53.ベンチの女神様










 サッカーボールをまともに蹴ったことがないに、サッカーのやり方はよくわからない。
ルールはわかるが、戦い方については考えも及ばない。
優れた個人技を持つなどといった表現はあるのだから、不動のこれも個人技に分類されるのだろうか。
は、風丸や壁山をただの跳ね返りの壁として使いボールをぶつけている不動の行動に悩んでいた。
様々な試合で多くの選手たちを見てきたが、こんなプレイもあるとは思わなかった。
サッカーは奥が深い。
は仲間などいないも同然のスタンスで1人果敢に攻め上がり、そしてGKに阻まれている不動の姿をずっと追っていた。





「何を考えているんだ、不動は・・・・・・!」
「ほんとほんと、風丸くんの体に痣でもできたらどうすんの。後であっきーにはちゃーんと叱っとかないと」
、以前から思っていていつ言おうかと考えていたが、不動に甘すぎる。あいつが何をしてきたのかわかっているのか」
「いんや、全然知らないよ? あっきーが昔何してようと、誰にだって真っ黒な思い出の1つや2つあるから気にしてなかった」
は優しすぎる。優しいは好きだが、優しすぎる必要はどこにもない」
「あらやだもしかして鬼道くん、焼き餅?」
「そうだ、妬いている」





 怪我と不動の傍若無人なプレイに苛立っているのか、ベンチの鬼道は少し怖い。
あまり冗談を重ねていると、うっかり怒りの矛先がこちらにも向きそうだ。
はベンチに座り直すと、フィールド上で風丸と揉めに揉めている不動を見やった。
普段温厚な風丸が怒るのも当然のプレイだと思う。
も、風丸にボールをぶつける不動は嫌いだった。
もう少し穏やかなやり方もあるだろうに、どうしてやる事なす事人の感情を逆撫でするようなことばかりチョイスするのだ。
不動はきっと、二択問題では確実に泥沼に頭から突っ込むタイプだ。
リードでも付けておかないと、今度は泥どころか崖から落ちてしまいそうで危なっかしくてたまらない。





「鬼道くんとあっきーって似てるけどやっぱり違う」
「意味がわからない」
「鬼道くんは初めて雷門に来て試合した時、自分は突っ立ったまんま相手とこっちの動き見極めてたでしょ。まあ、ベンチ時代のあっきーもそうだったけど」
「何が言いたいんだ」
「あっきーって、私を拉致するためにはるばる愛媛から来るくらいに行動派なのよ。だから何から何まで自分で動いて調べないと気が済まないみたい」





 さすがに風丸くん苛めるのはやりすぎだけどと呟くと、は鬼道の膝に顔を近付けた。
痛いの大丈夫とにとってはおそらく無意識の上目遣いを受け、鬼道の氷嚢を握る手に力が籠もる。
いつもそうだ。いつもは無邪気に人の心を揺さぶる。
揺さぶってかき乱し、揺れが収まった頃には心がすっかり翻意している。
冷たいスプレーやってみるなどと相変わらずボキャブラリーの乏しい質問を続けるに、鬼道は大丈夫だと短く答えた。
の話は時折言葉足らずで、歴代監督たちとは違う意味で理解に苦しむことがある。
ただ、苦しむことがあるだけに、前半のパーフェクトゾーンプレスの攻略法のようにぴたりと意思疎通が図れた時の喜びは大きい。
鬼道はから目を逸らすとフィールドの不動へと視線を移した。
相変わらず個人プレイを貫いている。
なぜだと呻いた鬼道に、黙って試合を眺めていた響木がぽつりぽつりと不動の生い立ちについて話し始める。
誰の許可を得て話しているのかわかったものではない。
それに、不動の昔話などに興味はない。
は響木の説明を8割方聞き流すと、フィールドを見つめたままことりと首を傾げた。






「今日の風丸くん、いつもよりもちょっぴりゆっくりに見える」
「え?」
「壁山くんもそうだ。うーん、2人とも今日は調子良かったのになんで? なんであっきーからのパス取れない?」
、俺にもわかるように言ってくれ」
「だから円堂くん、今日の風丸くんいつもとちょっと違うんだってば。初めはあっきーからのいきなりすぎるパスにびっくりしたのかなあって思ったけど、そうじゃなさそう」
「そうなのか、鬼道」
「俺の考えを言う前にの立場を教えてくれ」
「立場?」
「不動についてだ」





