62.ネックレス型ガラスの靴










 頭はそれほど良くはないが、記憶力はそれなりにあると思っている。
都合の悪いことはすぐに忘れるが、耳心地良かった言葉は今でもきちんと覚えている。
言葉だけではない、シチュエーションやモーションも覚えている。
離れるのが寂しくてたまらなくてわあわあ泣いていた齢5歳だった自分を泣き止ませた言葉も、事あるごとに思い出しては涙を堪える一助となっている。
忘れていないから、忘れられないから今でも思い出を抱いている。
色違いの形となった思い出を、しっかりとポケットの中に仕舞っている。
ただの色違いだと見過ごしていいのだろうか。
キーホルダーは大量生産されていて、当時のサッカー好きな子どもたちのおしゃれアイテムだった可能性も拭い去れない。
しかしはフィディオの首にかけられたネックレスから目が離せなかった。
ネックレスを目にした瞬間、木材に潰されそうになっているという危機的状況すら吹っ飛んでいた。







「・・・フィーくんは、」
、ちゃん?」
「フィーくんは、わた「何をやっているんだ!!」





 土煙がもうもうと上がる中で体の下にいるフィディオに疑問を投げかけようとしたは、背後からぐいと乱暴に抱き起こされはっと我に返った。
慣れない暴力的な力に恐る恐る腕の主を顧みると、荒い息を吐いた鬼道と目が合う。
まずい、ゴーグル越しでもわかる、彼は相当怒っている。
何と言い繕うかと目を泳がせ、とりあえず無事を知らせるためにも笑ってみる。
腕をつかむ鬼道の手に更なる力が加わり、の笑みにわずかに苦味が走った。





「あー・・・、鬼道くん・・・? ちょっと痛いなー、なんて」
「痛い? あれに潰されていたら痛みはこんなものじゃなかっただろう」
「そりゃそうだけど。ありがと鬼道くん、助けてくれて」
「無鉄砲な行動もいい加減にしてくれ。本当に怪我したいのか?」
「そんなわけないじゃん。でも、さっきはこうするしかなくて・・・」
「こうするしかなかった? 違うだろう、自らを犠牲にしただけだ」
「あう・・・」
「待ってくれ、ちゃんを責めるのは筋違いだ」





 いつの間に立ち上がっていたフィディオが、鬼道に詰問されるを見かね間に割り込んだ。
責め立てられているを背に庇い、命の恩人で本来ならば感謝すべき鬼道と相対する。
直接見ることはできないが、びしびしと容赦なく突き刺さる鬼道の冷ややかに視線にフィディオは気を引き締めた。
どうやらこの男はに気があるらしい。
惚れた女が我が身を擲って他人を救ったことがよほど許せないようで、かなり機嫌が悪い。
誰だってそうだ。
自分が逆の立場なら同じようにを叱り飛ばしている。
それもこれも、自分で思っている以上にの存在が大きくなっているからだと思う。
目が離せない、視線を惹きつけてやまない魅力的な女の子だった。
もうまもなく再会できるとわかっている『ちゃん』よりも、こちらの『ちゃん』に心を奪われてしまいそうになる。
そして、その事実に焦りを感じると同時に受け入れようとしている心に戸惑っていた。





「君が蹴って俺たちを助けてくれたんだね。ありがとう、素晴らしいキックだった」
「・・・・・・」
「あの強さと角度でなければ落ちてくる木材のコースを変えることはできなかった」
「そうなの?」
「ああ。彼は、君を守りたくてたまらないという急いた心を落ち着けてあんなキックをするんだ。本当にすごいよ彼は」
「あ、あの、そんなすごいことしてまで私たち助けてくれてありがとう鬼道くん」
「当然のことをしたまでだ。・・・無事で良かった・・・・・・」






