妻のご近所さんの挙動が怪しいです
元直の妻になってしばらく経った。
元々一緒に住んでいた押しかけ女房だったので、変わったことはあまりない。
寝所が一緒になったくらいで、相変わらずふたりっきりの静かな生活が続いている。
3人家族になりたいなと思う時はもちろんあるけど、そればっかりは私の一存で叶う夢ではない。
試みてはいるけれど、兆しはまったくない。
元直と夫婦になるまで、実は2人で揃って街へ出かけたことはなかった。
「夫婦でもないのに出歩いて噂でも立ったらに申し訳ない」といかにも正論じみた暴論を押し並べ、私とのおでかけを拒み続けていた。
意外と硬派な元直もかっこいい。
「だったら他人の夫やってて子どもまでわんさかいる司馬懿殿と毎日お茶してた私は何だって話なんだけどね」
「君が鈍感で良かったと、俺はこれまでに何度思ったことか・・・」
「軍師が何考えてるかなんて、私の頭でわかるわけないじゃん」
「そうだね・・・。ところで、今日は何が欲しいんだい?」
「鏡! こないだ雷にびっくりして割っちゃってそれっきりなの」
「ええ・・・、怪我がなくて良かったよ」
むかしむかし、隆中の庵は諸葛亮殿と月英殿が住む前は私の家だった。
人も住めないようなボロ庵を高値で売りつけられたのが、月英殿の父の黄承彦殿こと黄家のおじさんだ。
私は、無理矢理買わされたボロ庵にくっついていたおまけだった。
黄家のおじさんは売人と縁戚とは思えないくらい善人だったから、廃墟に捨てられていた私を見捨てることができなかったんだろう。
売買がされたのが雷雨が激しい日だったから、私はそういう日はあまり好きじゃない。
ちなみに私ごと売りつけた相手は今は曹操様の下で働いているらしいけど、まさか私が今は元直の妻として慎まやかに許昌で暮らしているとは思いもしないだろう。
というわけで、何もかも全部内緒にしている。
女の子は少し影と謎がある方が美しさが際立つのだ、たぶん。
「、そういう大切なことはもっと早く言ってほしい。俺は君に不自由をさせたくない」
「別になくても困ってなかったからな~。強いて言うなら、今日元直に誘われて身だしなみきちんと出来てるかじっくり確認できなくて不安だった」
「はいつでも素敵だよ」
「やだぁ、元直ありがとう~!」
ぎゅうと腕にしがみつくと、元直がぴしりと固まる。
往来だよと慌てたような声が聞こえるが、こんなに人通りが多い街中なのだ。
みんな自分の買い物に夢中で、他人の逢瀬なんて見てやしない。
そうでなくても私たちは、華やかで賑やかな許昌の城下では地味なのだ。
存在すら認知されていないかもしれない。
「でもすごいな、さすが許昌だ。新野とは品数が違う」
「あ、見て見て元直。この髪飾り素敵ね、造りが細かくてとっても綺麗」
「本当だ、によく似合う。すみません、これください」
「えっ、いや違うよ元直! 今日は鏡買ってくれるんだから、こんなの買ってたら・・・」
「いいんだ。その、妻にはいつでも明るく綺麗でいてほしいから、これは俺のわがままだ」
「元直~~!」
手渡された髪飾りを、早速元直が髪に挿してくれる。
よく似合ってるとはにかみ笑いながら言ってくれるけど、残念ながら私の目では何ひとつ確認できない。
女慣れしてなさそうな元直だから変なとこに挿してないか、ちょっとだけ不安だ。
やっぱり鏡も早く揃えてもらおう。
人混みをのんびり歩きながら、実は以前から目星をつけていた装飾品店へ元直を連れて行く。
難しげな顔をしている見知った顔を店頭で見かけ、私は思わずあぁと叫んだ。
「あれ、司馬懿殿!」
「・・・か?」
「司馬懿殿もお買い物ですか? 何買ってるんです? あ、鏡? へぇ~それも素敵!」
「こういうものが好きなのか?」
「映せればなんでもいいですけど」
「ふっ、お前らしいわ。ここであったのも何かの縁だ、これは私からお前に・・・」
「、そんなに走ったら危ない・・・。・・・司馬懿殿」
「お店でちょうどばったり! 司馬懿殿も鏡買いに来てたんだって。奥様にかな、やっさし~」
「そうだといいけど」
「元直?」
元直が怖い顔をしている。
怖い顔をしている元直と、気まずそうな顔をしている司馬懿殿の間に私が挟まれている。
私が一番居心地が悪いと、2人とも軍師なら気付いてほしい。
私は元直にぴたりとくっつくと、早く買ってと焦れた声を上げた。
まあ、旦那様が手鏡を買って来て下さるなんて珍しいこともあるものね