春は片道切符
北伐、というものをするらしい。
何が何だかわからないという感想を思いきり顔に出していたのだろう。
諸葛亮様が北伐とはと、先生の顔になる。
せっかくの楽しい夕食時間が台無しだ、もったいないことをした。
私は月英様お手製の南蛮由来の料理とやらを頬張りつつ、諸葛亮様の口元を見つめた。
ふむふむなるほど、要は成都より北にある魏軍と戦いに行くってことみたい。
へえ、そうなんだ~。
話を聞いて意識が削がれていたのか、ほっぺたにも食事をさせていたらしく、私の口元を拭いてくれた諸葛亮様が柔らかく微笑んだ。
「は成都で待っていて下さい」
「月英様も行っちゃうの?」
「孔明様の行くところ、私も当然参ります。と離れてしまうのは寂しいですが・・・」
「じゃあ私も行く?」
「「いけません」」
「ですよねー」
あとどのくらいの間、諸葛亮様たちと一緒にご飯を食べられるだろう。
成都にいても諸葛亮様はいつも忙しくて、何度政庁に昼食を差し入れしたことか。
丞相、殿がおいでですよと毎度大声で呼ばわってくれていた馬謖殿ともしばらく会えなくなるのかもしれない。
寂しくなるなあ。
思わず漏れた本音に、諸葛亮様と月英様が顔を見合わせる。
しまった、2人を困らせてしまった。
ここは笑顔で送り出さないといけないのに、私の顔はどうやら私の心以上に正直者らしい。
「には寂しい思いばかりさせてしまい、申し訳ありません」
「みんな北伐しちゃうんですか? お留守番は?」
「星彩に引き続き陛下のお側を守ってもらいます」
「馬謖殿も行っちゃう?」
「ええ、彼には今回の遠征で重要な役割を果たしてもらう予定です」
「じゃあ今のうちに遊んでもらう・・・。出世したら諸葛亮様みたいに忙しくなって構ってくれなくなるかもだし」
次に政庁に昼食を届けに行くのはいつになるだろう。
出陣の見送りには行けないから、遊んでもらえるうちに思い出を作っておきたい。
きっと帰還した時には大なり小なり皆出世していて、おいそれとは会えなくなるはずだ。
もしかしたら北伐の戦果で新たに得た土地にそのまま駐屯、成都には滅多に帰って来られないなんて人も出てくるかもしれない。
それは国にとってはもちろん嬉しいことだけど、偉くもなんともないただのしがない一般国民の私にとってはただ寂しくなるだけだ。
やっぱり今のうちにいっぱい遊んでもらおう、話してもらおう。
お留守番組も忙しくなってきた。
まずは明日は食材採取に行かないと!
私の計画は、またもや私の可憐な花のような顔を通して諸葛亮様と月英様に筒抜けだったらしい。
翌日から成都中の衛兵に城外外出禁止令が発布されていた。
娘ではない愛娘が春風を吹かせていた。
おそらくは彼女自身も気付いていないその風は、まもなく止む。
花を摘む凶手は、他でもない自分だ。
弟子の才覚を誰よりも認め愛していた。
弟子が春風に頬を撫でられ満更でもなかったことにも、当然気付いていた。
が政庁を訪ねるのをやれやれまたかと呆れたような顔で待っているふりをして、誰よりも先に出迎えに行っていたことも知っている。
殿でないと丞相は昼食を召し上がることも忘れてしまうのですよと、上司を出汁にしてと話していたのも気付いていた。
見て見ぬふりをしたのは、ある種の諦めと、ほんの僅かな喜びと期待があったからだ。
「お前なら、を任せられると思っていました」
「・・・ご期待に添えず申し訳ございませんでした」
「彼女は私の娘ではない。あの子は司馬懿の娘、私がそう伝えた意味がわかりますか」
「・・・・・・」
「私はもう、この事実を二度と誰にも伝えることはないでしょう」
は、風が止んだと知ってどう思うだろう。
止んだことに、いや、そも吹いていたことにすら気付かないだろう。
それがの愛すべき美点にして、彼女が母親から継いでしまった汚点だ。
私は生涯、あの子の父とは名乗れない。
諸葛亮の背中に、冷たい冬の風が吹きつけた。
私には、すべてが遠すぎたのだ