火傷するほど愛してる!
約束を忘れていたのではない。
忘れていたのは想像以上に目まぐるしく過ぎてしまった時間だけで、決してと指切りした瞬間の記憶を消し炭にしたわけではないのだ。
朱然は、つーんとそっぽを向いたままこちらを一切振り返ってくれないの横顔を見つめた。
できれば今すぐに歩み寄りたいが悲しいかな、今のの周囲には見えないけれども確かに熱い炎が渦巻いている。
怒った彼女は、まるで炎で熱した直後の剣のように鋭くこちらの弱みを的確に抉るのだ。
ちなみにめちゃくちゃ痛い。
「あの、」
「・・・」
「孫権殿の酒に付き合っていただけで、との約束を忘れていたわけでは」
「知っています、陸遜殿が教えてくれましたから。大層お可愛らしい方と一緒に介抱されていたそうで、はて、一体その子は誰を見ていたのやら」
「俺が以外の子に同時に熱を上げることができるほど器用な奴じゃないって知ってるだろ?」
澄ました顔のの眉がわずかに揺れる。
の氷のように意固地な心が、ほんの少し溶けた気がする。
冷静に見えて案外情に流されやすいところが可愛いのだ。
他の連中の不純な狼煙に誘われたらどうしようと、酒宴の間ずっと心配していた。
殿は来ないのかと火照った顔の連中に何度も訊かれ、その度に今日は予定があるようでと答え痛飲し喉を焼いた。
予定とはずばりこの朱義封との逢瀬なのだが、主君の誘いを断ることはいくら学友の間柄でもできない。
親しい仲だからこそ特例を許してほしくない。
は世事にも通じた聡明な娘だから、約束を反故にしたことについては怒っていなかった。
はいったい何度こちらの心に炎を灯せば気が済むのだろうか。
毎日燃えに燃えている。
「ああ、俺はそろそろを溶かせただろうか?」
「は? まだ酔っておいでなら川にでも飛び込んでいただいて・・・」
「ああ俺はに酔っている! という熱に浮かされている!」
「・・・酔ってますよね。孫権殿の酒癖は聞いていますが、まさか朱然殿にまで酒毒が及ぶなんて・・・」
かわいそうに、お辛いのでしょう?
がようやく振り返る。
蕩けるような甘い笑顔ではなく、笑うことに失敗したような引き攣った面持ちで、彼女自身が張り巡らせた炎陣を乗り越え歩み寄ってくる。
思っていた表情とは少々様相が異なるが、今日のも愛おしい。
どんな色の炎も点火できるように、日々刻々と変わりゆくの移り気な心にも火を灯したい。
そして、ゆくゆくは2人でひとつの炎を育んでいきたい。
朱然は目の前にやって来たを包み込むように両手を広げた。
「ああ、やっぱり熱い吐息」
「にも伝わっているんだな、俺のへの熱い想いが」
「ええ、とても酒臭い」
広げた両腕の左側だけ、ぐいと両手で掴まれる。
えいっ。
愛らしい掛け声と共に視界がぐるりと一周し、気が付けば眼前には冷え切っているであろう朝の湖面が迫っている。
熱情に駆られやすい自分の様子を瞬時に見抜く、の凪いだ泉のような判断力を見習いたい。
派手な飛沫を上げ飛び込まされた湖面から見上げたの背後には、火柱が立っていた。
「寒い、寒すぎる!お前の熱で暖めてほしい!と言えばいいんだよ、そういう時は」「朱然殿を初めて師と仰ぎたくなりました」