20.漂白できない黒歴史










 近所に新しく家族が引っ越してきたらしい。
あなたと同い年の子どもがいてねと嬉しそうに話して聞かせる母を見て、豪炎寺は期待に胸を膨らませた。
ぜひ友だちになりたかった。
サッカーは1人でするものではない。
休みの日は父が付き合ってくれるが、医者である父の休みはごくわずかなもので、豪炎寺はほとんど毎日1人で遊んでいた。
だから、まだ見ぬ近所の子どもに過大な期待を寄せていた。
サッカーをする男の子がいいな。
サッカーじゃなくてもいいけど、とりあえず外で元気に一緒に遊んでくれる男の子がいいな。
豪炎寺の頭の中で勝手に構築された子どもは、元気いっぱいな運動大好き少年だった。
それ以外の人物が来るとは思っていなかった。
予想どおりの子が来ると思っていた。
そして彼の期待を知らず知らずのうちに一身に受けてしまっていた子と出会った日こそ、豪炎寺の夢と希望が無残に打ち砕かれた人生で初めての日になった。




「ごめんなさいね、ちょっと恥ずかしがり屋さんなの・・・。これから仲良くしてあげてね、修也くん」
「まぁ可愛い! 良かったわね修也、可愛いお友だちができて」
「男の子じゃ、ない・・・・・・」




 母親の足に隠れるように寂しげに立っている目の前の子どもは、どこからどう見ても女の子だった。
サッカーを一緒にやってくれるような元気いっぱいの子にも見えない。
家の中で静かに遊んでいそうな子にしか見えなかった。
不安そうな瞳でちらちらとこちらを見つめてくる姿は、まるで図鑑に載っている小動物のよう。
きゅんとした。
急に心臓がドキドキとうるさく鼓動を刻み始める。
何だろう、このドキドキは。
ぼうっと少女を見ているとばちりと目が合う。
恥ずかしげに一瞬目を伏せたが、母親に促されほんの少しだけ前へ出てくる。
綺麗なワンピースに身を包んだ少女が眩しく見えた。




「・・・くん?」
「違うわよちゃん。この人は修也くん」
「修也、くん。えっと・・・・・・、です・・・。よろしくね・・・?」



 また、きゅんとした。
先程からいったいどうしたというのだろう。
男の子じゃなくて落ち込んでいるはずなのに、なぜだか嬉しい。
寂しそうな、不安げな顔ではなく笑顔が見たい。笑顔にさせたい。
豪炎寺修也ですと自己紹介を済ませると、じっとを見つめる。
別段怖いことをやっていないというのに何を怖がっているのか、ずっと母親から離れようとしない。
嫌われてしまったのだろうか。
そう思うと胸がちくりと痛んだ。




「本当は元気で明るい子なんですけど、前に近所に住んでたお友だちのことが忘れられないみたいで・・・」
「そうなんですか・・・・・・」




 母親たちの会話が終わるのをじっと待つ。
手を引かれて帰る後ろ姿もやはりどこか寂しそうで、見ているこちらも切なくなる。
友だちとよほど仲良くしていたのだろう。
自分を見てもまるで別の人物の名を呟いていたし、もしかしたら向こうは仲良くなろうと思っていないのかもしれない。
視線の先もおかしかったし。




ちゃん可愛かったわね」
「うん、すごくかわいかった」
「お人形さんみたいだったわね」
「うん、おひめさまみたいだった」
「お姫様はすごいな。仲良くしてあげるんだぞ修也」
ちゃん、どうやったら笑ってくれるかなあ・・・。ちゃん今もかわいいけど、笑ったらきっともっときらきらしてると思うんだ」



 夕食の席で真剣に仲良し計画を練っている息子に、両親は顔を見合わせた。
てっきり男の子じゃなかったから残念がっていると思っていたが、何だこの異様な食いつき方は。
人形をお姫様に訂正し、可愛いという賛辞には『すごく』とおまけをつけ、よほど新しい友だちを気に入ったらしい。
ずっと1人だったから、やはり性別関係なく嬉しかったのだろうか。
嬉しさが暴発して、お姫様になったのだろうか。
そうか、これが初恋というやつか。



