2.帝国来襲










 帝国っていうから、お城みたいな学校をイメージしていた私が馬鹿だった。
これじゃまるで要塞じゃん。
はでんと構える学校を見上げ、とてつもないアウェー感を感じていた。
突き刺さる視線がちょっぴり痛い。
早く渡すものを渡して帰ろう。
これなら修也の冷めた目を2時間ぶっ通しで浴びている方がましだ。
端的に言えばそうだ、この学校苦手、嫌いだ。
は勇気を振り絞ると、やはり恐ろしい目つきをしている警備員にあのと声をかけた。
用件を告げようとすると、すぐさま立ち去れと言われる。
気を取り直して落とし物がと続けると、部外者は帰れと叱られる。
ぷちりとの中で何かが切れた。




「人がせっかく学生証届けてあげたってのに帰れはないでしょ! オニミチくんの馬鹿、こんなもん燃やしてやる!」



 文句を叫ぶだけ叫び駆け去る。
何なんだあの学校、感じ悪いったらありゃしない。
人の親切を土足で踏みにじるなんて最悪だ。
どうせオニミチとかいう奴も大したことない、クズみたいな男なんだろう。
来て損した、たまには修也の忠告も聞いておくべきだった。
が猛然と帝国学園を立ち去った数十分後、行方不明となったまま見つからない学生証を案じ、悄然と帰宅の途へ就く少年が学校を出た。


























 ばしりと啖呵を切ったのはいいが、さすがに燃やしてしまうのはまずいだろう。
押しつけることもできずそのまま持ち帰ってきた学生証を手に、は電話帳を捲っていた。
オ行のどこを探しても見つからない。
奇妙な名前は電話帳にも嫌われているのだろうか。
というか、なぜ見ず知らずの少年にここまでしてやらねばならないのだ。
そう思うと、今こうして分厚いページを捲っているのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
やめた、もうやめやめ。そろそろ外も暗くなってくる頃だし、もう帰ろう。
学生証のことももう忘れたい。明日、交番に届けよう。
交通費にこれ以上お小遣いを使わないようにとぼとぼと歩道を歩く。
何度見ても変わらない壁にまで苛々してくる。
ここまで大きな家は要らないだろうに、これだから金持ちは。
壁が途切れ現れた門の隣の表札をはちらりと見やった。
拾った学生証を取り出し、表札と交互に見比べる。




「『オニミチ』って書いてある・・・!」



 ここに帝国学園のオニミチくんが住んでいるかどうかはわからないが、きっと親戚の1人くらいはいるだろう。
郵便受けに勝手に入れちゃっていいかな、さすがにインターホンを押す勇気はないし。
どうしたものかと門の前でうろうろしていると、おいと声をかけられる。
逆光で顔がよく見えないが、背格好はそこらの中学生とそう変わらないように見える。
彼がオニミチくんだろうか、帝国の制服がいまいちよくわからない。




「人の家の前で何をしている」
「・・・が」
「が・・・?」

「学生証を落としたオニミチくんですか・・・?」




 オニミチ、誰だそれは。
そうクールに決めたかったものの、いざ目の前に出された学生証が確かに『鬼道有人』と書かれたそれだと気付き、鬼道は名字の間違いを指摘することなく思わずそうだと即答していた。





























 「・・・そうか、わざわざ学校にまで・・・」




 お礼がしたいから上がっていけ、いいえお構いなくと門の前で押し問答送り返し結局押し切られたは、オニミチ邸にてもてなしを受けていた。
あまりに立派な応接間で、少々居心地が悪い。
客人にお茶やらお菓子やらを出させるどこぞの医者の家とは勝手が違い、早く帰りたい衝動に襲われる。
思った以上に帝国学園の生徒とかかわってしまった。
なんでこの人ずっとゴーグルつけてるんだろう。
疑問と後悔が頭の中でぐるぐると渦巻いている。




「学校の人に渡せば良かったんだけど追い返されちゃって、電話帳で探してもオニミチくんいなくて」

「・・・そうだろうな・・・」




 オニミチで探して見つかるはずがない。
なぜなら自分はオニミチではなくてキドウだからだ。
少し頭が悪い子なのだろうか。
友人は心配していないだろうか。
実は引き止めずにそのまま帰した方が良かったのかもしれない。
夜は物騒だ、女の子1人で外を出歩かせられない。
鬼道は、見ず知らずの他人にここまで優しくしてくれる少女を放っておけなかった。
たとえ名前を誤認識されていても、彼女だけに呼ばれる愛称だと思えば怒りも治まるというものだ。




