扱いに困り野放しにして好き放題させていたのが仇になった。
総帥が直々に名を呼ぶような子なのだから、たとえ面倒でももっと厳しく見張っておくべきだった。
あの悪魔、神のアクアに何をした。
アフロディは、神のアクアにしてはやたらと塩辛い液体を飲んでいる途中で地面に捨てた。
塩辛いのではなく、まさしくこれは塩水だ。
アフロディテが海の泡から生まれたことにちなんだ彼女なりの遊興なのかもしれないが、だからといってなぜそれを試合本番でやらかすのだ。
本当に、どこまでも他人のことを考えない破天荒な少女である。
彼女がいつの間に監視の目を潜り抜けて雷門ベンチへ行ったかなど、考えただけで目眩がする。
まったく、何をやっているのだ研究員たちは。




「神の本気を知るがいい・・・!」



 もう手加減はしない。
神のアクアなどなくても、ゴッドハンドくらい破ってみせる。
神のアクアはあくまでも体力を増強させるだけで、個人の技術はそれによって与えられたものではない。
神はいつまでも神であり、天使は翼をもがれない限り羽ばたき続ける。
アフロディは必殺のゴッドノウズを円堂へ放った。




「俺は大好きなサッカーを守る!」




 円堂がボールから目を逸らし、体をぐっと後ろへと捻る。
諦めたかのようにも見えるその背中からは、今までとは比べものにならないほどの闘志が滲み出ている。
はGKにはほとんど興味もなく、もちろん技の巧拙も知らない。
けれども、今まさに円堂は出そうとしている技こそマジン・ザ・ハンドだとすぐに察することができた。
がむしゃらな手探りの練習だけでない何かを得たのだろう。
はじめましてマジンさん、これから雷門のみんなと仲良くしてね。
はゴッドノウズを易々と止めたマジンに心の中で挨拶をした。





「いけ、豪炎寺!」




 世宇子DF陣のブロック技を気合で突破した鬼道が豪炎寺にパスを出す。
ファイアトルネードで炎を纏ったボールが鬼道へ戻り、ツインブーストでゴールを奪う。
必殺技の重ねがけを本当にやってくれるとは思わなかったし、まさかそれで本当に点が入るとも思わなかった。
おそらく鬼道も考えていたのだろう。
出すぎたことをしてしまって鬼道の株を奪ってしまった気がする。
さすがは鬼道くん、天才ゲームメーカーってすごいなあと声には出さずにフィールドの鬼道に賛辞を送る。
同じパターンで攻撃し2,3点目を入れ同点に追いつく。
あと1点、あと1点入れれば優勝できる。
残り時間も僅かになり円堂が前線へと上がる。




「あと、ちょっと・・・!」



 不死鳥が天を覆い、神が統べていた空を奪う。
戦えなかった去年の思いも込めた豪炎寺渾身のファイアトルネードが、不死鳥の炎を更に猛々しくする。
何が起こったのかわからなかった。
わからないまま割れんばかりのスタンドの歓声に飲み込まれ、隣に座っていた夏未からぶんぶんと両手を握られ揺さぶられていた。
かなりの賑やかさだというのに依然として重い瞼を必死に上げ電光掲示板を見やると、そこには『4-3』と表示されている。
ああそうか、優勝できたのか。
改めてそう思うとじわじわと嬉しくなってきて、は決勝戦の大舞台でハットトリックを決める活躍を見せた鬼道の元へ駆け寄った。




「すごいすごい! すごいねみんな! ハットトリックすごいね鬼道くん! ぎゅって・・・」




 ぎゅっと抱きつこうとして、はっと思い留まる。
鬼道に抱きつくのはタブーだった。
激戦でただでさえ疲れている体にハグはきついだろう。
どうしよう、でもハグ態勢に入ってなんだかちょっとむずむずするし。
どうしたものかと鬼道の前で誤魔化し笑いを浮かべていると、鬼道もふっと笑う。




、ありがとう」
「わ、鬼道くん!?」



 予想外の人物からのハグというものはなかなかに心臓に悪いもので、だから人によっては息をしなくなるのかもしれない。
鬼道は極力優しくを抱き締めてすぐに離れると、誤解はなくなったかと悪戯っぽく尋ねてみた。
びっくりした顔でこくこく頷いているが可愛らしくて、彼女を抱き寄せたと思うと己が所業がとても歴史的なものに感じてくる。
あのゴタゴタした中でしっかりと観ていてくれたことは純粋に嬉しかったし、ハーフタイムでのアドバイスも非常に的を得ていて良かった。
彼女の助言あってこその得点だと思っていた。
やはり彼女は素晴らしい才能を秘めている。
下手な監督よりも監督らしく、そこそこのゲームメーカーよりも優れた司令塔だった。
できることならばこれから先、マネージャーが嫌ならコーチとして入部してほしいくらいだった。
頼んでみようか。押しには弱い彼女だから、頼み込めばなんとかなるかもしれない。




が抱き締められるなんて珍しいこともあるもんだな。いいのか、見てるだけで」
「何が?」
「気付いてないのか? 今のお前の顔、すっごく悔しそうだけど。俺がの頭撫でたりぎゅっとしてる時とは違う目だぞ、それ」
「・・・・・・」




 優勝旗授与などのセレモニーのため、円堂たちが再びフィールドへと向かう。
ちらりとの方を見るとちょうど目が合う。
にっこり笑って親指をぐっと突き立ててきたので、こちらも同じ動作を返す。
これといった褒め言葉はなくなったが、笑顔はずっと見せてくれる。
日常では何を言ったりやったりしても大抵むすりとした表情しかしてくれないが、サッカーでいいプレイをすれば絶対に笑ってくれる。
もしかすると、今も昔の癖が抜けきっていないのかもしれない。
だから彼女の笑顔が他の男に向いていると少しばかり不機嫌になってしまうのだろうか。
しかし、風丸は良くてなぜ鬼道はいけないのだろうか。
よくわからなかった。





