父のことは嫌いではない。
この世のどこに、家族を嫌い疎ましく思う人間がいるというのだ。
だが、嫌いではないが所詮は相容れない仲なのだとは思っている。
この人が親である限り、自由は許されない。
豪炎寺はいつサッカーをやめるのかと、さも当然のように尋ねてくる父と静かに対峙していた。





「医者は人の命を救うのが仕事だ」
「サッカーだって、世界中の人たちに希望を与えるスポーツです」
「世界中?」
「そうです」
「サッカーで誰が救えるのだ。一時の希望は与えるかもしれない。だが、サッカーで患者が治るのか? 所詮は遊び、サッカーは人の命までは救えない」
「俺は、サッカーを通して元気になった人たちを見たことがあります。サッカーだって人を救えると俺は思っています」





 サッカーに絶望した鬼道は、サッカーによって彼にしか放つことができない輝きを手に入れた。
完璧なサッカーを求めた吹雪は、仲間と繋がるサッカーによって真の力を引き出した。
傷を癒すことだけが最善の方法ではない。
医者にならなくても人を救えると豪炎寺は信じていた。
豪炎寺は父を見つめた。
強すぎる眼光に射竦められ、危うく目を逸らしそうになるのを必死に堪える。





「本当にそう思っているのか?」
「はい」
「お前は、ちゃんに何をしたのか忘れたのか?」
に・・・?」
「人様の大事なお嬢さんを呼び捨てにすることは許さん、ちゃんと呼びなさい。サッカーにばかり固執していたお前は、一番身近にいて一番大切なちゃんに何をした?」
「なんで父さんが俺と・・・さんの事を知ってるんですか」
「あれほどの騒ぎになったのに気付かないとでも?」
「それは・・・。でも・・・」
ちゃんを壊したのは修也、お前だろう。もう一度問おう、サッカーで誰が救える?」





 その問いに答えられるほど、豪炎寺の頭は平静ではなかった。
先程もいつも通りに言葉を交わしたあのが、本当に医者に病人扱いされるまでの重病人だったと?
昔から時折幼なじみは頭が少しおかしいのではないかと思っていたが、疑念は事実だったのか。
病人にさせた決定弾が自身だったということが、豪炎寺を更に混乱させていた。
心当たりは1つしかない。
あれは、こちらが思っていた以上にを傷つけていたのか。
だから半田はあの時あんなに激怒していたのか。
豪炎寺は目の前が真っ黒になった。





「お前にとって最良の道はサッカー選手ではなく医者になることだ。なぜなら、お前は私の医者としてのDNAを受け継いでいる」
「・・・は、どうして今も俺を・・・」
ちゃんと呼びなさい。・・・彼女はとても優しい子だ、お前にはもったいないほどに。この件については断ることは許さん」





 今回ばかりは父の論に納得せざるを得ない。
は鈍感なくらいに優しかった。
見捨てられるこちらを哀れんで、同情と旧知の誼で今も付き合ってくれている。
そうとしか考えられないほどに、豪炎寺は自身を卑下していた。
イナズマジャパンに入ってくれたのはなんだかんだで結局は俺を放っておけなかったのだろうとかいった自信と自負が、あっけなく崩れ去った。
もしかしたらはとっくの昔にこちらには愛想を尽かしていて、既に鬼道に決めているのかもしれない。
だから最近、鬼道とよくなにやら話し込んでいるのだ。
FW陣には檄という名の発破しかかけないのも、特有の愛情ランクゆえの差別なのだ。
もう、とうに嫌われていた。
豪炎寺はサッカーからの離別とからの訣別というダブルショックに打ちひしがれ、書斎を後にした。
早くご飯食べようとよせっついてくるの顔を直視できない。
こちらの異変に気付いたのか、はむうと顔をしかめると豪炎寺の顔に手を伸ばした。





「人と話する時は人の目を見て話すこと! いくら私が直視できないくらいに可愛くたって、鑑賞料は取らないでいてあげるからちゃんとこっち見て!」
・・・・・・。は俺のこと、嫌いだろう・・・」
「は?」
「同情や哀れみで傍にいてくれるんなら、そんな優しさはいらない。がやりたいようにやってくれ」
「・・・あのさあ」




 はリビングの夕香とフクをちらりと顧みると、豪炎寺を廊下へと連れ出した。
神妙な顔をして突然何を言い出すかと思えば、ネガティブ成分100パーセント発言か。
父親に何を言われたのか知らないが、いい加減メンタルを強くしてほしい。
それから、被害妄想をする癖も早急に改善するべきだ。
は背伸びすると、豪炎寺の額を指でピンと弾いた。





「おじさんに何か言われた?」
「・・・言われたわけじゃないが」
「じゃあ何、お望みどおり私は修也を嫌ってあげたらいいの? 今はそういう余計なこと考えてる場合じゃないでしょ」
「嫌ってほしいわけないだろう。どこに好きな子から嫌われたがる天邪鬼がいるんだ」
「目の前にいるじゃん、なぁんかまた自分勝手な被害妄想してる修也が。ほんとどうしたっていうの、いきなり」
「・・・夕飯食べてから話す。、俺はが好きだ」
「はいはい、そういうことはもうちょっとTPO考えて言いましょうねー」






