仮面だらけの社会人
良くない噂が流れている気がする。
気がするではない、確実に。
例えば角を曲がった先の給湯室で噂されている。
なぜわかるのかって?
その手の話はヒートアップすると声がどんどん大きくなるのだ。
当事者が今まさに給湯室に一歩踏み出していても気付かないくらいに、興奮気味に喚き立てられているのだ!
「魯粛さんマジヤバイって!」
「ほんとそう」
「ごほんごほん!」
「「あっ、さん!」」
魯粛さんは、隣のビルにお勤めのちょっとした有名人だ。
日替わりで顔のいい男の子時々おじさんを周りに侍らせ、日替わりで高級車を乗り回している。
魯粛さんやイケメン、おじさんとついでに車も含めて、真っ白な世界に身を置いていない・・・というのが給湯室ガールズの共通見解だ。
最近の女の子はみんな想像力が逞しい。
みんな、心の中にイマジナリー王子様をひとりや2人飼っていてもおかしくない夢見る乙女だ。
「さん、今日見た?」
「見てない」
「今日はおじさんだった~。あたし泣き黒子のお兄さん推してるのに」
「わかるー! あの人めっちゃ色っぽいよね! ウィンクがエロい!」
「お隣さんに何させてるの・・・。ご迷惑だって」
「お兄さんがやってくれるの! あーあ、魯粛さん紹介してくんないかなあ」
「ヤバめの世界の人ってさっき言ってたじゃん」
バレなきゃ良くない?とあっけらかんと言ってのける同僚のコンプライアンス意識に閉口する。
今の御時世、隠し通せるものなんてほとんどない。
お天道様は全部お見通しなのだ。
ひょっとしたら、この狭くてちょっぴり暑苦しいだけの給湯室にも盗聴器なんて仕掛けられているかもしれない。
魯粛さんならやりそうだ。
なんて言ったって、あの人は。
私は、魯粛さんトークが終わらない給湯室を後にした。
今日、どんな顔をすればいいのかまた鏡と相談だ。
バレてるかもですよと忠告すると、魯粛さんがハハハと鷹揚に笑う。
笑い事ではありませんぞと隣で渋い顔をしているのはおじさん、もとい呂蒙さんだ。
だから今日は車も地味だったんだなあ。
私は注がれたワインを一口だけ飲むと、お向かいの魯粛さんを見つめた。
「女の勘って鋭かったりするんですよ」
「の勘は当たった験しがないだろう」
「私は徹底的なリサーチをもって行動に移す頭脳派なので・・・」
「まずは殴って力試しと粋がっていたとは思えんな」
「む」
「やめんか、呂蒙。俺の可愛いを弄んでくれるな」
「いえ、そのようなつもりはなく」
呂蒙さんを横目に、ふふんと鼻を鳴らす。
呂蒙さんが当番ということは、今日は大事なお話だ。
若くて顔がいい男の子たちの出番はまだもう少し先、今はウィンクでも流し目でもいくらでも見せてあげてほしい。
「給湯室に1個ありました。どっちが仕掛けたのかな、わかんないです」
「徹底的なリサーチはどうした、リサーチは!」
「どうせ同じ穴のムジナだから、まとめてやっちゃっていいかなって」
「、お前のそういう剛毅なところは嫌いじゃない。だがもう少し用心してくれ、2人共という可能性もある」
「確かに。魯粛さんすごい」
「お前にそうまで褒められると気分も良いな。呂蒙、決行は3日後だ」
「は、すぐに準備に取りかかります」
準備があるからと出ていった呂蒙さんを見送り、魯粛さんと2人きりになる。
バレてるかもですよ、私との関係も。
誰もいないのに、魯粛さん以外誰にも聞こえないように囁く。
返答の代わりに握られた魯粛さんの手は、とても熱かった。
スパイごっこやってみたかった