては反省してる。ごめん殿、女人に頼むもんじゃなかった」
「気にしないで、我慢しすぎて人妻とかに手を出されても困るしね」
「いやいや俺はしないけど、誰かと違って」
殿も安易に夏侯覇殿の頼みに乗らないように。それから私も滅多に来ないので、勘違いしないように」
「はーい」



 わかっているのかいないのか、がのんびりと声を上げる。
別にいいのにねーと、夏侯覇と笑い合っているの真意が知れない。
の生い立ちに関係してくるのか、今更訊くことすらできない。
彼女の素性を知る者はまだ存命しているのだろうか。
夏侯覇は何か知っているのかもしれない。
彼は時々、咎めてしまうほどにを拒絶する。
彼女個人は好いていても、彼女にまつわる何かを嫌っているような様子を見せる。
夏侯覇が憎んでいるものは何だろう。
同じ魏軍にいたとはいえ、夏侯覇とは生まれも育ちも経歴も何もかも違うので、彼が背負っているものの全てを察することはできない。
姜維はの横顔を見つめた。
花街で笑う百の華やかな美女よりもが輝いて見えた。




「夏侯覇殿、先日の浅慮な行動についてお話があります」「あちゃ~、星彩殿にも知られたか~」



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