 お兄ちゃんたちどうしたのと夕香がリビングからひょっこりと顔を出し、豪炎寺とは同時になんでもないと返した。
何にでも興味を抱く、好奇心旺盛な夕香に聞かせるのはいささか重い話題だ。
夕香でなくても、中学生が抱えるにも重すぎる話だった。
重すぎて潰されそうで、結局どちらに転ぶにしてもどちらも駄目になってしまう気がする。
彼の父は息子をどうしたいのだろう。
いかに赤の他人だといえど、は幼なじみのことをそれなりに案じていた。




「お兄ちゃんたちないしょ話してたのー? ラブラブ?」
「ああ、ラブラブだ」
「夕香ちゃん、夕香ちゃんは大きくなっても修也みたいに嘘つきになっちゃ駄目だからね」
「お兄ちゃんうそつきなの? ラブラブじゃないのー?」
「夕香ちゃん、修也さんとさんを困らせてはいけませんよ」
「うう・・・、ごめんなさい・・・」
のせいで夕香が叱られただろう。それに俺は嘘をついていない」
「ついさっきまでうじうじ言ってた修也とは別人みたい。ほんと疲れる」
「・・・・・・ごめん」




 だから、そうやってすぐに謝るところに疲れを感じるのだ。
何年付き合ってもわからない男だ。
100万回の『ごめん』よりも、たった一度の『ありがとう』が聞きたいのにどうして謝ってばかりなのだ。
謝罪の言葉を口にするほど、豪炎寺は悪いことはしていない。
今まで付き合ってきて特に謝ってほしいと思ったのは、メンタルが弱いこととこちらの都合を顧みず休日を潰したこと。
そして、謝りすぎていることの3点だけだ。
これを言うと、彼はまた少なくとも4回は謝るだろうから口には出さないが。
夕食を食べ終え片付けをフクに任せると、豪炎寺はを伴い自室へ戻った。
真っ暗な部屋に辟易し明かりを点けようと電灯に手を伸ばすと、豪炎寺が伸ばしたの腕を掴み取った。





「・・・さっきから何」
、俺と一緒にいて疲れるんだろう? 本当は俺の傍から離れたいんだろう?」
「どうしてそう思うわけ」
「・・・俺が、に酷いことをして壊したから、だ」
「・・・あのさあ、自覚あるんならそうなった原因治そうとか思わない?」
「治しても起こったことはどうにもならないんだ。俺はたぶん、には相応しくない」
「だからサッカーやめてお医者さんになるためにドイツ行くの? そうしたいんなら行けばいいじゃん、ドイツにでもどこにでも」





 もううんざりだ、付き合っていられない。
人がどんな思いをしているのかわかっていないのか。
わかろうともしていないのか。
今、目の前で萎れている幼なじみには確かに様々な目に遭わされ続けてきた。
良い事も悪い事も、長く付き合っていただけありたくさん味わってきた。
豪炎寺が気に病んでいることは、間違いなく悪いことだ。
しかし終わってしまった、起こってしまったことを今更ぐちぐち言ってどうするのだ。
辛い思いも悲しい思いもしたが、そんな出来事を加害者に掘り起こされるのは嫌だった。
それがきっかけでメンタルがただでさえ弱い豪炎寺が今になって落ち込むのを見るのは、もっと嫌だった。
自責の念に駆られ汚名返上をする機会はもっと以前にたくさんあったというのに、どうしてサッカーとの離別にかこつけるように言ってくるのだ。
これではまるで、壊れてしまったこちらが悪いようではないか。
は豪炎寺の手を振り解くと部屋の扉を開けた。





「修也の人生は私のものじゃないから、修也がやりたいようにやれば? ただし、そのテンションをチームに持ってくのはやめて。これはイナズマジャパンのご意見番からのお願い」
「・・・わかっている」
「私、たとえどんなことでも生ぬるい態度でやる人見てると苛々するの。サッカー続けたいなら、世界で一番くらいにすごい選手目指して。
 医者になるんなら、世界中の病気や怪我で苦しんでる人を救える名医になって」




 せかいでいちばんくらいにすごいサッカーせんしゅになったら、けっこん考えてあげてもいいよ!
なぜだろう、向こうに帰ると決まってから最近はやたらと昔のことが思い出される。
この調子であの人の名前も思い出せればいいのだが、なかなか上手く脳内メモリが記憶を遡ってくれない。
まあ、ベランダがぴったりお隣の超絶ご近所さんだったから、話しているうちに思い出すだろう。
あちらが覚えていればの話だが。
仮に向こうがこちらの天使のような容姿を忘れられず今も胸の中に留めていたら、その時は知ったかぶりをしてやり過ごそうと思う。
そのくらいやっても許されるはずだ。
10年のブランクは長いのだ。





「どこに行くんだ、
「帰る」
「途中まで送っていく。もう遅いし外は危険だ」
「平気。・・・いつまでも修也がお守りできるわけじゃないんだから、私も自立します」
「・・・・・・そうだな、俺がいなくても鬼道がいるからな」
「鬼道くんを自分の代わりみたいに言わないで。私、鬼道くんと修也を混同するほど分別なくない」
「・・・鬼道だけじゃなさそうだしな」
「は?」
「いや、なんでもない」




 気付いていないのならば、あえて教えてやる必要はないだろう。
豪炎寺は夕香と笑顔で手を振り家を後にしたを、マンションから見えなくなるまで見送っていた。







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