72.約束の破り方










 笛の音が呪いの響きとなったのか、次々と地面に座り込むイナズマイレブンを見つめる。
終わってしまった。
勝てないまま終わってしまった。
勝てたかもしれないはずの戦いを勝ちにくいものにしてしまったのは自分だ。
あの時何も言わずにいれば、あるいは勝てたかもしれない。
後悔は今でもしていない。
しかし、は足を動かすことができなかった。
今更どの面下げて彼らの前へ姿を現せるというのだ。
いかに円堂たちが大らかな性格だろうと、裏切者を迎え入れるとは考えにくい。
決勝トーナメントに進んでもそうでなくても荷造りの準備をした方が良さそうだ。
懲戒免職に遭うよりも依願退職の方が瑕がつかない気もする。
逃げることもできず所在なく突っ立っていたは、こちらへ歩み寄ってくる人物を視界に捉え苦笑いを浮かべた。





「びっくりした?」
「ああ。まさかがここまで馬鹿だとは思わなかった」
「やっぱり怒ってるんだ」
「勘違いするな。も思っていた以上にサッカーバカで驚いたんだ。それに不甲斐ないプレイをが嫌いなことも知ってるから、カテナチオカウンターを始めたあいつらを見た後は納得した」
「おかげで勝てなかったんだけどね」
「勝てなかったのは俺たちの力が足りなかったからでのせいじゃない。だから行こう、





 勝てなくて悔しい思いをしているのは豪炎寺の方だというのに、こちらを気遣ってくれている。
珍しくも気を利かせてくれている豪炎寺がは新鮮に思えた。
なるほど、人の心が弱っている時に手を差し伸べてくれるとはさすがは医者の息子だ。
抜け目がない用意周到さと思えば、一瞬のときめきが悠久の落胆にあっという間に変わってしまう。
豪炎寺に連れられベンチへと戻ったは、ぱっと駆け寄ってきたフィディオに手を取られ小さく声を上げた。




ちゃん、途中からいなくなったから心配してたんだ。・・・ごめんね、俺たちがしっかりしなかったから・・・」
「いいのいいの気にしないで。カテナチオカウンター完成して良かったじゃん、かっこよかったよフィーくん」
「ありがとう。やっぱりちゃんはすごいご意見番だ」
「やぁん、フィーくんってば褒め上手! やっぱどこの馬の骨かわかんないストーカーよりもイケメンに言ってもらった方が嬉しい」
「ストーカー? ちゃん、俺たちが試合している間に危険な目に・・・!?」
「フィーくんとこのキャプテン、趣味がストーカーじゃないの?」
「えっ、キャプテンが!? ・・・知らなかったよ、教えてくれてありがとう」





 ちゃんのおかげで俺はまた1つチームについて知ることができたよと柔らかな笑みを湛え話すフィディオに、どこから突っ込めばいいのかわからない。
本心から言っているのかはたまたストーカー認定されたキャプテンをフォローするために言っているのか、前者だとしたら彼は底抜けのお人好しだと思う。
本当にこんなお人好しがの幼なじみなのだろうか。
そうだとしたらはもう少し大人しくて性格も可愛らしいはずなのだが、はどこで育て方を間違ったのだろう。
豪炎寺はをフィディオから引き剥がすと風丸へと渡した。
風丸に渡すのも複雑だが、異国の幼なじみに奪われるよりも、誰も、もちろん自分自身も手出しすることができない不可侵領域に託しておく方がまだ安心できる。
少なくとも、こちらがの不利益になるようなことを何もしていない限りは風丸は某国の銀行よりも貴重品を預けておくのに好都合な人間金庫だった。
豪炎寺は先程までの落ち込み加減はどこへやら、ここぞとばかりに風丸にじゃれつき芝生の再生を活性化させているをちらりと見やった。
花を撒き散らすだけではなく、芝生の修復もできるとは今日の今まで知らなかった。
2人でフィールド中を転がり続ければたちまちのうちに世界随一の高品質なフィールドが生まれそうな気がするが、それはさすがのも嫌がるだろうから提案するのはやめておこう。
に文句を言われるのは慣れているが、風丸に忠告を受けると落第の烙印を押された錯覚を覚えるので遠慮したいのだ。
豪炎寺はの代理として、影山と相対している鬼道とフィディオの元へ歩み寄った。
を危険に巻き込み続けた犯人を問い詰めておかなければ、サッカーに引きずり込んだ者としても気が休まらない。





について訊きたいことがある」
・・・?」
「忘れたとは言わせない。鉄骨で殺しかけアフロディに攫わせただろう」
「・・・ああ、フィールドの女神、か。忘れるはずがない、彼女は私が唯一恐れた者だ」




 サングラス越しにを見つめた影山の口元がわずかに緩む。
以前の悪事を企む悪どい笑みではなく、純粋に心から笑っている姿に鬼道たちは顔を見合わせた。
あの影山が恐れたとは、は彼に何をしたのだろうか。
凶器にしか思えない鉄パイプを手にする前の出来事なので丸腰だったはずだが、またお得意の口撃で相手の心をへし折ったのだろうか。
なるほど確かに恐ろしく、そして逞しい。
そうまでされてもを女神と呼び続ける影山は、ひょっとするとロリコンではなくただのフェミニストなのかもしれない。
豪炎寺はさりげなく影山の視界を遮るべく体を動かすと、なぜなんだと声を荒げた。





