猫の日 3





 はショックだった。
マルチェロに保護されてからも、にわかってもらえなかった悲しみに打ちひしがれていた。
は私のどこを見ていたのだろうか。
もしかして見た目だけではないか。
そう思うとさらに悲しくなってきた。涙が出そうである。




「泣くな。あの節穴もいずれわかるだろう」


「ニャ・・・、ニャニャニャニャ・・・」(でも、私マルチェロさんよりもと一緒にいた時間の方が長いんですよ・・・)


「あの猫がお前の家のネズミを脅かす日もそう遠くはないはずだ。だからそれまでは私の元で大人しくしていろ」





 寂しげに鳴くを見てマルチェロは不思議な気分になった。
何が悲しくて猫と会話をせねばならないのだろうか。
言っていることもよくわからないし。
傍から見れば猫に話しかけている不審者だ。
あのいけ好かないにからかわれる可能性は充分にあった。
マルチェロはちらりと猫を見やった。
誰に何と言われようが笑われようが、今彼女を救えるのは自分しかいなかった。
元々守ろうと思っていた人物は彼女ただ1人だと思っていたし、丁度いいではないか。
随分久し振りに、いや、初めてかもしれないが騎士としての血が騒いだ。
マルチェロはを抱き上げると、真っ黒な瞳をひたと見据えた。





「安心しろ。私が必ずあの馬鹿の目を覚まさせてやる。猫の姿になろうと、私がお前を守ろうという気持ちに変わりはない」


「ニャニャア・・・!!」(マルチェロさん・・・!!)




 頼もしいマルチェロの言葉に、は思わず頬を紅く染めたのだった。


























 は困惑していた。
あれ、僕の奥さんってこんな人だったっけと何度も確認していた。
たとえば食事の時だ。最近のスープとか、なんだかとてもぬるい気がする。
家事に疲れて手を抜いているだけだろうか。
それとも食べ物の好みが変わったのだろうか。





、なんだかこのスープ、ちょっとぬるくない?」


「そう? 私猫舌だからこのくらいが丁度いいんだけど」


「猫舌、だったんだ・・・」


「うん」


「あと、さ。最近魚ばっかりじゃないかな。僕チーズフォンデュとかシチューとか食べたいな。そっちの方がおじいちゃんも喜ぶし」





 ぐずぐずと口答えする青年には舌打ちした。
むしろこっちがおじいちゃんと呼ばれるネズミを食ってやりたい気分だ。
料理してやってるだけでもありがたいと思え。
夜一緒に布団に入ってやっているだけでも幸せと思え。
は本物ではとてもしないような苦々しい顔をしてそっぽを向いた。
それに驚きショックを受けたのはである。
が、あろうことか目の前で舌打ちをした・・・!!
いや彼女は目の前でなくても舌打ちも、あんな顔もしないはずだ。
やり方すら知らないと思っていた。
いったい彼女はどうしてしまったのだろうか。
愛想を尽かされてしまったのだろうか。
トーポの世話も良くしてくれていないのか、最近は祖父も冷ややかである。
ちょっと距離を置くべき時期になってしまったのかもしれない。
やはりここはすっぱりサザンビークへ行くべきなのか。
急に帰りたくなくなった自宅のことを思い出し、ははあーっと大きくため息を吐いた。
と同時にばこっと頭に書類の塊が振ってくる。





「しけた顔をするな、真面目に仕事をしろ」




 頭上から情け容赦ない言葉も降ってくる。
悲しいかな、にはろくな相談相手がいなかった。
未婚の同僚にも、こればっかりは助言を乞うことができない。






「マルチェロさん、最近と会ってます?」


「用がない者に会う必要も時間もない」


「ちょっと前はよーく会ってたじゃないですか。・・・、少し変だと思いません?」





 のしょんぼりとした声にマルチェロと、彼のポケットの中のはどきりとした。
遂に気付いてくれたのか、いや、そうに決まっているとは勝手に信じ込んだ。
はぼそぼそと話し始めた。
ほとんど独り言のような文句のような、とにかくに対する愚痴だった。





「家帰っても前みたいにおかえりって笑顔で出迎えてくれないし、もちろんただいまのキスもさせてくれないし。
 料理の腕も落ちて、しかも全部ぬるいからさらに美味しくなくて。
 夜も嫌だって言うしそっけないし、あぁツンデレに目覚めちゃったのかなぁ・・・」



(・・・毎日お前はそこまでこの男に尽くしているのか!)