「修也、ちゃんと仲良くしてあげてね」
「うん」



 人間は即物的な生き物だが、幼い子どもでもそうらしい。
願わくば息子が、見た目だけでなく内面もきちんと知った上で素敵な恋をしてほしい。
豪炎寺夫妻はなにやら思案顔を浮かべている息子を見つめ、祈らずにはいられなかった。




























 何が楽しいのか、何が目的なのかは毎日公園を訪れていた。
何かするわけでもなく、ベンチに座ってじっと黙ってサッカーに興じている自分を観察している。
話しかけられずただただ見られている豪炎寺は、の行動の意味がわからなかった。
一緒にサッカーをやりたいのだろうかとも思ったが、やりたそうな雰囲気ではない。
ただ見ているだけ。
しかも熱烈な視線をいうわけでもない。
可愛いけど変わってる子だな。
気味が悪いといったマイナスイメージを抱くことなく豪炎寺はを分析した。
きっと母はあまりに彼女が無口だから、人形のようだと評したのだ。
もっと喋ればお姫様だってわかってくれる。
だってこんなに可愛い女の子、今まで見たことないではないか。




「・・・そうだ!」




 笑わず喋らずの彼女でも、きっとあそこへ連れて行けば笑ってくれるし喋ってくれる。
豪炎寺はサッカーボールを脇に抱えると、ベンチのの元へ駆け寄った。
ちゃんと名を呼べば、不思議そうな表情を浮かべこちらを見上げてくる。
近くで見るともっと可愛いけど、だからこそ笑ってほしい。
豪炎寺はボールを抱えていない方の手をに差し出した。




「・・・なぁに?」
「とっておきのとこに連れてってあげるから行こう、ちゃん」




 少し迷った後、躊躇いがちに自分よりも小さな手が重ねられる。
あの場所はは初めてだから、途中ではぐれないようにしっかりと握っておかなくては。
ぎゅっと手を握ると、がわっと声を上げる。
痛かったのかと心配になって慌てて大丈夫と尋ねると、うんと返ってくる。
公園の外れの小高い丘を登り、丘の上にそびえ立つ灯台へと案内する。
ここから見える景色が大好きだった。
引っ越してきたばかりでまだこの辺りのことをわかっていないであろうは、きっと喜んでくれる。
豪炎寺の予想どおり、灯台からの景色を見たはわあと歓声を上げ目を輝かせた。




「遠くまで見えてすごいだろ」
「うん! わぁ、お家がいっぱい」
「ぼくの家はあれで、ちゃんのお家はあれ・・・かな?」
「へえ! 修也くんよくしってるね」
「よく来るんだ。こんどからちゃんもいっしょに行こう?」




 断られるのではないかとドキドキしながら尋ねると、うんと笑顔で頷かれる。
あ、笑った。思ったよりももっと可愛くてきらきらしてる。
本当にお姫様みたいだ。
ぼくの大切な、ぼくだけのおひめさま。
の笑顔を独り占めできたことが嬉しくて、顔がにやけてくる。
はことりと首を傾げると、ちょいちょいと豪炎寺をつついた。




「修也くんもサッカーするの?」
「うん。ちゃんもする?」
「ううん。あっ、でもねっ、・・・くんもサッカーじょうずでねっ、サッカーできないけどしってるよ!」
ちゃんおちついて。なに言ってて、だれのこと言ってるのかわかんないよ」
「だからねっくんがねっ」




 先日までの無口な人形加減はどこへやったのか、きらきらと目を輝かせながら喋りだしたに豪炎寺は目を丸くした。
話の内容が自分の知らない人物のことだというのは気に食わないが、それにしてもよく喋る子だ。
ただ、何を言っているのかさっぱりわからない。




「修也くんもサッカーじょうずだね! すごいなー、かっこいい!」



 修也くんが蹴ってるボールは生き物みたいだったよ。
ほんとにサッカー大好きなんだね、かっこよかったなあ。
次々と恥ずかしくなるような褒め言葉を受け、見る見るうちに頬が熱くなる。
何を突然言い出すのだこの子は。
やはりどこか変わっている。
言葉が直接的というか素直というか、相手の気持ちなどちっとも考えていないに違いない。
かっこいいと言われたことでどれだけ嬉しかったかなど、彼女は知るまい。
いや、知ってほしくない。
今、自分の隣でにこにこと笑っている少女にどれだけときめいているかなど、一生知ってもらわなくていい。
知られたら恥ずかしくて死んでしまいそうだ。
二度と彼女の顔を真っ直ぐ見れなくなるかもしれない。




