迷える少女 2
がマルチェロと出会って数ヶ月が過ぎた。
彼女は、マイエラ修道院の近くの掘っ立て小屋に住んでいた。
この場所は元々は農具置き場だったようだが、この場所をマルチェロから紹介された次の日には、既に人が住めるような小奇麗な家となっていた。
何がどうなってこんな家になったのかはは知る由もなかったが、他に行く当てもない彼女は、彼の好意に甘えて暮らすようになった。
は修道院の近くに住む際、マルチェロと約束していることがあった。
1つは修道院に近づかないこと。
これはおそらく、彼女と修道院の出会いが最悪だったからだろう。
もっとも、彼女はもとより修道院に近付こうなどと思っていなかったのだが。
2つ目はマルチェロとの関係を他人に知られないようにすること。
変な噂が立てられたら両人にとっては困るのである。
最後に、魔物と出会いそうな危険な森の中などには間違っても入らないこと。
に戦闘能力はない。
未知の力が隠されているのかもしれないが、だからと言ってわざわざ危険な所に赴く必要はないのだ。
マルチェロにしてみれば、せっかく自分が珍しくも人の話を素直に信じて住む所まで与えてやったのに、
そんな彼女がむざむざ命を落とすようなことでは、その行為自体が無駄になると思っているからであった。
もっとも、にしても自分が戦いに不向きなことぐらいは弁えているので、もちろん言いつけを守った。
がこの小屋に住むようになってから、マルチェロは足繁く彼女の元に通うようになっていた。
初めは様子伺いだったのだが、今では彼女たっての希望もあって、呪文を教えたりしている。
にはどうやら呪文に関して天性の才能があり、彼が一度教えたことはほとんど次の日にはマスターしているのだった。
そんな出来の良い彼女が生徒なら、教師役のマルチェロも俄然教える気が出てくるというもので。
そんなこんなで彼も誠意を持って、毎日毎日飽きることもなくに会いに行っているのだった。
そんなある日、はいつものようにやって来たマルチェロに言った。
「マルチェロさん。私、呪文上手くなったでしょうか」
普段の控えめな彼女からは到底想像できないような質問。
確かにの魔力は並大抵の力ではないことも、マルチェロは薄々気付いていた。
聖堂騎士団の隊員、あるいは自分と変わらないかそれ以上。
もちろん彼女の魔力でも充分対処できる程度の呪文しかまだ教えていないが、それでもこの近辺の魔物たちとなら、互角に戦うこともできるだろう。
惜しむらくは打撃力がないことなのだが。
「まぁ、初めに較べると少しは上達したようだな。だがそれがどうした。どこか遠出でもしたいのか? それなら私が一緒に・・・」
マルチェロはが呪文を学びたいと言ってきた時に与えた杖があった。
それは火山の威力を永遠に秘めていると言われる貴重な物で、世間では『マグマの杖』と言われている。
「違うんです。私、ここを出ようかなと思ってるんです。ほら、私は気が付いたらこの修道院にいたっていうものすごく変な女です。
だからかもしれませんけど、私は本当は自分が何者なのか知りたいんです。
町で聞いたんです、最近魔物たちが少しずつ強くなってるって。きっとこの世界、何か変なんです。
私は、確かにここにずっとお世話になっていたら世の中の危険から逃れることができるかもしれない。
でも、私はやっぱり外に出て、自分の正体と広い世界が見てみたいんです。
旅をしているうちに私のことを知っている人にもしかしたら出会えるかもしれないし、ひょっとしたら家族だっているのかもしれない。だから・・・」
恐れていた言葉が次々にの口から紡ぎ出されてくる。
いかに他人に冷たい人間と言われているマルチェロにだって、心はある。
そんな彼の心は、この訳のわからない成り行き上であった少女に惹かれていた。
それは彼が初めて味わう感情だった。初めはほんのふとした事がきっかけだったのだ。
呪文を教えに来るようになってから、一生懸命に少しでも多くのことを学び取ろうとする、彼女の姿を見て心が温かくなってきたのだった。
そしてそれはすぐに愛しいと思う気持ちに変わっていった。
しかし、その想いを彼がに伝える事はなかった。
いつか必ず彼女との別れの時がやって来るとわかっていたから。
例えば呪文を習いたいと言ってきた時。
そして、外の世界について執拗に彼に話をせがんだ時。
それらの行為は、今彼女が言った言葉の伏線になっていたのだ。
本当はどこにも行ってほしくない。
ずっとこのまま、自分の手が、目が届くところで彼女を見ていたい。
マルチェロはそんな女々しいことを考えている自分が信じられなかった。
どうにもならないことを覆そうとする自分に腹が立った。
それは彼女に対する言葉に表れた。
「お前がどこに行こうと私には関係ない。私はお前などに構っているほど暇ではないのだ。
ここを出て行きたいのなら今すぐにでも出て行け。私は忙しいのだ」
全て心とは真逆の言葉。
止めようと思っても、言うことを聞かない口は次から次に彼女に辛い言葉を浴びせていった。
暇があると言うわけではない。
はあまりの彼の言いように口を噤んだ。
そして一言。
「私のためなんかに大切な時間を使わせてしまってごめんなさい・・・」
そう言い残して部屋の奥へ引っ込んでしまったの姿は、マルチェロにはとても遠くに見えた。
翌日、マイエラ修道院は炎に包まれた。
それは、マルチェロとの別れの時であり、彼女が旅人たちに出会う時でもあった。