 強張っていた鬼道の顔にようやく安堵の表情が浮かび、も改めて頬を緩めた。
つかまれた腕はまだじんじんと痛むが、この痛みは無茶をしたことに対するペナルティのようなものだろう。
はフィディオへと向き直るとじっと見上げた。
胸元で光るネックレスが気になってならない。
訊いてみてもいいだろうか。
訊かなければずっと悩みそうな気がする。
しかし、どうやって切り出せばいいのかわからない。
特別綺麗なわけでも高級なわけでもないネックレスの話題を引き出す方法に思い当たらない。
間違いなくイケメンに分類される整った顔を見上げていると、フィディオが小首を傾げ小さく笑いかける。
ちゃんと呼ばれ、はぴんと背筋を伸ばしはいと答えた。





ちゃん、どうしたんだいきなり」
「お返事は1回、ぴしっと返すって!」
「それも幼なじみの言いつけ・・・かな? ちゃんは本当に幼なじみの彼が大好きなんだね」
「いいや全然」
「でも、ちゃんを守ってくれた彼もとても素敵な人だと思うよ。ありがとうちゃん、庇ってくれて。でもやっぱりあそこは俺に守らせてほしかったな」
「こないだたくさんお世話になったからそのお返しと! あのねフィーくん、えっと「フィディオ! げ、もなんでいるんだ!?」・・・げ、とな?」





 ついつい零れ出た本音に、円堂が慌てて口を押さえる。
人がせっかく悩みを解決しようとしていたのに、どんなタイミングで口を挟んでくるのだ。
もう少し場の空気というものを読んでほしい。
はなにやら面倒な話を始めた円堂や鬼道、フィディオたちから離れるとぼうっと川を眺めた。
ゴンドラがゆっくりと走っている。
サッカーだけじゃなくて、こういうのんびりした町でのんびりデートもしたいなあ。
イケメン侍らせてデートしたいなあ。
風丸くんとお出かけしたいなあ。
ほうとため息をつきセンチメンタルモードに再突入していると、またもや円堂のこちらの空気を読まない間の抜けた声が耳に飛び込んでくる。
円堂が何を言い出したのか、鬼道や不動たちから大ブーイングが起こっている。
面倒なことがますます面倒になったようだ。
そして、もしかしなくてもフィディオも巻き込まれつつあるらしい。
お人好しのフィディオは、たとえそれが厄介事だとわかっていても付き合うに決まっている。
フィディオはそういう人だ。
は出会って間もないにもかかわらず、フィディオの性格を極めて冷静に分析することに成功していた。






、俺らしばらくここら辺捜すけどはどうする?」
「捜すって、みんなは何捜してるの?」
「影や「なんでもねぇよ、あんたは引っ込んでな」
「む・・・。お言葉通り引っ込んどくんで勝手にみんなで捜しておいでよ。私今お散歩中なの」
「そっか! ・・・今度は不動と何かあったのか?」
「円堂くん、円堂くんは私のことそーんなにトラブルメーカーだとも思ってんの? んん」
「あぁ・・・、ははっ、俺ってほら、勉強苦手で国語も苦手だからほんとごめんすみませんでした」
「わかればよろしい」





 何かを探すために散り散りになった円堂たちを見送ると、は隣へ歩み寄ってきたフィディオにへにゃりと笑いかけた。
喧嘩してるのと呟くと、フィディオが寂しげに笑い返す。
フィディオの笑顔はとても優しい。
風丸の笑顔と系統としては似ているが、フィディオの笑顔を見ているとどきどきする。
イケメンの笑顔には特殊効果があるらしい。
イケメンにもかかわらず何の追加効果も与えない豪炎寺の笑顔は、イケメンの笑みとしては不良品なのかもしれない。





ちゃん、一人ぼっち?」
「ビンゴ。こんなに可愛い女の子が1人でいたらどうなると思う?」
「そうだねー。そうならないために俺とデートしませんか?」
「あらま、それはナンパにカウントしちゃっていいの?」
「もちろん。まだまだちゃんと話したいんだ。ちゃんといるとすごく楽しいから、今からのちゃんの時間を少し俺にくれる?」
「きゃっ、フィーくんってばお誘い上手! うんうん、私もフィーくんとお話しする!」





 色々と、あれこれと訊いて確かめたいことがある。
はフィディオとにっこりと笑い合うと、あてもないデートを始めた。







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