猫の日
トーポはじっと眼前の敵を睨みつけていた。
一瞬でも気を緩めれば、たちまち奴の餌食になってしまう。
逃げ出すこともまた同じで、背を向けた途端に襲いかかられるに違いない。
フーッと相手が毛を逆立てて威嚇してくると同時に突進してきた。
トーポは華麗に攻撃をかわそうと動いた。
こんななりをしているがその実体は泣く子も黙る竜神族の長老衆の1人。
そんじょそこらの猫なんぞに負けるわけがない。
だから、グキッと前脚から妙な音がしたのは彼にとっては大きな誤算だった。
「ヂュ!?」(ぎっくり腰か!?)
よろよろとその場に崩れ落ちたトーポを黒い物体が襲う。
わしこんな所で食い殺されるのかのうと人生を儚んでいると、駄目ですよっと叫び声が上がった。
ふわりと柔らかい手に抱きかかえられ、下からはニャアと怒る鳴き声が聞こえる。
「このネズミは食べちゃだめ! ほら、向こうに美味しい魚が住んでる池があるでしょ」
は今まさにトーポを食い殺さんとしていた猫を、極めて優しく追い払った。
旦那の祖父が猫に嬲り殺しにされたなどあってはならない。
いくらネズミの姿をしているとはいえ、トーポは魔物も恐れる(であろう)竜神族なのだ。
「大丈夫ですかおじいちゃん」
「チュウ・・・・・・」(すまんのう・・・。ぎっくり腰だったんじゃ)
「あの猫、いつもは聞き分けがいいんですよ?
人懐っこいし、でもやっぱり動物の本能には負けちゃうんでしょうねぇ・・・」
「チュ、チュウー」(し、仕方あるまい)
と一緒にいた方が安全ですよというと、はトーポを腕に抱いたまま家へと歩き始めた。
この器量良しで可愛らしくて滅法強い嫁がトーポは大好きだった。
でかした孫よと肩か背中を叩きたいぐらいである。
「今日の夕飯はチーズフォンデュにしましょうか。もおじいちゃんも大好きですもんね、チーズ」
「チュー!!」
(何が『チュー』だあのネズミじじいが! いつか絶対仕返ししてやるんだから覚悟してろ!)
の背中をずっと睨みつける目があった。
先程に追い払われた猫である。
あと少しで美味しそうなネズミを仕留めることができたというのに、あの女のせいで食べ損なった。
あれほど栄養価の高そうなネズミは他にいないというのに、だ。
気に食わないのはこれだけではない。
いつもかっこいい兵士といちゃいちゃべたべたしやがって、同じ女として羨ましいことこの上なかった。
ちょっと可愛く生まれたからって、なんだこの不公平は。
猫は逆ギレに近い怒りに籠もった瞳を空に向けた。
いつの間にやら暗くなっていた夜空にキラリと流れ星を見つける。
(あの女に不幸が起きますように。そして私があの女のようになれますように!!)
流れ星が、ひときわ大きく輝き落ちていった。
同じ頃、はとトーポと一緒に食卓についていた。
今日あったトーポ襲撃事件について話すとは眉を潜めた。
「おじいちゃん、あまり無茶はしないで下さいよ? 僕もも気が気でないんだから」
「チチュー」(わしも年ということかのう・・・)
「が猫に引っかかれでもしたらどうするんですか」
「チ・・・」(そ、それは・・・)
「、おじいちゃんを脅しちゃ駄目だよ。それに猫に引っかかれたぐらいなら大丈夫だっ・・・!?」
びくりとの体が震えた。
心なしか顔色も悪くなっている。
何か急に具合でも悪くなったのではと、はテーブルから身を乗り出した。
どうしたのと尋ねるとなんでもないと首を横に振る。
「ちょっと寒気がしただけ。もしかしたら今日の猫に恨まれてるのかも」
「そんな酷いことする猫なら、僕が遠くに追い払ってあげる」
「例えばの話だよ、もう・・・」
いきり立ったを見て、とトーポは顔を見合わせて笑った。
鳥のさえずりが真上で聞こえて眼を開ける。
いつもこれほど近く大きく鳴き声を感じたことがあったかなと、起きたばかりの頭で考える。
むくりと起き上がって辺りを見回す。
一度目を閉じて深呼吸を2,3度繰り返し、再び眼を開けた。
ベッドがない、壁がない、ここは家じゃない。
そういえば木々がやたらと高く見え、遠くには自分が寝ていたはずの家がある。
いったいどうしてしまったのだろうか。
は頬をつねろうとして手をかざし、唖然とした。
なんだこの手は、肉球なんて人の姿をしている時ついていただろうか、いやなかった。
「ニ・・・ニャ!?」(ど、どうしちゃったの私!?)
人語を喋ったはずがニャーと聞こえた。
嫌な予感がしてもう一度喋ってみる。
ニャーとしか聞こえない。
の顔から血の気が引いた。
急いで中庭の噴水まで走り水面に姿を映す。
黒目の可愛らしい猫と対面し、はいよいよ泣きたくなってきた。
(私猫だ、しかも昨日の猫だ・・・)
そこまで考えてはっとした。
今、自分の中に入っているのは猫だということになる。
トーポをしつこく追いかけまわし、おそらくは自分を恨んでいるであろう猫だ。
何も知らないが見たら結構な確率で幻滅される。
トーポをいじめたり最悪ネズミ鍋でもしようものなら、確実に焦がされる。
「ニ、ニャニャニャニャ・・・」(ど、どうしよう・・・)
はとりあえずの家へと走り出した。
もしかしたらは気付いてくれるかもしれない。
ずっと一緒にいるのだから、きっとわかってくれる。
むしろ何の疑問も抱かずに受け入れられた時の方がショックは大きい。
は猫になってもしっかりと備わっていた魔力を使い、2階の部屋を覗ける木の枝へと移動した。
すやすやと気持ち良さそうに眠っている(中身は猫)がいる。
余計なことをせずにいっそのことずっと眠っててくれないかなと念じてラリホーマを唱えると、はぱちりと目を開けた。
そして窓の向こうにいる猫を見てニヤリと笑う。
隣で寝ているを起こさないように足音を立てずに窓に近づくと、もう一度にやっと笑い猫の身体を乱暴に掴み上げた。
今は違うが元々は彼女自身の身体なのだ、もう少し丁寧に扱ってくれてもいいじゃないか。
「ニャ!?」(何するの!?)
「ざまあみろ♪」
やめて私の声でそんな言葉使わないでと叫ぼうとした瞬間、は固い地面へと落とされた。
待って、ここは2階なのこんな所から落とされたら骨を折るどころじゃ済まないって・・・!!
ニャーとを起こしてしまうぐらいの大きな悲鳴を上げて地面へと落ちる。
あぁもう駄目だ私猫の身体のまま死ぬのか・・・。
もう少し、いや、まだあと何百年か長生きできると思っていたのにあっけない人生だった。
今日までの思い出が走馬灯のように駆け巡る。
ぼふっと音がして骨ばった何かに抱きかかえられた。
固いには固いが、地面ではないようだ。
は恐る恐る目を空けた。
ばちりと濃紺の色を宿した瞳と目が合った。
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