無人駅で待ちぼうけ
北伐、というものがあった。
戦いに行くんだから誰もが五体満足で帰ってくることはないだろうと覚悟はしていたけど、それでも、無事だといいなと毎日北を向いて祈っていた。
時間だけは有り余っていたから、北を向くだけではなくてなんとなく北に出向いて祈ったりなんかもしていた。
諸葛亮様たちが戦う相手の総大将は魏帝曹叡・・・ではなく、曹家から軍権を預けられた司馬懿だ。
司馬懿は、会ったこともない私の父親だ。
まったく思い入れがないけど、父親らしい。
おとぎ話のような嘘だと思いたいけど、諸葛亮様が言うには本当だとか。
証拠もあるらしい。
私は、陛下と星彩殿に招かれた四阿でのんびりとお茶とお菓子を嗜んでいた。
さすがは皇帝に献上される食べ物だ、月英様が作ってくれるおやつの次に美味しい。
「、諸葛亮たちが帰還するようだ」
「へぇ、なんだか聞いてたよりも予定よりも早いような?」
「街亭で良くないことがあったと文には書いてあったが・・・」
「ふん・・・? なんか天水の白鳥でしたっけ? すごい才人を仲間にしたとは聞きましたけど、実は性格悪い子だったんですかね」
「ふむ、それは麒麟児ではないかな? は面白いなあ」
「あ、それです陛下、麒麟麒麟! ところで麒麟ってどんなの?」
「まさか殿、麒麟児を獣と思っているのでは・・・」
「やだあ星彩殿ってば、さすがの私もそんなに凡愚じゃないですって!」
「そうですよね、安心しました」
「ははは、星彩も冗談が言えるのだなあ」
北から帰ってきた諸葛亮様たちの顔色は悪かった。
兵の数も減っていて、皆疲れ切っていた。
陛下に報告した後で邸に帰ってきた諸葛亮様は、一気に老け込んだように見えた。
おかえりなさいと出迎えた時の表情は、今まで見たことがないものだった。
ほっとしたような顔をした後に、罰が悪そうに下を向いて。
諸葛亮様は、何か私に隠し事をしていると直感でわかった。
諸葛家に引き取られて、初めて居心地が悪いと思ってしまった。
それで思わず邸を飛び出して、逃げてしまった。
待ちなさいと叫ぶ月英様の声も聞こえないふりをして、背を見せて走り去ってしまった。
逃げ場所なんてどこにもない上に私の考えなんて諸葛亮様にはお見通しなので、すぐに見つかっちゃったけど。
「」
「あ、もう見つかった」
「不安な思いをさせてしまい申し訳ありません。ただいまと言わせて下さい」
「真面目ですね、諸葛亮様」
「ええ、私はいつも真面目です」
「疲れてるのに、追いかけさせてごめんなさい」
北伐の間、毎日通って無事を祈っていた古い社の岩に並んで腰を下ろす。
改めて見た諸葛亮様の顔は先程よりも苦しそうで、北伐帰りの中年男性に強いる散歩ではなかったなと反省する。
ここに来る途中で諸葛亮様が動機息切れで倒れたりしなくて良かった。
危うく私が蜀の社稷を倒した大罪人になるところだった。
諸葛亮様を危険に晒したら、いったいどんな罪状になるんだろう。
打ち首もありそうだ、諸葛亮様の代わりはいないんだから。
考えていたらなんだか首元が寒くなってきた。
諸葛亮様の顔色も相変わらず悪いし、良くない考えはこれきりにしよう。
諸葛亮様は北伐中の成都や私の周辺で起こった出来事をひとしきり聞き終えると、ふふと声を上げて笑った。
「は毎日ここを訪ねてくれていたのですか?」
「はい! 諸葛亮様と月英様、趙雲様とか張苞殿が無事に帰って来れますようにって雨の日も風の日も来てました!」
「ありがとうございます。ですが、単身で城外に出るのは少々不安です」
「と星彩殿にも叱られたので、趙雲様のご子息たち引っ張ってきてました。あの2人は趙雲様に似て将来美丈夫ですよ!」
「趙雲殿には重ねてお礼を言っておかなければなりませんね。ところで、今回の北伐が失敗したことは聞きましたか?」
「あんまり聞いてないです」
国家にかかわる話は、名指しされない限りは市井の人々と同じ程度の話題しか耳に入れないと決めている。
誰かに言われたわけではないけど、そちらの方がいいのかなと勝手に考えたからだ。
陛下は私の態度について何も言わないし、たぶんこれが正解なんだろう。
私の発言に、諸葛亮様の表情がまた曇る。
うーん、これはもしかして私が世間知らずの凡愚って思われてる?
「諸葛亮様、何か私に隠してます? 言わない方がいいことならそのまま黙ってくれてていいんですけど」
「は敏いですね」
「ありがとうございます! うーん何だろ。あっ、司馬懿殿が私のこと話してたとか!」
「会っていません」
「そりゃそうですよね、総大将同士が会うわけないですし。そういえば諸葛亮様、丞相じゃなくなるって聞きました」
「・・・ええ、街亭での敗北の責任を取って」
「そうなんですか。じゃあしばらくは一緒にゆっくりできますね!」
街亭で良くないことがあったとは、陛下も言っていた。
何が良くなかったのかはまだ知らないけど、総大将たる諸葛亮様が罪を被るくらいなのでよっぽどのことがあったんだろう。
馬謖が、と諸葛亮様がぼそりと呟く。
馬謖殿は諸葛亮様お気に入りの謀将で、今回の北伐でも重要な任務を任せるつもりだと出陣前に嬉しそうに話していた。
そういえば諸葛亮様たちが帰還してから馬謖殿を見てないけど、別働隊なのかな。
さすがは諸葛亮様の一番弟子だ、一軍を任せられるなんてすごい。
私が諸葛亮様と食べるお昼のついでに馬謖殿の分も作っていたという作為的なものだとしても、同じ釜の飯を食べた仲として私もなんとなく嬉しい。
「馬謖殿がどうしました?」
「街亭で敗北した責任を取って、彼は私が斬首の刑に処しました」
「へ? あ・・・、あーそれで帰ってきたんですか! だから馬謖殿いなかったんだ、なるほど」
「は私のことを、これまでと同じように接してくれますか?」
「え、何言ってるんですか。当たり前じゃないですか、諸葛亮様だーい好き」
やだ、諸葛亮様が今にも泣きそうな顔をしている。
やっぱり悔しくて悲しかったのかな。
そうだよね、だって馬謖殿は諸葛亮様が特別目をかけてた大切な弟子だったんだもん。
麒麟児とやらが代わりになるような、そんな簡単なものじゃないもんね。
私は諸葛亮様の震える手にそっと自分の手を添えた。
諸葛亮様につられて私も震えて泣きそうだ。
差し入れを作る日は、もう二度と来ない。
そんな高いところ、私はいけない