22.フラグの渡し方










 小説を読んでいるとよく、『世界が止まった』とか『時間が止まった』といった表現が出てくる。
そんなものは架空の世界の陳腐な表現に過ぎず、現実では世界も時間も止まることはないと思っていた。
そう考えるのが人として当たり前だと思っていた。
だが、今は違う。
スローモーションのようにゆっくりとが倒れ伏したのを見た瞬間、豪炎寺は、自分が存在する世界が止まったかと思った。
少なくとも自分の周りはすべての活動を停止したと思った。
頭が真っ白になった。




・・・・・・?」




 目の前に飛び出してきた時は何事かと思ったと同時に、嫌な予感しかしなかった。
帝国学園での鉄骨事件の時とは比べものにならないほど、気分が悪くなるほどの嫌な予感がした。
どけと叫んでも退こうとはせず、むしろ自分を庇うように仁王立ちしたはいつものように笑みすら浮かべていた。
怖いものを見すぎて心が壊れてしまったのかと思った。
イレブンの誰もが太刀打ちできなかった宇宙人のシュートをゴムボールのような手軽さでキャッチした時は、嫌な予感が更に膨れ上がった。
ずっと昔から一緒にいて、一緒に遊んできたからの運動神経は知っている。
一緒にサッカーをしようと誘っても頑として首を縦に振らなかった、筋金入りのサッカー観戦ファンだ。
技術そのものはド素人で、ゲームメークだけがずば抜けて優れているだけなのだ。
まかり間違っても、脅威でしかない宇宙人の謎のサッカーボールをキャッチできるような守護神ではなかった。
怒りや気合いといった感情で受け止められるほど柔なボールではないのだ、宇宙人のあれは。
ボールを手にして宇宙人に近付いた時は、彼女を追えない我が身がもどかしかった。
遠くへ行かないでくれと懇願したくなるくらいに、は変わっていた。
サッカーで痛い思いをするのは割と慣れていたりするから、俺を庇ってキチガイとコンタクトを取ろうとするなと言いたかった。
本当の本当に、究極の最終手段である張り手を宇宙人にぶちかました時も、小気味良さよりも不安の方が大きかった。
悪夢が始まったのは張り手の直後だった。
邪魔が入ったとだけ呟き、の手からボールをもぎ取った宇宙人が傘美野中の校舎へボールを蹴りつける。
しかし校舎が崩れ落ちる光景も、傘美野中サッカー部員たちの泣き声も目や耳に入ってはこなかった。
しか見えていなかった。
宇宙人が消え、救急車がやって来る中痛む体に鞭を打っての元まで向かう。
抱き起こして名前を呼んでも返事どころか動きもしない。
死んでいるのかと思うほどにひんやりとしていて、先程までの苛烈さで体中の熱がすべて奪われてしまったようだった。
怖い、心の底からそう思った。




「豪炎寺くん、ちゃんは・・・・・・!」
「家まで送り届ける。・・・俺に任せてくれ」
「豪炎寺・・・」



 の両親は旅行から帰ってきていると聞いた。
を背負い家まで向かう。
いつもなら聞こえてくる明るい声がなく寂しい。
家に着きインターホンを押すと、焦った表情のの母が出迎えた。
背中でぐったりとしているを見て口元を手で覆う。




ちゃん・・・!? 修也くん、雷門中学校が破壊されたって連絡網が・・・」
「・・・すみません、俺もいたのに・・・」
「とにかく上がってちょうだい。修也くんもすごい傷だわ、手当てしなくちゃ・・・!」




 を部屋に寝かせた母親がリビングへと戻ってくる。
優しい手つきで傷口を消毒して絆創膏を貼ってと、母を早くに亡くした豪炎寺にとっては柔かくて優しい時間が流れる。
シャワーも服も貸してもらい、そんな扱いをされる資格などないのにと思ってしまう。
曇った表情しかしていない自分を案じたのか、の母親は大丈夫よと優しい声で口にした。




「怪我とかしたわけじゃないんだからすぐに起きるわ。ほら、ちゃん修也くんと違って鍛えてないから疲れちゃったのよ」
「でも・・・・・・」
「でも、修也くんはちゃんのこと心配してくれてここまで運んでくれたんでしょ? 修也くんの方がたくさん怪我してるのに娘がごめんなさいね」




 ほんとにちゃん、修也くんにお世話になってばっかりねと苦笑して言う母親に、豪炎寺は思わず違うんですと口走っていた。
きょとんとしている彼女に、もう一度違うんですと答える。
世宇子戦、いや、本当は帝国戦の時からずっと言いたかった。
言えなかったのはがそのタイミングを与えてくれなかったからだ。
豪炎寺は両手をぐっと握り締めると、ぽつりぽつりと話し始めた。




