天は涙を流さない
いけます、オレに任せてください。
そう答えた声は笑ってしまえるほど震えていたと思う。
根拠はない、策もない。
子どもの頃から訳あって様々な策士の元で育ちはしたが、この頭は策士になれるそれではない。
だが、何をすべきかはわかっている。
わかってしまっている。
は最前にふわりと頭を撫でられた暖かなぬくもりを思い出していた。
大きな手だった。
赤兎馬を愛でる時と同じ、慈しみ溢れた優しさに包まれていた。
そのぬくもりに触れる機会は二度と来ない。
残酷な事実に気付いているのは、今はまだ自分だけ。
初陣を果たしたばかりの軍神の子どもたちは、敗戦の本当の味を今日知ることになるのだ。
「関興殿、関索殿、銀屏殿。オレについてきて下さい」
「殿・・・?」
「この雨です、足跡はすぐに消えます。人が通れない獣の道は調べています」
「だったら父上や兄上たちも一緒に!」
「俺は関羽様に命令されたんです、3人を無事に逃がせと。・・・残念ですが、オレの力と頭じゃ関羽様たちは救えない」
事ここに極まれば諸葛亮や法正がいたところで大した変化はなかったと思うが、それは言うべきではない。
法正が行くなと何度も何度も胸板に閉じ込め、無理だとわかるや獣道を通って帰れと言い遺した理由は今ならわかる。
成都に留まっていなくて良かったと思ってもらえるような結果をせめて出したい。
魏と呉が組んだと知った時点でうっすらと、背後から音もなく忍び寄る狼のように実は闇には気付いていたのだ。
何もないはずがないと怪しむことくらいはできたのだ。
于禁の投稿で疑惑は確信へと変わり、だがその頃にはもう既に手遅れだった。
関羽の性格も熟知した上での大量の兵を抱えた上での于禁の投降、その手の策略はやはり魏軍の方が一枚も二枚も上手だ。
もっと勉学に励んでいればと今になって悔いたところで、還ってくる命も時間も何もない。
だから悔いることはしない、今は前へ進むべきだ。
打てる手は打てるだけ打つ、それは今は亡き一番初めに養ってくれた軍師の口癖だった気がする。
「初めはちょっとびっくりするかもしれませんが、大きな猫とでも思えば可愛く見えるはずです。乗り心地は馬よりふかふか、ただ人を乗せるのに離れていないので良くしがみついて下さい」
「まさか」
「はい、虎です。ちなみに名前は」
「そんな、虎なんて! 殿は何者なんですか」
「やだなあ今更そんな他人行儀な。まあ他人なんですけど。皆さんも知っての通り、オレは」
軍神に拾われた、ただの馬番ですよ?
返した笑みは引きつり、こわばっていたと思う。
見つめた先の6つの目は怒りと不安と恐怖で揺れている。
軍勢の喚声が迫ってくる。
躊躇っている時間はない。
関羽は信じ、託したのだ。
は深い森へと向き直ると、指を咥えた。
狼よりもまずは虎だ、いよいよ危うくなったらその時は龍でも麒麟でも喚んでやる。
高らかに鳴り響いた指笛に呼び寄せられたように、森の奥から獰猛な獣の唸り声が応えた。
孫呉の猛き虎とやら、虎ならばオレの喉笛を裂いてみせるがいい!