「俺を狙ってだったのか? 夕香だけじゃなくて、も同じような目に遭わせようとしたのか?」
「それもあった。だが、それだけではない」
「・・・俺はわかる気がする。は雷門の司令塔だからな」
「俺は日本にいた頃のちゃんはわからないけど、ここへ来てからのちゃんを見て確信した。影山、あなたはちゃんを認めていたんでしょう?」
を認める・・・?」
「カテナチオカウンターは究極の必殺タクティクスだ。影山東吾のプレイも素晴らしい。
 でもちゃんは完璧で素晴らしいと言われる、あなたが大好きな一番強かった頃の影山東吾を破る方法を見つけてしまった。認めるしかありませんよね?」





 初めは、ここまで厄介な少女だとは思っていなかった。
フットボールフロンディアでの帝国連覇を阻もうとする雷門中サッカー部のエースストライカー豪炎寺修也の幼なじみがだった、ただそれだけの理由でマークした。
風向きが変わってきたのは、冬海から受ける情報にのことが増えてからだった。
豪炎寺修也の幼なじみは只者ではないと気付き、面倒なことになる前に手を打つべく拉致したのが地区大会決勝戦だった。
実際に対面した彼女は確かに只者ではなく、迂闊に近付くとどこかしら殴られそうな獰猛さを秘めた爆弾のような娘だった。
察しがいいと気付いたのは天井に仕掛けたトリックに勘付かれた時で、認識を改めたのは試合だった。
源田のフルパワーシールドの弱点を見抜いたのは、鬼道以外では初めてだったことが影山を驚かせた。
驚きと共に、野放しにしていてはいけないという危機感も芽生えた。
雷門イレブンのお世辞にも粒揃いとは言えない選手たちをフォローして余りある洞察力と戦術眼に、憧れと戦慄を覚えた。
だから全国大会決勝戦ではを連れ去り、あわよくばそのまま手中に収めてしまおうとすら考えた。
結果は無残だったが。
真帝国学園の時はもっと酷かった。
女神にふさわしいのは二流ではなくフィールドの帝王即ち鬼道ただ一人だと思っていたのに、あろうことが二流が女神に絆されてしまった。
だからお前は二流なのだと逃亡先の地下バーでグラス片手に目の前にいない不動を詰ったことは、翌日二日酔いだったためあまり覚えていない。
相性が悪すぎたのだと思う。
どんなに近付こうが決して相容れない存在で、常に対極にいてこちらの打つ手を全力だかはったりで粉砕してくるギロチンが人になったような子だった。
イナズマジャパンはよく彼女を扱いこなせているなと思いきや振り回されっ放しのようで、ようやく今日少しだけ溜飲を下げることができた。





「・・・最後に奇才と戦えて良かった。私が編み出した作戦を破られるというのも楽しかった。ありがとうフィディオ、そして鬼道」
「影山、いや、総帥・・・」
「ちょっとグラサン、お礼言う相手1人忘れてんじゃなぁい? ついでに土下座するのも忘れてるんだけど?」
」「ちゃん」





 風丸との定期スキンシップに一区切りついたのか、両手を腰に当て居丈高に胸を張ったが鬼道とフィディオの間に割り込み影山の前に姿を現す。
せっかく話がまとまろうとしていたのになぜ今更入り込んでくるのだ。
余計なことを言うんじゃないと声をかけの腕をつかもうとした豪炎寺は、ぱしりと払い除けられ黙り込んだ。
こうなってしまったはそうそう止められない。
彼女の気が済むまで存分に暴れさせなければ、途中で遮り八つ当たりのとばっちりを受けるのがこちらになってしまう。
は顔を上げ影山を睨みつけると、びしりと指を突きつけた。





「人にお礼言う時はおでこの皺とはさよならする! なぁんでいいことやったげた鬼道くんとフィーくんにしかめっ面でありがとうって言うわけ」
「・・・これは癖だ、歳のせいというのもある」
「そうやってすぐに歳のせいにする。かっこいいスーツびしっと着こなしてるイタリア男気取ってんなら、ちょっとの歳なんてむしろオプションと思わなきゃ。でしょ、フィーくん」
「そうだね」
「ほーら」





 最後の最後まで一筋縄ではいかない子だ、恐ろしい。
こちらが礼を言おうと口を開きかけるたびに先に詰られ、彼女が言うとおり年齢の隔たりを感じなくなる。
将来どんな女性になるのだろう。
世界を股にかける稀代の指導者になっているのであれば、結果的にの戦術眼を更に開花させた身としてはこれ以上嬉しく楽しみなことはない。
できれば鬼道と共に戦ってほしいと思うのは、彼を育て上げた親心からだろう。
影山はを見下ろしかけ、ふと思いつき腰を屈めた。
指摘された眉間に寄っていた皺を指で解し、躊躇いがちにへと手を伸ばす。
本人からでなくとも、外野からでも邪険に振り払われるだろうと思っていたのだが意外にも邪魔は入らない。
子供たちと同じ視線でを見つめると、鬼道たちがなぜに惹かれたのか少しだけわかった気がした。
良い意味でも悪い意味でも目が離せない、周囲の視線を釘付けにする人間とはまさにのことを言うのだろう。
影山はの頭にそっと手を乗せた。





「今まですまなかった。もっと早くお前の才能に気付き、戦えば良かった」
「私も知らない私の才能って何?」
「それが強さの秘訣か。これからもサッカーを見続け、そして私だけでなく世界中の監督、選手たちを唸らせるような立派な女神になれ」
「そこまですごくなったら女帝になれる?」
「女帝か。ふ・・・、帝王にはそちらの方が似合うかな」





 サッカー観てるだけで女帝になれるんならそれもいいかもと呟き始めたに極力柔らかく笑ってみせる。
若い芽を摘まなくて良かった。
青空の下で彼らの未来を見ることはできないかもしれないが、どこにいても大事な、可愛い才ある教え子その他たちは見守っていよう。
影山はゆっくりと一字一句噛み締めるようにありがとうとに伝えると、待ちかねていた警察官の元へと歩を進めた。







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