77.復刻版イナ・サターン










 人質を抱えての戦いは初めてではない。
宇宙人と名乗るただの人間がサッカーで勝負を仕掛けてきた時は、夕香を人質に取られていた。
あの時は少しでも目立つことをすると夕香が更なる酷い目に遭うかもしれないと恐れ、現実と向き合えず圧力に屈してしまった。
夕香の身の安全が保障された後は今まで以上に戦いに全力を注ぐことができたが、実は当時はとの相互人質の立場にあったという。
大切なことを何ひとつ言わない甲斐性なしの不甲斐ない幼なじみをいつでも人質に取れると暗に言われていたは、だからどうした言わんばかりに我が道を誰にも相談せず突き進んだ。
強いようで脆くて、けれども妙に肝が据わっているのがだ。
ひょっとしたら今も、人質に取られているがだから何だと傲岸不遜に思い眠っているのかもしれない。
あれは本当に眠りなのだろうか。
もう既に魂を食われて肉体という器だけが取り残された、抜け殻ではないだろうか。
そう疑ってしまうほどには静かだった。
フィールドでは天魔が融合したダークエンジェルに圧倒されこちらはかなり派手な音を立て吹き飛ばされているというのに、うるさいの一言も言わない。
静けさが気味悪い。
試合開始早々豪快に決められた先制点の借りを返すために3人がかりでボールを奪い、渡ってきた貴重なパスで吹雪との連携必殺技クロスファイア改を放つ。
かつて一度も止められたことのない自身のシュートが相手キーパーの進化した必殺技に止められ、力では敵わない現実に衝撃を受ける。
何をやっても向こうの方が一枚上手で、対応は常に後手に回ってしまう。
ゲームメーカーが何人も揃っているというのに、相手に翻弄されている。
攻めようにもその隙を見つける間もなく攻め立てられてばかりなので、守り続けているディフェンス陣にも疲労が蓄積してくる。
このまま前線にいても埒が明かない。
戻りましょう。
虎丸の言葉に豪炎寺とヒロトは同時に頷いた。
個人技も大切だが、個人技を最高の力で発揮するにはチームのフォーメーションがしっかりしていなければならない。
今は無理に攻めるのではなく守備を固める時だ。
ディフェンスへ戻ろうとした豪炎寺たちは、来るんじゃねぇと叫んだ不動の声に足を止めた。




「お前たちは黙って前線にいやがれ! 邪魔だ!」
「どうしてです! こういう時こそみんなで協力して守備を!」
「うるせえ! 邪魔だって言ってんのが聞こえねぇのか!?」
「はっ、仲間割れか? 人間ってのは醜いなあ!」





 虎丸たちは助けに来るつもりなのかもしれないが、こちらからしてみれば彼らの行動は救いの手でもなんでもない。
むしろ、正真正銘地獄に叩き落とす誤った選択だ。
ダークエンジェルが全力をもってしても敵わない相手だということは、実際にシュートを打ち止められた豪炎寺たちならばわかっているはずだ。
そうだというのに、なぜ自ら全力からより遠ざかるような道を選んでしまうのだ。
フィールドに立っている11人の中で得点を挙げる可能性が最も高いのがFW陣だというのに、なぜそれがわからないのだ。
を助けることができるのは自分ではなく豪炎寺たちなのだ。
MFではなく、強力なシュート技を持つFWなのだ。
不動はデスタの強烈なパスを体を張って止めると、ふらつく体を懸命に堪え不敵な笑みを浮かべた。





「また2人でシャドウレイか。1人で来いよ」
「なに・・・?」
「それとも俺が怖いのか?」
「恐怖で震えているのによく言えるな! 面白い、お前の魂をあの女の次に喰ってやる」
「どうせなくなる魂だ、教えてくれねぇか。なんでちゃんなんだ。生贄も女も他にいるのになんでちゃんなんだ」
「あの女、指輪をしている。はるか昔、魔王と添い遂げると約束したにもかかわらず指輪だけ奪ってトンズラ働いた女がいた。魔王は女を恨んだ。当たり前だ、コケにされたんだからな」
「はっ、ちっちぇえな・・・」





 ふざけるな、それはただの魔王の逆ギレだ。
魔王が愛したのはではなくおとぎ話の住人だ。
おとぎ話の中に出てきた指輪のレプリカをはめたからといってが食われるのはどう考えてもおかしい。
魔王は、女に振り向いてもらえるだけの器量がなかっただけだ。
振り向いてもらえなかっただけで恨み、命を奪おうとする狭量な奴だったから女も見限ったのだ。
同じ指輪を贈った者として言わせてもらうならば、自分は決して相手を恨まない。
恨むために指輪をはめはしない。
たとえ振り向いてもらえなくても、いつまでも見守っておきたいから贈るのだ。
呪いをかけるなんて、そんなことは好きな人にはできない。
不動は物言わぬ鉄格子の中のを見上げた。
いついかなる時もは様々な形でこちらを見てくれている。
望んだ形ではなくても、あっきーと呼び見守ってくれている。
もしも本当に今回の事件が自身のふとした出来心ではめてしまった指輪に原因があるのであれば、その時はを危険に陥れた責任を取って大人しく身を引いてもいい。
だからもう一度だけでいい、俺に、ただの保護者代理にご意見番のありがたい言葉を授けてくれ。
不動がバックパスしたボールが鬼道に渡り、前線に留まっていた豪炎寺がグランドファイアを放つ。
守備に戻らず力を温存していた豪炎寺たちが放ったグランドファイアが炎を噴き上げ、ダークエンジェルが守るゴールに突き刺さる。
終始押されっぱなしだった前半だったが、終了間際にようやく同点に追いついた。
このままの勢いでいけば、後半は反撃のチャンスももっと生まれてくるはずだ。
この戦いに勝てば今度こそを救える。
ようやくスタートラインに立った気分になり天を仰いだ不動は、小さな声での名を呼んだ。







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