迎えに来てくれるのは嬉しかったが、タイミングが少し早すぎた。
はリムジンの後部座席でむすうと顔をしかめながら、フィディオに見せ損ねた帽子を弄っていた。
本来ならば人生二度目のリムジンにはしゃぎ写真の一枚でもぱちりと記念に取っておきたいところだが、今日はご機嫌斜めなので携帯を取り出す気にもならない。
入っておいでと許可をもらい手鏡で容姿チェックを終え一歩足を踏み出した直後、音もなく真横に黒塗りのリムジンが停まった時はそこそこに驚いた。
さすがはイタリア代表の宿舎だ、リムジンが似合う建物で羨ましい。
フィディオたちに用があるリムジンだとばかり思っていたから、フィディオたちではなく自身が誘われ半ば強引に乗せられた時はそこそこの驚きがとてつもない驚きへと変わった。
フィディオの前という目的地まであと20歩足らずのところで突然引き離され、見た目はこの上なくシャープだがなんという暴挙だ、これはれっきとした拉致だ。
は雷門家所有のリムジンよりも遥かに広い後部座席の隣でゆったりと笑うセレブオーラバリバリの男を、ちらりと横目で見やった。
それなりに分厚くなった拉致の歴史書にまた新たなページを加えたヘビー拉致ラーの研ぎ澄まされざるを得なかった勘は、出されたジュースは安易に飲むなと警告を発している。
液体は何が入っているのかわからないので危険だ。
ただの水に見えて実は神のアクア原液だったそれを一気飲みした過去を持つは、勧められたオレンジジュースをいらないと言って突き返した。






「ジュースくらいで懐柔しようたってそうはいくもんですか。私そんなに安い女じゃありませんんー」
「懐柔とは物騒なことを言うお嬢さんだ。私は君のような才能ある若者と、サッカー通じて仲良くなりたかっただけだよ」
「誘拐は仲良くなりたい人にやることじゃないでしょ」
「どうしても仲良くなりたくて、その衝動が抑えられなかったのだ。怖がらせてしまったね、お詫びになんでも願いを聞いてあげよう」
「じゃあ、宿福の私の部屋の窓ガラス割れたからすぐ直して」
「おやおや」





 忠実なる下僕ヘンクタッカーの調査によれば、イナズマジャパンにご意見番という珍妙な役職で所属しているは、監督やコーチよりもある意味では恐ろしい影響力を持った少女だという。
かつては従順な駒にすぎなかった影山零治がぜひにと勧め敢行した日程をずらした上での日本対アルゼンチン戦では、予想以上に面白いものを観ることができた。
イタリア代表との試合でも、が何らかの発言をしたことにより戦況ががらりと変わった。
には、閉塞した状況を一変させる不思議な力がある。
世界をひっくり返してしまうような、施政者や権力者がいつの世も求めてやまない謎の影響力がある。
味方にすればとてつもなく心強いが、敵に、回すと厄介でしかない者。
サッカー通じあわよくば世界を手中に収めたいと考えるガルシルドにとっては、行く手を阻む障害物でしかなかった。
邪魔者は、本領を発揮する前に排除してしまうに限る。
自らが率いる強化されたチームも強いが、が何をやるかわからない以上用心に越したことはない。
どんなに強大な影響力を持つ人物だろうと、所詮はただの非力な女子中学生だ。
いかに世界を変える力を持っていようと、力を奮う手が小さければ何もできない。
ガルシルドはたっぷりと蓄えた髭に隠された口元をにやりと歪めると、に笑いかけた。