(うっ・・・)





 別にマルチェロとテレパシーができるわけではないが、少しの間一緒に暮らしてきたおかげか、彼の考えが読めるようになってきていた。
そのため、マルチェロの無言の怒りに気付いたは身を縮めた。
もう余計な惚気言わないでと切に願いながら。
チチューと鳴き声がしての服のポケットからトーポが顔を出した。
きょろきょろと辺りを見回し、マルチェロの足元へ走ってしきりに鳴く。
駄目だよトーポと捕まえようとするの手をすり抜けたトーポは鳴き続けた。





「チュウー!!」(黙っておれ馬鹿孫!!)


「ニャ!?」(おじいちゃんにそんなこと言わないで!?)


「チュウチュチュー!」(わしは悲しいんじゃ。が偽に気付かんということが!)





 いつの間にやらポケットから飛び出し、マルチェロの足元でトーポとチューチューニャーニャー喚き始める。
嘆き悲しむネズミを猫が慰めるといった光景にはきょとんとした。
あの猫っていつだったかおじいちゃんを襲ったって奴じゃなかったっけ。
猫とネズミがあんなに仲良くしてていいものか。
というか仕事に持ち込むほどマルチェロさんあの猫気に入ったの!?
それにあの猫、なんだかよく見るとものすごく可愛い顔してる。
は恐る恐る猫を抱き上げた。
真っ黒な瞳が誰かを髣髴とさせる。





「マルチェロさん、この猫なんて名前なんですか?」


「ない。いつもおいとかお前で呼んでいるから必要ない」


「そんな奥さんじゃあるまいしやだよねぇ?」


「ニャア・・・・・・」(私の奥さんなんだけど・・・)


「ヂヂュウ!!」(そうじゃそうじゃ! この節穴がっ、なぜ他の男がすぐにわかったもんを夫が気付かんのじゃ!!)






 再び騒ぎ始めたトーポを宥めるべく、の手から逃れた。
落ち着いておじいちゃん血圧上がっちゃいますよと必死に怒りを静めさせる。




「はあ・・・・・・。マルチェロさん、僕やっぱりサザンビーク行きます。ちょっと最近家にも帰りたくないし・・・」


「私情を挟むな馬鹿者」




 行っても行かなくても所詮は怒られる運命にあっただった。





































 サザンビークに行ってくるよと言うの申告に、はそうと答えた。
サザンビークとやらがどこにあるのかも知らないし、あまり興味も湧かない。
初めは若くてかっこいい青年との生活に憧れていたが、あまりにベタベタしつこいので嫌気も差していた。
それに比べて向こうはどうだ、なかなか幸せそうではないか。
やけにそっけない男に拾われ、ぬくぬくと暮らしている。
もしかしたら奴の方が幸せかもしれない。
これでは何のために流れ星に願掛けしたのかわかったもんじゃない。
の顔を見もせずに行ってらっしゃいと告げただったが、に強引に顔を向けさせられた。






「何?」


おかしいよ。家事に疲れたの、僕のことが嫌いになったの?」


「別に・・・。食事とか作るのめんどくさい」


「な・・・っ!? ほんとにどうかしたの、僕いい加減怒るよ!?」


「勝手にすれば?」





 ぱしーんと乾いた音が部屋に響いた。
何事かと思い駆けつけたトーポが見たのは、赤く腫れた左頬を押さえたと今まさに平手打ちしましたという格好で突っ立っているだった。
これはまずい、入れ替わりが直る前に2人の仲が壊れてしまう。
トーポはテーブルの上に置かれていたキメラの翼をくわえるとにぴたりと寄り添った。
青白い光に包まれ、ようやくはトーポの存在に気付いた。
どこに連れてくのおじいちゃんと叫んだ直後、彼の目の前には竜神族の里が広がっていた。





