死神の入城




 生まれて初めて見る洛陽は、とても華やかだった。
街ゆく人々が身につける衣装はどれも鮮やかな色で、流行の先駆けを感じた。
劉禅殿と星彩殿、ついでに私を乗せた小さな古ぼけた馬車が宮殿へ続く大きな門を潜る。
寄せられる視線はどれも厳しく、冷ややかだ。
当たり前だ、劉禅殿は国を守れなかった惰弱な皇帝。
そう思っているのは魏の人々と蜀だった地域に住まう人々だけだ。



「ははは、洛陽は広いのだなあ」
「そうですね。迷子になりそう」
「探索のしがいがあるのではないか?」
「確かに!」



 馬車が止まり、降りるように促される。
降りてぐるりと周囲を見回してみると、洛陽がさらに広く感じる。
ここから逃げるのは難しそうだなあ。
思わずそう呟くと、物騒な得物を携えた魏兵が口を開くな殺すぞと怒声を上げる。
ううわ、こわ。
敗残の民には独り言すら許されないとは思わなかった。
わかった、もう一生口利かない。
私は口を喋むと、そっぽを向いた。
顔を背けた先から女性が歩いてくる。
小柄で、とても綺麗で、でもちょっと厳しそうな人だ。
早足で歩いてきていた女性と目が合う。
私はまた別の方向へ首を向けようとして、殿なのと声をかけられ動きを止めた。



「あなたが殿?」
「・・・」
「子上殿から、劉禅と一緒に来ると訊いていたのだけど・・・」
「許してやってくれ。彼女はだが、先程そこの兵に口を開くなと言われてしまって喋ることができないのだ」
「そうなの?」



 困ったような、怒ったような顔で問いかける謎の美女に向かってうんうんと頷く。
戦士でもない殿に武器を向け脅すなど卑怯ですと、星彩殿が勇ましく抗議してくれる。
私がちょっと拗ねているだけなのに、最後まで星彩殿は本当に優しくて厳しいお姉さんだ。
大層な生活は送らなくていいから、星彩殿や劉禅殿と倹しく暮らしたい。
もちろんふたりのお邪魔はしないけど!
私は謎の美女から離れると、星彩殿にぴたりとくっついた。
謎の美女の眉間に皺が寄る。
美女の怒り顔は綺麗だけど、正直近寄りがたい。
この人が誰かも知らないし。
魏軍に知り合いはいないのに、みんなして私の名前を知ってて怖い。
まるで大罪人だ。
もしかしたら非国民とか裏切者とかいった罪状で、本当にそんな扱いにされているのかもしれない。



殿、兵の言うことなんて聞かなくていいの」
「兵は口を開けば殺すと脅していました。かわいそうに、殿は怯えています」
「・・・言ったの?」
「は、はい! この女が逃げるのが難しそうだと逃亡を示唆する発言をしたため」
「故郷を闊歩することの何が罪になるというの・・・。ごめんなさい殿、そんなことさせないわ。お願い、声を聞かせて」
「ははは、は意地っ張りだからなあ」
殿がここで意固地になると、劉禅があなたを人質に取っている、引き渡しを拒んでいると取られかねないわ。それは嫌でしょう?」
殿を脅すようなことを言わないで!」



 美女の言葉に、はっと顔を上げる。
わがままを言って困るのは私でも美女でも司馬一族でもなく、劉禅殿たちだ。
この人は、私が誰か知っている。
いつも冷静沈着な星彩殿が、珍しく激昂している。
私を抱く手も震えていて、心の底から怒ってくれている。
諸葛亮様と月英様が亡くなってからも、誰よりも親身になって優しくしてくれた星彩殿や劉禅殿をこれ以上苦しめてはいけない。
危険に晒してはいけない。
成都を出る前に会ったこともない劉備殿の廟、自刃したばかりの劉諶殿とご家族の遺骸が横たわる横で誓ったではないか。
劉禅殿と星彩殿は、何に代えても守ると。
私のちっぽけな意地で優しいおふたりを危地に追い込んではいけない。
美女の言うことは合っている。
そしてこの美女は、本当にその手段を取りかねない。
私は星彩殿の手を握った。
迷惑かけてごめんなさい、星彩殿。
私の言葉に、星彩殿が泣きだしそうな顔をする。
振り解く手が、もう二度と握ってもらえないであろう手がとても冷たい。



「劉禅殿と星彩殿には手を出さないで」
殿、行かなくてもいいの。いたいところにいればいい、劉禅様、そうですよね」
「星彩、を見送ってやろう。ここで暴れれば、の思いを無駄にしてしまう。、今までありがとう。元気に暮らしてほしい」
「おふたりも、ずっと守ってくださってありがとうございました。さようなら」



 あんなに気丈だった星彩殿の啜り泣く声が聞こえる。
もう後ろは振り向けない。
謎の美女がしきりに話しかけているけど、何も頭に入ってこない。
落ち込んでいる時でも当たり前に話ができるほど、私は頭の出来が良くない。
初めての故郷の地は、広いだけでとても冷たかった。




「義姉とも名乗れなかった・・・」「もうどうすりゃいいのかわかんねぇな」



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