木戸川清修中学サッカー部の監督を務める二階堂は、1年前のフットボールフロンティア決勝戦の翌日、自分の前に姿を現した少女のことを今でも鮮明に覚えている。
彼女の姿は以前もちらちらと視界の隅で捉えていたが、目の前で相対するのはその日が初めてだった。
サッカー以外では万事において冷静な豪炎寺が、唯一心を許している女の子。
豪炎寺の背中をぽんと叩いて送り出し、試合が終わり解散すると会場から少し離れたところで彼の隣にいつもいる女の子。
その程度の曖昧な認識しかなかった二階堂だったが、決勝戦の翌日、たった1人で思い詰めた表情を浮かべ自分を訪ねてきたことから彼女の人となりをよく知ることができた。




「・・・昨日の試合、決勝戦はすみませんでした・・・」
「どうして君が謝るんだい?」
「そりゃそうなんですけど・・・・・・。あ、あの、修也・・・じゃない、ご、豪炎寺くんだったらたぶんそう言ってると思って・・・」
「彼はなぜ来なかったのかい?」
「豪炎寺くん、決勝戦は本当にすごく楽しみにしてたんです! 逃げたわけでも、帝国が怖かったわけでもないんです! ほんとのほんとに楽しみにして、た、のに・・・・・・」




 スカートをぎゅっと握り締め俯いてしまった少女に、二階堂は少なからず慌てた。
来た時から様子が変だとは思っていたが、さすがに泣かれてしまうと収拾がつけられなくなる。
二階堂は少女に座るよう促すと、落ち着いてと極力優しく声をかけた。




「豪炎寺くん妹が1人いて、ああ見えてすごく妹に甘いんです。頭おかしいんじゃないかってくらいにシスコンなんです。・・・でも、決勝戦の日、夕香ちゃんが車にはねられて・・・・・・。
 ・・・わ、私、一緒にいたのに夕香ちゃんだけ・・・・・・!」
「豪炎寺が来られなかった理由はわかった。それで、妹さんの容態は?」

「・・・目が覚めないんです・・・。豪炎寺くん取り乱して、試合どころじゃなくて・・・・・・。・・・私、一緒にいたのに守ってあげられなくて、私が守れてたら修也試合に来れたんです。
 だから、だから・・・・・・」




 ごめんなさいと小さく、蚊の鳴くような声音で言われ二階堂はゆっくりと目を閉じた。
きっと豪炎寺は、仮に事故に遭ったのが妹ではなくてこの少女だったとしても試合には来なかっただろう。
そうだというのにこの子はこんなに思い詰めてここまで来ている。
二階堂監督と呼ばれ、再び目を開ける。
先程までは俯き今にも泣き出しそうな顔をしていたのに今は真っ直ぐとこちらを見つめてくる瞳に出会い、思わず居住まいを正す。





「修也、監督のことはすごく信頼してて、大好きなんです。監督に臆病者だとか思われちゃうのが、修也は一番耐えられないことだと思うんです。
 だから、監督だけは修也はそんな弱虫じゃないって信じてくれたら嬉しいです」
「他の選手には?」
「絶対に言わないで下さい。修也はたぶん、どんな理由も言い訳にはならないって思ってます。それに、私がここに来てること知らないんです。
 だから監督も、修也がいつかちゃんとみんなに謝るまで内緒にしといてほしいんです」




 お願いしますと言ってぺこりと頭を下げると、少女はそのまま部屋を出ようとした。
名前を尋ねると、ですと返ってくる。
部屋を出て行ったを見送ると、二階堂は椅子に腰掛け小さく息を吐いた。
優しい子だと思った。
楽しみにしていた決勝戦へ出場できなくなった豪炎寺の苦しみを知り、事故に巻き込まれた妹を思い悲しみに暮れる彼を支え、更に彼の名誉を守るために奔走する。
これほどまでに気配りのできる子がいるだろうか、いや、そういないだろう。
彼女自身だって事故を目の前で見て、守れなかったことを悔やみ悲しみ思い詰めているというのに。
見守る者というのはいつでも辛い役目を負う。
誰が彼女の心を支えてやっているのだろう。今の豪炎寺にその役は務まらない。
務めてほしくないから、無理をしてほしくないから、事故を目の前で見たことを告げていないのかもしれない。
優しすぎる性格で自分自身を苦しめることにはならないだろうか。
二階堂は、たった一度しか言葉を交わさなかったを案じ、それもあって1年経った今でも記憶にしっかりと残っていた。





「豪炎寺、この1年で大きく成長して嬉しいよ」
「ありがとうございます。・・・あの、去年はみんなに迷惑かけてすみませんでした」
「妹さんの事故のことかい?」
「え・・・?」