「どうしたんですかおじ「この馬鹿孫が!!」




 竜神族の姿になったグルーノは開口一番を怒鳴りつけた。
馬鹿といわれ唖然としている孫に向かってさらに言葉を連ねる。





「あれはではなかろうが! なぜ気付かんのじゃ。少し考えればわかるじゃろうが!
 はあの男の元にいる猫と中身が入れ替わっとるんじゃ!」


「え・・・? じ、じゃあさっきぶったのは猫ってこと・・・?
 マルチェロさんとこにいるのが・・・? なんで」


「理由など知らん。泉の水でも飲ませれば治るじゃろうて。しかし本当にお前の目は節穴か!?」





 言われて初めて気がついた。
でも、動物語がわからない僕に気付けっいうのは少し無理な話じゃ・・・。
そう反論すると、あの男は一目見て気付きおったと言われた。
まさかそんな、マルチェロさんはすぐにわかった?
はその事実に何よりも衝撃を受けた。
一体あの猫のどこを見ればだとわかるのだろうか。
雰囲気か、目か、それとも直感か。
はグルーノの肩に手を置くと力強くありがとうございますと告げた。
そしてすぐさま不思議な泉経由でトロデーンへと舞い戻りマルチェロを探す。
本物のは彼の近くにいるはずだ。
は彼が猫を傍に置いていた理由がわかった。
全ては彼女を守り、自分に気付かせるためだったのだ。
それならいっそのことさっさと事実を暴いてくれても良かったのに、それをしなかったのはやはりマルチェロだからだろう。






「あっ、マルチェロさ・・・・・・、!?」





 猫がびくびくと震えている。
震える彼女を庇うようにマルチェロが立ち、と対峙している。
そこどいてと鋭い声で叫ぶにマルチェロはできないと静かに答えた。
どきでもしてみろ、目の前でが絞め殺されるか窓から放り出されるではないか。
マルチェロはに冷ややかな視線を向けた。





の体から早く出て来い。お前のあるべき姿はそれではないだろう」


「何言ってんのばっかじゃない!?」


「ニャニャ!」(マルチェロさんにそんなこと言わないで!!)


「下がっていろ。全てはあの男が悪いのだ。あやつがさっさと気付かないばかりに!」





 マルチェロはそう叫ぶと入り口で立ち竦んでいるを睨みつけた。
マルチェロの言うとおりだった。
は猫の元へ駆け寄ると懐から水差しを取り出した。
不安そうに見つめる彼女にごめんねと言って水を差し出す。
にゃあと小さく鳴いて猫の姿をしたは水を口に含んだ。
と猫の体が真っ白な光に包まれる。
ざくりとの手に痛みが走った。
何だと思い手を見ると、猫に引っかかれたばかりの傷口から血が出ている。
ニャーと鋭い鳴き声がの足元から聞こえたかと思うと、するりとものすごいスピードで猫が外へと走り出した。
は猫を追おうとはしなかった。
あれはもうはではないからだった。






、どこか異変はないか?」


「はい、大丈夫です。本当にお世話になりましたマルチェロさん」




 背中越しにとマルチェロが言葉を交わす声が聞こえる。
は本物のへと向き直った。
と呼びかけるとなぁにと返事をしてくれる。
間違いない、だった。




「良かった・・・! ・・・その、気付けなくてごめんね・・・」


「うん。ちょっとショックだったよ。私のどこを見てたんだろうって」





 弁解のしようがない言葉には絶句した。
本当に取り返しのつかないことをやってしまった。
ひたすら謝って許しを乞うは笑いかけた。
彼がどれだけ後悔しているのかはよくわかった。
全ての元凶である猫がどこかへ行ってしまったため入れ替わりの原因は謎のままだが、そんなことどうでも良かった。
気付いてくれなかったことは悲しいが、再び人の姿に戻してくれたのはである。
怒りよりも感謝の思いの方が強かった。






「もういいよ。元に戻してくれてありがとう。これでまた一緒に暮らせるね」


「うん、うん、そうだよね、ずっと一緒にいるからね!
 ・・・あ、そうだマルチェロさん。僕やっぱりサザンビークには行きません」


「だから私情を挟むなと言っているだろう馬鹿者。、お前の夫は私が責任持って連れて行く。異存はないな?」


「はいありません。マルチェロさん、今度はをよろしくお願いします」





 猫事件でのへの本当のお仕置きは、サザンビークでみっちりと行われたのだった。



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