70.アルデナの部屋










 いつから近くにいたのかはわからない。
どこから話を聞かれていたのかもわからない。
言おう言おうと思い台詞まで密かに考えていたにもかかわらず、こちらの予期せぬタイミングでカミングアウトしてしまった。
カミングアウトしたこと自体は、どうせそうしようと思っていたから結果オーライにしておきたい。
本当はもっとロマンチックな伝え方をしたかったのだが、いざそんなシチュエーションに陥ったとして上手く言えたかどうかといったら自信はたちどころになくなるので、これでいいのだと思う。
は風丸以外の異性では初めて、安心して身を委ねることができる心地良さを感じていた。
とにかく加減をせずに圧死行為に及ぶ豪炎寺とは比べ物にならない巧さだ。
さすがはイタリア男、今までに何人の女の子にこうしてきたのだろうと考えるともやもやするのでやめておこう。




ちゃんは、あのちゃんなんだね」
「直感で気付いたフィーくん超すごい」
「俺はちゃんがずっと恋しかったから。帰れば会えるとはわかったけど、ここで会えるなんて夢みたいだ」
「ほっぺつねってみる?」
「つねるよりもキスしたい」
「わ」





 いいとも悪いとも言う前に頬に寄せられたフィディオの唇に、は思わず声を上げた。
月日の流れは凄まじく人を変えるらしい。
昔から手はよく握っていたし体も寄せ合っていたが、空白の10年余りの間に彼はますます成長したようだ。
こちらはフィディオと別れてからの10年はひたすらサッカーに付き合わされサッカー漬けにされ、紳士のしの字も知らない汗臭く焦げ臭い青春時代しか送ってこなかった。
いけない、このままではフィディオに乙女感情希薄な子だと思われてしまう。
腕の中で黙りこくっていたを見つめ、フィディオはふっと頬を緩めた。




ちゃん、可愛い」
「うん、よく言われる・・・じゃなくて、あ、ありがと・・・」
「あはは、もしかして照れてる?」
「キスは不意打ちでしかされたことないからフィーくんみたいなのは初めて。これをファーストにしたかったくらいにくぅ、思い出したら改めて修也に張り手飛ばしたくなってきた」
「修也?」
「フィーくんとさよならした後に日本でできた幼なじみの腐れ縁。サッカーは巧いけどそれ以外は全然駄目っ駄目な世界で一番使えないイケメン」





 使えない男だと散々貶しているのに見捨てず付き合っているのはなぜだろうとふと考える。
本当に使い物にならなくて嫌いならば、断捨離が得意な性格上とっくの昔に縁を切っている。
切ろうとした。
だから木戸川から雷門へ転校する時は黙っていなくなった。
豪炎寺が追いかけ転校を断行した時も、極力かかわる気はなかったから赤の他人を貫こうとした。
係わってもろくなことがないと長年の経験上知りつくしていたからただのクラスメイトに収まろうと思っていたのに、向こうが目敏く見つけてきやがった。
初めこそ学校では諸々の厄介事から逃れるためにただのクラスメイトに偽装したがそれもいつの間にやらなくなり、結局昔どおりの相容れない仲なのに熟年夫婦という不名誉極まりない称号を
半田から授与されてしまった。
彼はいつもこちらの予定を狂わせる。
フィディオと真の意味での再会を簡単に果たせなかったのも、豪炎寺の陰謀なのではないかと邪推してしまいそうだった。





ちゃんは・・・彼が好きなの?」
「いや全然」
「ほんとに? でも、彼のことを話すちゃんは他のどんな話をする時よりも表情豊かなんだ。まるで、目の前に彼がいるみたいに」
「やぁだ、フィーくんもしかして焼き餅妬いてる?」
「妬くに決まってる。だって俺は、彼がちゃんに会う前からずっとちゃんが好きなんだから」





 横から取られたみたいで悔しいと呟くと、フィディオはをゆっくりと離した。
キーホルダーはストラップとして今も使ってくれてはいるが、の首で光っているのは日本の幼なじみから贈られたネックレスだ。
人物のみならず、ネックレスにまで嫉妬している自身がいることにフィディオは驚きを隠せないでいた。
自分がこれほど嫉妬深い男だとは思わなかった。
どうやら、好きな女の子は少し見ない間に相当男にもてる魅惑の天使に羽化したらしい。
今までにいったい何人の男に言い寄られたのだろうと思い、自身もその1人だということに気付き苦笑いを浮かべた。




「フィーくん、なんだか変な時に来てごめんね。明日試合なのに邪魔しちゃったのは別に作戦とかじゃなくって、私のわがままだから」
「いや、俺の方こそちゃんに会いに行こうと思っていたからちょうど良かった。訊きたいことがあるんだ、ミスターKのことで」
「ミスターKって、あの変態ロリコングラサン親父のことだっけ?」





何だ、その物々しい二つ名は。
フィディオは予想の遥か斜め上を叩きだしたのミスターK評価に訊く相手を間違えたと悟った。
何をしたらロリコンで変態という称号をダブルゲットできるのか、ミスターKそのものよりも彼の前科の方が気になる。
まさかとは思うが、に変態かつロリコン的行為をしたのだろうか。
彼がいくつなのかはわからないが、大学生以上の男が中学生に手を出すことはもれなく犯罪行為に当たると思う。
スキンシップに緩いが変態ロリコンと言い放つほどだから、きっと彼はよほどのことをしでかしたのだ。
フィディオの心の中のミスターK善悪天秤がやや悪へと傾いた。