 なぜ知っているという表情をされたが、今は無視をして話を続ける。
どんな理由も言い訳にはならないと思っていたから黙ってたんだろうと尋ねると、こくりと頷かれる。
気にするなと言えばようやく笑ってはいと答え、二階堂も同様に笑みを浮かべた。
一方的に豪炎寺を恨んでいた武方3兄弟とも仲直りをしたようで、過去の因縁とも決別できたらしい。
3兄弟と別れ雷門ベンチへ戻ろうとする豪炎寺を二階堂は呼び止めた。




「いい友だちを持ったな。・・・友だちかな、ガールフレンドかな?」
「・・・?」
「豪炎寺が今日まで悩んでいたように彼女もこの1年ずっと思い詰めているから、会う機会があればちゃんと支えてあげなさい。優しい子だよ、彼女は」
「・・・のことですか」
「さて、決勝も頑張ってくれ豪炎寺。みんな応援しているからな」





 朗らかに笑い控え室へと消えていった二階堂の背を、豪炎寺は複雑な思いで見つめていた。






























 電話を鳴らしても繋がらない。メールをしても返事がない。
まさかアドレス帳からも抹消されてしまったのだろうか。
それともまた妙な事件に巻き込まれたか。
家へ電話をするとまだ帰っていないと言われたので、が行きそうな所を探し回る。
が、そもそもの行動パターンがつかめない。
あいつは休みの日はどこに出かけているんだ。
そう憤り、休日はことごとくサッカーの試合へ連れ回していたと思い出す。
どこだろうどこだろうどこだろう。
行くあてもなくぶらついていると、稲妻総合病院の前へとやって来てしまった。
さすがに病院にはいないだろう。
怪我をしたという話は聞かないし、彼女の取り柄は元気である。
しかしせっかく来たのだ、夕香に試合の報告をしよう。
のことは一旦頭の隅に置き夕香の病室へと向かった豪炎寺は、扉を開けようとして中から誰かの話し声が聞こえてくることに気が付いた。
父かとも思ったが女性の声なので違う。
看護師にしてはやたらと話し声が聞こえる。
もしかして不審者だろうか。
扉に近付き耳をそばだてると、聞き慣れた声であるとわかる。
こんな所にいたのか。
すぐさま扉を開けたい衝動に襲われたが、話している内容が気になるのでしばらくこのまま聞き耳を立てることにした。





『試合に来るなって言われたのに木戸川の友だちに誘われたから結局行ったなんて笑っちゃうよね。しかもその子の恋バナってか惚気話聞いてたらファイアトルネード見損ねたし。
 ・・・ま、来るなって言われてたからちょうどいいのかな』
「・・・・・・」
『いつか絶対に嫌われるってか恨まれるってか殺されるかもしれないとはわかってたけどさー。さすがに傷ついちゃった、自業自得なのに。夕香ちゃんのお兄さんは正直者ですねー」
「・・・・・・」
『別に悪口言ってるわけじゃないんだよ。修也はいっつも正しい。悪いの全部私だもん。・・・ごめんね、守ってあげられなくて。
 あの時私がちゃんと夕香ちゃん守っとけば、夕香ちゃんも修也もこんな目遭わなかったのにね。去年ちゃんと決勝戦で戦えたのにごめんね』




 今、なんと言った。
徐々にフェードアウトしていく言葉の続きがもっと聞きたくて耳を押しつけると、がたりと足が扉にぶつかる。
しまった、もう隠れられない。
仕方なくそろそろと扉を開けると、扉の方を振り返っていたと目が合う。
非常に気まずい、言葉が出てこない。
まず何から言えばいいのだろう。
ごめん? それとも、なぜここにいる?
かけるべき言葉を見つけられず黙ったまま見つめていると、は困ったように笑いかけた。
勝手に入ってごめんねと言われたので気にするなとだけ辛うじて返すと、ほっとした顔になる。




「・・・、」
「隠し事知りたいんでしょ? 話したげるから後で屋上来てくれる?」
「・・・わかった」




 夕香に試合の報告を済ませ、足早に屋上へと向かう。
ご丁寧に立ち入り禁止の札がかけられ、人払いがされている。
それほどまでに話したくない内容なのかと不安になりつつも屋上へと出る。
サッカーボールを抱えぼうっとベンチに座っていたを見つけ、少し間隔を空けて隣へ座る。




「どこから聞いてた?」
「木戸川の友だちと一緒に試合に行ったとこだ」
「全部だよそれ。じゃあわかったでしょ、はいこれ」




 は言葉を切ると、豪炎寺にサッカーボールを差し出した。







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