「さて、そろそろ帰ろっかな。じゃあオニミチくん、今度は落とさないようにね」
「待て、送っていく」
「いやいいよ、うち遠いし」
「だったら尚更危ないだろう。引き止めたのは俺の方だし、せめて駅まで送らせてくれ」
「いやマジほんとに大丈夫だから」
「大丈夫なわけがないだろう」




 あ、もしかしてこの子は。
先程の門の前での攻防と今のやり取りで鬼道は気付いた。
強く押し切られると弱いのだ、彼女は。
控えめというわけではないのだろうが、究極的に人を困らせることはしない。
ギリギリのラインで相手の思いを汲んであげる優しい子なのだ。
帝国学園サッカー部を代表する天才ゲームメーカー鬼道有人は、目の前で悩み抜いている少女の性格を難なく看破した。
押しに弱いのならばとことん押し切るまでである。
しつこいと言われる寸前まで攻め立てるべきだった。
そうでもしなければやはり不安だ、道中交通事故にでも遭ったら大変だ。




「1人で帰して何かあったら困る。それほど俺が信用ならないのか?」
「不審者とは言ってないけど・・・・・・。一緒にいるとこ見られたらまずいっていうか・・・」




 どうしよう、この人しつこい。
まさか自分が豪炎寺修也の友人だと知っているから、ここまでしつこいのだろうか。
そうだとしたら、オニミチ君はサッカー部の人なのだろうか。
それはまずい、大変まずい。
ボロが出る前に早く退散せねば、本気で危険なことになる。
1人で夜道を帰るよりももっと危ない。
これ以上幼なじみを帝国に潰されてたまるか。
押し切られそうになるのを必死で堪えていたのポケットから、携帯のコールが鳴った。
発信者を見ると『修也』と表示されている。
どうしてこんな時に電話してくるんだ、馬鹿。
はオニミチにごめんねを前置きすると、もしもしと怒りの小声で囁いた。




『今何をしている。さっきおばさんからまだ帰って来ないと聞いた』
「オニミチくんとこにいるんだけど・・・」
『どうしてそうなるんだ。何してるんだ』
「や、帰りたいんだけどオニミチくんが意外に紳士的で、送るって言って譲らなくて・・・」




 電話越しに始まった説教をうんうんと相槌を打ちながら聞き流す。
お怒りはごもっともだ。
携帯電話を握ったまま立ち竦んでいるを不審に思ったのか、オニミチがとんとんと肩を叩く。
誰だと尋ねられうっと言い淀む。
両親とは会話の流れからして言っても信じてもらえない。
本名を出すわけにはいかない。どうしようどうしようどうしよう。
は咄嗟に彼氏ですと口走った。
口走ったがいいが、なんとも気持ちが悪い。
どうしてこうなった、この後もっと叱られる。
というか、別に幼なじみと言っても良かった。




「もしもし? あ、こっちの近くまで迎えに来てくれるの? さっすが優しい!」
『・・・わかったから、今すぐ出て来いわかったな』
「うんうん、じゃあまた後でね」



 ふうと一息ついて通話をやめる。
そういうことだから帰るねとオニミチに言うと、今度は大人しく引き下がる。
連れがいるとわかって安心してくれたのだろう。
最終的に聞き分けのいい人で良かった。
まったく、どいつもこいつも心配性だ、今日は修也に感謝するしかないが。




「そういうことだからオニミチくん、せっかくだけど私大丈夫みたい」
「そうか・・・。優しい彼氏だな」
「いや全然」



 あれのどこを見たら優しいと評されるのかわからない。
は門の外まで見送ってくれたオニミチに別れを告げると、一目散に駅へと走り出した。
本当に迎えに来なくていいと連絡するために電話をかける。
出てきた声はそれはもう恐ろしかった。
やばい、本気で怒っている。
ごめんごめんごめんと3回立て続けに謝罪の言葉を口にすると、そのまま通話を一方的に切る。
駅の改札で仁王立ちしている幼なじみが怖い。
背後に魔神のようなものが見えるのは目の錯覚だろうか。





「すみません・・・・・・」
「言いたいことはそれだけか」
「・・・修也の事は何も言ってないです・・・」
「・・・・・・もういい、帰るぞ」
「あと、口から出まかせにも程があって、言った自分が気持ち悪かった」
「それは俺の同じだ」




 突き刺さる言葉が痛い、視線が痛い。
オニミチくんの方がだいぶ優しかった気がする。
はこちらを顧みることなく電車へ乗り込む偽称彼氏を小走りで追いかけたのだった。







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