「この後は優勝インタビューとかあるらしいけどさあ、豪炎寺何言うんだ?」
「喋るのは好きじゃないから頼んだ。俺は夕香に優勝を報告してくる」
「そっか。・・・ってええっ、おいちょっと豪炎寺!」




 円堂の焦った声は聞こえなかったことにして、ベンチに座ってぼうっとしているの元へ歩み寄る。
再会した時からずっと眠たそうにしているが、寝るのはすべてが終わってからだ。





「ん?」
「夕香のとこに行こう、




 『ちゃん』『・・・なぁに?』『とっておきのとこに連れてってあげるから行こう、ちゃん』。
遠い昔の初めての会話を思い出し、笑いを堪え顔を上げる。
サッカーボールを追いかけてばかりいたのに、急に思い出してこちらへやって来て手を差し伸べてきた子どもは、今はこんなにも立派になったのか。
あの時はとっておきの場所だったが、9年後の今は大好きな妹の元。
場所が変わっただけで、中身は何も変わってないんだなあ。
あの日手を取っていなかったら今はなくて、長年の叱咤激励がなかったら幼なじみもここまで天才的なプレーヤーにはなっていなかったかもしれない。
そう考えると、自分で自分のことを少しだけすごいと思えた。




「修也は変わってないなー。これからも昔のままの、あ、でも私にはもうちょっと優しくする修也でいてね」




 差し出された手を握ろうとする前に腕を掴まれ引っ張られていく。
そんなに早く行きたいならさっさと1人で行けばいいのに、そうしないのはなぜだろう。
手を振り払おうと思っても握られた力は案外強くて、病院に着くまで手放してくれそうにない。
どこにも逃げないよと冗談交じりに言うと、ぱたりと立ち止まり振り返られる。
見つめてくる表情も双眸も思った以上に真剣で、思わずこちらも顔を引き締める。





「はい、何で・・・むぐ」




 タオルでごしごしと強めに口元を拭われ言葉が途切れる。
食器でも拭いているつもりなのか、何度も何度も同じところばかり擦られる。
いきなり人の口元にタオル宛がって何をしているんだこの人は。
しかも唇からは微妙にずれている・・・と非難の声を上げようとして、ははっとした。
気付かないうちに顔色が変わっていたのか、豪炎寺の眉間にさらに皺が寄り、手に籠もる力が増していく。




「痛い、い、痛いたいたたいってば! そんなに強くやったらお肌ばっさばさになっちゃうじゃん!」
「消毒液かけた方がいいんだろうが、口に入ったらさすがにまずいと思ったからやめた」
「消毒液って・・・。別にそこまでしなくてもちゃんと洗ったし・・・。てか手! ねぇもういいでしょー」
「駄目だ」
「なんで」
「またいきなり消えてほしくないからな。安心しろ、この状態で連れて行かれても俺も一緒だし、少なくとも1人くらいは守れる」




 そろそろスタジアムから出てしまうが、外でもずっと手を引っ張っていくつもりだろうか。
彼氏彼女じゃあるまいし、親子や兄弟でもあるまいし、公衆の面前で手を引かれるとなるとさすがに戸惑ってしまう。
いらぬ勘違いや嫉妬の対象になるのはごめんだった。
心配してくれるのは嬉しいが、もう少し考えてほしい。
そもそも、連れ去られるなんて珍事は人生に一度あるかないかといったレアイベントなのだから、そこまで気にしなくてもいいと思う。




「なんだかやったらめったら心配かけたみたいでごめんね?」
「ああ、すごく心配した。人に殺意を覚えたのは3度目だった」
「3回目」
「最初は夕香を襲った影山。2回目はを襲った影山。そして3回目が今回のことだった」

「・・・・・・えへへ」
「何だいきなり。人が真面目に話している時に笑うのは悪い癖だぞ」




 突然掴んでいないの方のの腕がにゅっと伸びる。
ぽんぽんと頭を撫でられ、豪炎寺はの腕をようやく離した。
よしよし頑張ったね今日までお疲れ様と、普段のからは想像できない柔和な笑みを浮かべ頭を撫でられている。
何の気まぐれかと言いたくなったが、手を退けられるのが少しだけもったいない気がして言い出せない。
夕香はいつもこんなに優しく撫でられていたのか。
羨ましいとぼんやりと思い、すぐにその考えを打ち消した。




「優勝したらこうしようって思ってたんだ。ありがと、約束守ってくれて。これから先も修也がいたら怖い思いしなくて良さそう」
「怖い思いさせたくてサッカー漬けにしたわけじゃないからな」




 後ろが騒がしくなり振り返る。
記者や円堂たちが雷門のエースストライカーをインタビューの席へ戻そうと追ってきている。
豪炎寺とは顔を見合わせると頷きあった。
考えていることは同じだ。
口に出さずとも同じことを考え伝え合う、そのくらいの意思疎通が図れるくらいには親しくしている。




「まるで愛の逃避行」
「寝言は寝て言え」




 差し出された手を、今度は躊躇わずに手に取る。
1人だけこの場に残され報道陣に囲まれるのは嫌だし、それである事ない事書かれるのも嫌だ。
今もやっぱり眠たいけれど、寝るのは家に帰るまで我慢しよう。
は豪炎寺に導かれるようにしてゼウススタジアムを後にした。






「お兄ちゃんやればできるじゃん!」「ふ、まぁな・・・。・・・ところでは?」「豪炎寺に連れられてどっか行ったぞ」「・・・そう、か」






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