「修繕してあげたいのは山々だが、今はちょうど在庫を切らしているようだ」
「いつ直るの?」
「3日・・・といったところかな」
「そんなに? どうすんの、私の部屋それまで吹きさらしじゃんしっかりしてよ運営本部」
「しかし、宿舎のガラスはかなり強度の強いものだったはず。なぜ割れたのか、今度の参考のために聞かせてほしい」
「う、それは・・・」
「まさか、わざと金属を当てたなどということは?」
「ちちち違うもん! ちょっとごつって当たったら粉々になったんだもんガラスが不良品だっただけだもん!」
「ほう・・・? とりあえず、ガラスは早急に頼んでおこう。どうかな、ご迷惑をかけてしまったお詫びに一緒にディナーでも」





 前菜からフルコースまで好きなものを食べさせてあげようと言われれば、断る理由がなくなってしまう。
出されたものは食べない方が良さそうだが、ジャストタイミングでお腹の虫がぐきゅるるると鳴ってしまったのでいよいよ断りにくくなる。
フィディオには会えなかったしガラスは直らないし、少しくらい贅沢しても罰は当たらないはずだ。
危険に遭う前にきっと研ぎ澄まされた乙女の勘が危ないよと教えてくれるだろうし、危なくなる前に無銭飲食だけすれば問題はない。
それにひょっとしたら、ブラジル代表のイケメンを見つけたり彼らの練習を観察できるかもしれない。
先日の対フランス戦での観賞会ではサボタージュしてミーティングに加われなかったので、出遅れを挽回するためにもここはひとつご意見番が頑張らねば。
そう簡単に懐柔されてたまるものか。
逆にこちらがセレブ親父を骨抜きにして金やら何やら毟り取ってやる。
はこくりと頷くと、ジュースを一気に呷った。






































 至れり尽くせりの接待に、初めこそ裏があると思い疑っていた。
しかし、今まで味わったことのない至れり尽くせりレベルに警戒心は鮭フレークのようにあっさりと解され、いつしか警戒心も薄れていたらしい。
は夜も更け欠伸が出た頃を見計らい案内された部屋の入口で、ガルシルドの化けの皮の下を睨みつけていた。





「・・・信じらんない、あんたらサッカーを何だと思ってんの?」
「かつて女神はよく、こう口にしていたそうだ。『世界が欲しいならサッカーなんてまだるっこしいことをせず、ミサイルを撃ち込めばいい』と」
「だぁれその物騒な女神様」
「どうかな、いざ実際にミサイルの発射ボタンを持つ人と会った感想は。まだるっこしいものがあるから、世界は平和という名の猶予を与えられている。人も世界も急な変革を嫌うから」
「最悪。もうガラスなんかいらない、新聞紙と段ボールでやりくりする。どいてよ、私を厄介事に巻き込まないで!」





 肌身離さず持っていた花束から鉄パイプを突き出すと、ガルシルドがすべてを見越していたかのようにゆったりと笑う。
手塩にかけて進化させてきた文字通り相棒を嘲笑われ、頭が熱くなる。
こんなくそじじい、アイアンロッドでめっしゃめしゃにしてやる。
勢いよく鉄パイプを振りかぶったは、じじいに見合わぬ俊敏な動きで部屋の外へ出たガルシルドではなく扉にパイプを打ちつけ思わず得物を落とした。
扉の向こうからガルシルドの笑い声が聞こえてくる。
忌々しい、はめられた。
はびくともしない扉を思いきり蹴り、そっくり跳ね返ってきた痛みにしゃがみ込んだ。





「ほんと最っ低! 超最低!」
「・・・こんな子に駒が懐柔され、我が計画も脅かされるとはな」
「はあ!? 言いたいことあるならここ開けて私の目ぇ見て言いなさい!」
「その鉄パイプでここのガラスは割れるかな? 弾丸すら通さぬ鉄壁を」





 なんという監禁プレイだ、質は最高だが中身が酷すぎる。
携帯電話の電波までシャットダウンされるとは、初めから軟禁する気満々だったということだ。
悔しい、よりにもよってラスボスの人質になってしまった。
は無残に床に転がった鉄パイプを拾い上げると、怒りに任せガラスに向かって投げつけた。






だってまだG4だから






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