「あの人のことは私よりも鬼道くんたちに訊いた方がいいよ? ま、今日の今日じゃ無理だけど」
「鬼道からは教えてもらった。でも、鬼道はミスターKを近くで見すぎた。俺はもっとあの人を冷静に見たい。彼が何をしたかではなくて、どんな人かを知りたいんだ」
「どんな人って、それを私に訊かれても変態ロリコングラサン親父としか言えないよ」
「・・・ちゃんはイナズマジャパンのご意見番なんだよね。鬼道はちゃんのことを奇才だって言ってた。ご意見番から見たうちの監督はどう思う?」
「すごい監督だと思う。こういうこと言っちゃいけないってわかってるけど、フィーくんの監督があの人じゃなかったらイナズマジャパンは明日の試合にあんなにプレッシャー感じることなかった」
「ミスターKは今日、俺たちのイナズマジャパンを破るために必殺タクティクスを指示してきたんだ。カテナ「やめて」





 カテナチオカウンターを知ってると尋ねようとしたフィディオは、に言葉を遮られ口を閉ざした。
なんでも聞いてくれる、どんな質問にも答えてくれると思っていたが、の表情には険しさがある。
はフィディオの口の前に人差し指を突き出すと、もう一度やめてと告げた。
二度目のやめては先程よりも柔らかく聞こえるが、依然としての顔は少し強張っている。





「私はイナズマジャパンのご意見番、フィーくんは敵なの。敵に明日の作戦言っちゃ駄目でしょ」
「そうかもしれないけど、でも俺は、たとえ敵でもミスターKの真意がわかるなら話を聞きたい」
「フィーくんは言って知ったら満足するかもだけど、私はそうさくっと割り切れないわけ。私はもう、試合で手抜きしたくない」




 フィディオから必殺タクティクスのことを聞かされれば、必ず突破方法を考える。
そうするのがご意見番に与えられた唯一と言ってもおかしくはない任務だから、こう見えておつかいにはうるさい自分は任務を忠実に実行しようと早々に攻略法を考える。
両チームが全力で戦う試合で、わかりきった必殺タクティクスを見せつけられて黙っていられるわけがない。
仮に黙っていても、それは苦しいだけだ。
思うようにならない、思ったことを伝えられない試合に悶々とするのはジ・エンパイア戦を最初で最後にしたかった。
今回は思考に手抜きをすると、絶対にそれを見破る人物も出場するのだ。
はフィディオの言葉に敏感になっていた。





「私もフィーくんのお話聞きたいけど今日は試合のこと、サッカーのことは駄目。
 私とグラサン親父の相性超悪いから、ひょっとしたら今日のこのタイミングでフィーくんに会ったこともあの人の考えなのかも」
「それはないよ! ミスターKは俺たちのことを何も知らない。・・・彼は、俺たちを見ていない。俺たちは、ミスターKは、俺たちを倒すための道具としか思ってない」
「フィーくん、それ本気で言ってんの? たかだか道具に指示与えるほど監督って暇な職業じゃないと思うよ。少なくとも最近のグラサン親父、帝国時代の放置に比べたらうんと監督っぽいし」





 影山の監督としての場数の踏み方は、こちらとは比べ物にならないほどに多い。
ありとあらゆるピンチの即座に反応できる優れた戦術眼を持つことは、過去に彼から薫陶を受けた鬼道を見るだけでわかる。
しかし、いかに百戦錬磨の影山でも選手を知らなければ的確な指示を出すことはできない。
フィディオのユニフォームの汚れ方を見るに、今日は相当ハードな練習を課したらしい。
それもすべては、自らが理想とするサッカーをさせたいがためだ。
フィディオたちはできるとわかっているから、今になって新しい必殺タクティクスを託した。
はイナズマジャパンが常に後手に回る根本的な原因を突き止めた気がした。





ちゃん、俺たちを警戒しすぎだよ。・・・まだできてないんだ、必殺タクティクス」
「だったらこんなとこでのんびりしてないで練習しなよ。私はほら、今日は半田とスパイ大作戦ごっこ、あくまでごっこをしてただけだし」
「そういえば彼、どこに行ったの?」
「え、半田? 半田ならそこにいない! ちょっと半田、半田、半田真太郎くーん!」





 いったいいつから半田はいなかったのだろう。
そもそも彼は、本当にライオコットに来ていたのだろうか。
フィディオとの出来事で今でも少しだけ夢のように思えて、それ以前の出来事も夢のように感じてくる。
半田は幻で、もしかしたら初めからこの場にはいなかったのかもしれない。
稲妻町にどっぷりと浸かっている半田がここまで来るわけがない。
半田は今でも雷門中でぱっとしないサッカー部生活を送っているはずだ。
半田は夢だ。
すべてはフィディオとの奇跡が引き起こした半田がゲスト出演したチープな夢だ。
一度そう考えるとすとんと納得できる。
半田の分際で人を惑わせるとは、当分会うことはないだろうがもしも次に会うことがあればきつくお灸を据えておかなければ。





ちゃんお願いだ。少しでいいから俺の練習に付き合ってくれないか?」
「いや、だからそれは駄目だって。フィーくん結構わがまま!」
ちゃん」
「幼なじみだかなんだか知らないけどとりあえず、2,3回今度こそ俺に真面目に謝れ」





 俺は夢幻じゃないし、真太郎じゃなくて真一なんだけど。
どこからともなく段ボール箱を両手に抱え姿を現した半田が、フィディオに箱を押しつけつつを睨めつけた。







目次に戻る