 はああと呟くと、にっこりと笑みを浮かべ好きだよと答えた。
ええっと素っ頓狂な声を上げる円堂を一瞥した鬼道が、そうじゃないとの告白を一蹴する。
しまった、今日の鬼道はご機嫌斜めだった。
は誤魔化し笑いと咳払いをすると、あっきーはゲームメーカーだよと改めて告げた。





「あっきーはちゃんとみんなの動きわかってて、それでパス出してる。やぁっと出すようになった」
「では、パスが取れない風丸たちが悪いということか?」
「まさか。だって風丸くんたちがああなっちゃったのはあっきーのせいでしょ。あっきー信用ないもんなあ」
は信じているのか、不動のことを」
「うん。だってあっきーすごく優しくて意外と紳士的でお兄ちゃんみたいで、どこが信じられないって言うの?」




 鬼道くんと似てるよねえ、ゲームメークのやり方は違うけどやっぱ同じゲームメーカーだからかなあ。
のほほんとゲームメーカー考察を始めたに、鬼道はふっと頬を緩めた。
やはりには敵わない。
いきなり人間の本質を探り好き嫌いを口にするを前にしては、どんな嫉妬や怨恨も意味を成さなくなる。
は焼き餅や嫉妬、妬みといった負の感情を抱くことがあるのだろうか。
鬼道はに尋ねたくなった。





「鬼道くんがあっきーのこと嫌いなのは知ってる。なんで嫌いなのかも、たぶん愛媛で何かあったからだろうって思う。
 あっきーってすっごく口下手で天邪鬼だから、言ってることとやりたいことが滅茶苦茶なの」
「そうみたいだな」
「あっきー負けず嫌いのわがままでさぁ、人に合わせたがんないの。だから、鬼道くんたちがちょっぴり大人の余裕ってのあっきーに見せつけてやったら?」
「大人の余裕、か・・・」
「そうそう! ここはひとつ、手のかかる弟の相手してやると思ってさ!」
「生憎ときょうだいは春奈だけで充分だ。だがその話には乗った。風丸以外でを独り占めする奴は、抜け駆け禁止協定に違反したとみなし制裁対象になる」
「へ? 抜け、てい・・・? 何それ何それ」
「こちらの話だ、気にしないでくれ。・・・監督、俺を出させて下さい!」





 氷嚢をに手渡し、鬼道が勢い良く立ち上がる。
立ち上がった瞬間鬼道の表情が歪んだ気がして大丈夫と声をかけると、くるりと振り向き大丈夫だと言われる。
何か伝えることはないかと逆質問され、はないと返した。
ないわけがないだろうと詰め寄られれば、ますます頑なになって物を言いたくなくなる。





「いいっ、ほんとにないっ!」
「豪炎寺のことを訊いてるんじゃない」
「う」
「俺と不動がゲームメーカーなら、もサッカーはできないが似たようなものだ。あいつが持ち得ない絶対の信頼を得ているが、風丸たちに言うことはないのかと訊いているんだ」
「・・・・・・取れる」
「取れる?」
「風丸くんたちならあっきーのパス絶対に取れるって言っといて。あっきー信頼ゼロみたいだから、そこリカバリーしとかないと」
「わかった、伝えておく」





 フィールドへ戻る鬼道にせがまれ、背中にぽんと手を置く。
今日は元祖おまじない対象には一度もしていないのに、おまじないをしたりされたりするのは実に3回目だ。
雷門に来てからは豪炎寺だけでなく風丸や鬼道にもするようになったが、いつも豪炎寺へのおまじないが大前提だったから今日のようなことは初めてだった。
大した祈りも込めず大量生産しているおまじないだが、今日は少しだけ寂しい。
日課を怠るとこうも調子が狂うのか。
は呪縛めいた日課を恨んだ。
日課を植えつけるのならば、最後まで責任持って全うさせろとクレームをつけたくなる。
は鬼道を見送ると、ベンチにどっかと腰を下ろした。





