私の夫が失恋しました




 諸葛亮が出仕しない。
いつもは時間よりも早く席に就いている彼が、定刻になっても顔を見せない。
ややあって困り顔の月英の訪問を受け入れた劉備は、彼女の口から聞かされた真相に眉根を寄せた。


「諸葛亮が不調? 何か良くないものでも食べたのだろうか?」



 私の食事に不手際はありません。
月英の毅然とした抗議に慌てて拾い食いの可能性がと取り繕った劉備は、不在でぽつんと空いた席を見やった。
仕事のしすぎだろうか。
そういえば赤壁から戻っての諸葛亮は、どこか遠い目をして北を見ていた。
訳もなく羽扇を凪いだりして、少々感傷的になっていた気もする。
まるで恋に破れた少年のようだった。
ぽつりと呟いた劉備は、ご賢察ですと応えた月英の言葉にえぇと素っ頓狂な声を上げた。
主の声を聞きつけ、義兄弟や趙雲も駆けつける。
わかった、わかったから武器はとりあえず収めてくれ。
血気盛んな猛将たちを宥めると、劉備は月英に真相を尋ねた。



「その、奥方に聞くことではないと思うのだが、すまない・・・。興味が湧いた」
「孔明様と私には知己の娘がおります。徐庶殿と共に曹操の元へ向かったのですが」
「ああ、あの時の!」
「趙雲、覚えているのか?」
「私のことを美丈夫と称えた女人でしょう。随分な美女に褒められたものだと日記に書いたので」
「おめぇ日記なんて書いてんのか」
「私もうっすらとだが思い出したぞ。大層徐庶に傾倒していて、彼女がいるなら徐庶も大丈夫だろうと」



 新野の決して広くはなかった居城での出来事を思い出す。
苦しげな表情をしていた徐庶の隣に、言われてみれば確かに娘がいた。
元直元直と基本的に徐庶のことしか見えておらず、諸葛亮の知り合いだなど一言も言っていなかった。
諸葛亮には申し訳ないが、彼女にとってはその程度の存在だったのでは。
そも、諸葛亮はきちんと想いを伝えていたのか。
様々な失礼な疑念が生まれ、劉備はぶんぶんと首を横に振った。
傷心の軍師の心をさらに抉るようなことはしたくない。



「諸葛亮が殿を妙な好き方してるってのはあっしら司馬徽門下生じゃあ有名な話だったけどねぇ」
「でしたらなぜ殿に教えて差し上げなかったのですか」
「あっさり言っちゃ面白くないだろう? それに教えたところで理解する殿でもないだろうに」
「確かに、私も孔明様の恋路を少し楽しんでいました。龍の妻としてあるまじき行い、反省しています」
「澱んだ心は流してしまう方が良い。次の酒席には諸葛亮殿も呼んでみるか」
「おっ、いいじゃねぇか兄貴! 趙雲おめぇも来いよ、日記持って」
「わかりました。ですが、私が美丈夫と呼ばれたと知れば諸葛亮殿は良い思いはしないのでは?」
「趙雲殿、よっぽど嬉しかったのはわかったけど言わない礼儀というのもそろそろ知ってほしいんだがね」



 失恋の傷は酒で流して癒やすに限る。
大量の酒瓶を荷台に積み邸を訪れた一団を、諸葛亮がほんのりと赤らんだ顔で出迎える。
酒宴はとっくに始まっていた。




「話を聞くに、諸葛亮殿は今しがた恋に破れたのではなく初めから相手にされていなかったのでは?」「雲長!」「お、親分は言い寄られてばっかりだから負けた男の気持ちがわからないだけなんですよ!」



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