「ありがとう修也くん。あのね、私ちょっとさびしかったんだ。でも修也くんがなかよくしてくれたから、さびしくなくなったよ。ありがとう」
「ぼくも、ちゃんが笑ってくれてすごくうれしい。・・・サッカーいっしょにしない?」
「ううん、見てるだけでたのしい!」




 何が何でもサッカーを一緒にしようとは思っていないらしい。
新しい友人は期待のすべてを裏切った女の子だったが、不思議と悲しくはない。
むしろ、下手に運動ができる子どもよりもひたすら応援してくれる子で良かった気もする。
とりあえず今後の目標は、彼女の発言の趣旨を理解することだ。
可愛いだけでないということは今日わかった。
これから先も彼女の言動に振り回され、戸惑うことが多くなる気がする。
彼女のことをもっと知ったら、もっと仲良くなれる。
豪炎寺は座り込んでサッカーボールをごしごしと撫でているを見下ろし、ふっと頬を緩めた。







































 そろそろ9年経とうとしているあの日の出会いは、今でも鮮明に覚えている。
いや、鮮明という表現は正しくない。
焦げついてこびりついて記憶から消そうにも消せなくなったあれは、鮮やかな思い出とは言いがたい。
に出会ったこと自体は別に忌まわしいものではない。
むしろ、今日まで続く関係となったのだから価値ある、大切な出来事だったのだろう。
だが、思い出すと苦々しい気分にしかならない。
もいけなかったが、8年前の自分は馬鹿だったのだ。
確かにあの頃のは、当時女の子という存在をろくに知らず、係わってもこなかった自分には人形以上、お姫様のように見えた。
見てくれは本当に可愛かったから、ころりと騙されたのだ。
記念すべき最初の被害者にして犠牲者は間違いなく自分だった。
早く間違いに気付いたのが不幸中の幸いだったが、それでも豪炎寺はショックだった。
なんたる詐欺だ、謝罪と賠償を求めたいくらいだった。
よりにもよって、人生でたった一度しか味わえない初恋の相手がだなんて、非情にも程がある。
・・・と、このように思いを逆恨みした時期もあるにはあった。
あれはたぶん小学校に入学してまもなくのことだった。
出会ってから恨むまでの期間が短すぎて、幼い自分の盲目さが更に悲しくなる。
とりあえず謝れと言ってと喧嘩し、生まれて間もない夕香を泣かせたのも悪夢だ。
あれ以来、夕香の前では喧嘩をしないというのが暗黙のルールになっている。
お兄ちゃんとお姉ちゃんはいつも仲良しと信じて疑わない夕香の心を踏みにじるようなことはできなかった。
そうでなくとも、喧嘩らしい喧嘩は数えるほどしかやったことがないが。
つくづく大人の対応をしてやっているものである。
はもっとその事実に気付くべきだ。




「あ、そうだ修也」
「何だ」
「さっきの試合で充分びっくりしたから、もう応援やめよっか?」
「まだだ、まだ俺が満足してない。もっと驚かせるようなシュート打つまでサッカー好きでいろ」
「しっかたないなー。ま、修也のサッカーはいつ見てもかっこいいからやめろって言われても応援するけど。どうよ、いじわる効いた?」
が俺に意地悪なことはずっと前から知っている」




 ずっと前から思わせぶりな言葉で混乱させ、サッカーが上手らしい昔の友人の名前を出し不快にさせ(もっともこれは最初の3ヶ月でなくなった)、
人の心を振り回すことにおいては右に出る者がいない幼なじみ。
小憎たらしいと思うことは多々あるが、なんだかんだでこれから先もずっと一緒にいるのだろう。
離れるというイメージすら湧かない。
その感覚が重症だということに気付くことなく、豪炎寺はたらたらと走っているの腕を強く引いた。






風丸くんよりも『可愛い』を連発していた豪炎寺くん(当時5歳くらい)。蛇足の話だとは言わせない






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