は最初から全部わかってたんだな」
「何にー?」
「不動のこと。俺、全然わかんなかった」
「私もあっきーのことそんなに知らないよ、興味あんまりないし。でもあっきーすっごく面倒見いいんだー。
 知ってる? あっきー私を愛媛に連れてくためにこっち来たのに、私のわがままに付き合ってくれて4時間くらいずっと理科教えてくれたの」
「結構前から不動に迷惑かけてたんだな!」
「鉄パイプの場所教えてくれたのもあっきーだし、そう考えるとあっきーって命の恩人」
「そ、そっか! やっぱの前でも不動荒れてたんだ!」
「いや? 金属バット持ってた私に、野球部に悪いからやめとけって言うくらいにスポーツマンだった」





 大荒れだ、も不動も予想以上に荒ぶっていた。
が恐ろしい少女になってしまったのは、間接的には不動のせいだったというのか。
円堂は不動の順応力の高さに驚かされた。
あの一筋縄では扱えない厄介なことこの上ないを早々に手懐けるとは、不動はあれでコミュニケーション能力が高かったのか。
何をどうしたらとああまで仲良くなれるのだ。
風丸でも半田でもないのに、不動はどうやってを懐柔したのだろう。
まさか鉄パイプなのか。鉄パイプが友好の証なのか。
信じたくなかったが、100パーセント信じられないと断言できるだけの自信を円堂は持てなかった。





「あっきー、風丸くんと仲直りできるかな?」
「俺、試合に出れるかなあ?」




 が間に立てばすぐに仲直りできるよ!
円堂くんはもうちょっとベンチかなあ。
励ます円堂とは裏腹に、はばっさりと円堂の試合出場願望を打ち砕いた。






































 疫病神という悪名高き通り名を、彼女のお望みどおり女神に変えてやろうと思う。
不動はようやく繋がり始めた自身のパスに、うっすらと感動を覚えていた。
後でみっちり話があると因縁のライバル鬼道とも会話のきっかけを得ることができたし、念願の必殺技をまさかのぶっつけ本番で披露することもできた。
あれだけちくちくぐさぐさと鋭かった風丸と壁山の視線と言葉も、鬼道が彼らに伝言を伝えたことを境に柔かくなった。
なぜ彼らが180度変わったのか、心当たりは1つしかなかった。
だ。ベンチでぺちゃくちゃと好き放題喋り倒していたが、バックアップをしてくれている。
こちらに欠けていて、が持っているものを惜しみなく提供してくれている。
何をどう言ってくれたのかは知る由もないが、間違いなくが支えてくれていた。
人を支えている場合ではないというのに、自分のことは置き去りにしてこちらを見てくれている。
信じてくれる人に背中を押され飛び出したフィールドは、今までのどの芝生よりも青く瑞々しく輝いていた。
体が軽かった。なんでもできると思った。
独りよがりで虚しいだけではない、自信を持つことができるという勇気を手に入れた。
サッカーが楽しいと思えた。
不動はバックパスで風丸と壁山に繋いだ結果、彼らの新必殺技によって得た同点弾に口元を緩めた。






「最高のタイミングだったよ、不動」
「はっ、たかが同点になったくらいでそう喜んでられっかよ」
の前じゃあんなに素直なのに、不動も忙しい奴だな・・・」
「風丸クンこそ、大方ちゃんに何か吹き込まれた口だろ?」
「そうだな、俺はいつもを信じているから。が信じている不動なんだ、信じないわけがない」
「結局ちゃんかよ」
「人のこと言えないだろう、不動も」
「ああもううっせぇな!」





 不動は風丸から顔を背けると、こちらをひたと見据えているチャンスウを睨み返した。
感慨深げにベンチのへと視線を移す彼の前へと立ちはだかり、にやりと笑みを浮かべる。





「うちの女神サマにぶしつけな視線向けんのやめてくれる?」






 試合が終わってベンチに戻ったら、今度はこちらからただいまと言ってみよう。
は何と返してくれるだろうか。
あの無邪気な笑顔で出迎えてくれるだろうか。
が満面の笑みを浮かべるかどうかは、悔しいが彼女の幼なじみの出来に懸かっている。
不動は後半へ入りますますタイミングのずれたタイガーストームしか打てなくなった、にはおよそ不釣合いな豪炎寺の背中に鋭い視線を向けた。







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