「俺が・・・、さんをサッカーに連れ回すから、帝国でも世宇子でも、今回もさん大変な目に遭ってるんです・・・。
 俺が彼女に迷惑かけてるんです。さんは何も悪くないんです、俺が・・・」
「修也くん、それ、絶対にちゃんの前で言わないでね。ちゃんすっごく怒るか泣いちゃうから」
「でも・・・!」
「ほら、手もそんなにぎゅってしちゃ駄目よ。・・・ちゃん、家でよく修也くんの話するの。修也くんが雷門のサッカー部に入ってからは、前よりももっと増えちゃって」
「風丸や鬼道のことじゃなくて・・・?」
「その2人の話もたまに出るけど、一番多いのはやっぱり修也くん。修也がね修也がねって、パパが妬くくらいに」




 だから、そんな悲しいこと言わないで。
の母親はそう言うとにっこりと微笑んだ。
笑顔がどことなくと似ているのは、やはり母娘だからなのだろう。
緩む涙腺を必死に締め直すと、の容態を尋ねてみる。
まさかとうの昔に起きていて、ドア越しに弱音トークを聞いているのでは。
そう思いもしたが、残念ながらまだ起きないらしい。
不安になって薄暗いの部屋を母親の頭越しに覗き込むと、修也くんも心配性ねえとくすくすと笑われる。
これで心配しない方がおかしい。
あんな倒れ方を見て気が狂わなかったことが奇跡なのだ。





ちゃんのこと、気になる?」
「幼なじみですから」
「ふふ。修也くん、ちっちゃい頃からちゃんのこと大好きだったものね」
「ものすごく昔の話ですから、変なこと蒸し返さないで下さい」
「まあ、変なことだなんて酷い」
「あ、いや・・・、すみません」




 の母親といるとどうも調子が狂う。
の不可解な言動は確実に母の遺伝だろう。
しかし、随分と昔の話を引っ張り出してきたものだ。
記憶に残るくらいにわかりやすい愛情表現をしていたのだろうか。
風丸がよくやっているようなベタベタに甘やかすお姫様扱いなどした覚えはないのだが、そう思われているとしたら、幼少期とはいえとんでもない失態を犯したものである。




「修也くん、夜は物騒だから今日はお泊まりしていってね」
「そこまでお世話になるわけには・・・」
「もう、そんなにかしこまらなくていいの。どうしましょ、ちゃんのこと気になるならちゃんの隣にいた方が安心よね」
「逆におばさんたちが不安になるんじゃないんですか!?」
「あら、不安にさせるようなことしちゃうの?」
「しません絶対にしません、しようと思ったことがないです」
「じゃあ大丈夫でしょう。そうね・・・、そんなに手をぎゅってしてなきゃならないんだったら、ちゃんの手でも握って眠ってみたら?」
「え・・・?」
「お互いほっとするんじゃないかしら。人のぬくもりって大切なのよ」




 だから修也くん昔からちゃんの手を握ってたんでしょと付け加えられ、豪炎寺は壁に頭を打ち付けそうになった。
別に人恋しくて手を握っていたわけではないのだが、それにしても、の母親はとことん人をからかうのが好きらしい。
実は病院まで手をつかんで行きましたなど言ってしまった暁には、ますます羞恥心に苛まれそうだ。
この人には一生勝てない気がする。
豪炎寺は、自分の顔を覗き込みおかしそうに笑う母親に抵抗することを諦めた。





ちゃんきっと、朝起きたらびっくりするわね。なんで隣に修也くんがいるのって大騒ぎしそう」
「朝、起きればいいんですけど・・・」
「起きるわ、だって朝が来るんですもの」




 の部屋にせっせと布団を敷いていた母は、手を休めると相変わらず眠っているを見下ろした。
何があったのかはよくわからないが、何はともあれ2人とも無事で良かった。
生きてさえいれば何だってできる。
こうやって大事な娘を撫でることもできるし、案じることもできる。
こんなに優しい王子様がいて娘は幸せ者だ。
普通ならここまで心配はしてくれない。
今にも泣きそうな声で名前を呟くことだってないだろう。
もっとも、豪炎寺本人は自身が泣きそうな顔や声をしていたことなど気付いていないようだったが。




「じゃあ修也くん、おやすみなさい」
「おやすみなさい、おばさん」




 静かにドアが閉まり、豪炎寺は改めて隣ですやすやと眠るを見つめた。
こうして布団を並べて眠るのは随分と久し振りだ。
家へ泊まりにくる時はもちろん部屋は別だし、一緒に寝るという選択肢自体考えたことがなかった。
本当に朝になればは目覚めてくれるのだろうか。
もしも1年前の夕香のように、一夜の眠りが1年の眠りになってしまったら。




、」




 もちろん返事が返ってくることはない。
静寂が怖かった。
ずっと一緒にいると思っていたのに、現に今もは隣にいるのにそう思える感覚がない。
さすがに寝ている顔に触れるのには躊躇い、布団の中の手を探し引っ張り出す。
ボールを止めたとは思えない、小さくて細い手だった。
布団の中に入れていたのに依然として冷たい。
ぎゅっと握ってみると、ほんの少しだけ温かくなった気がした。
ぬくもりにほっとした。
生きていると感じることができて嬉しかった。
今日だけだ、今日だけは彼女の母が教えてくれたように手を握って眠ってみよう。
そうでもしなければとても眠れる気分ではなかった。




「おやすみ、




 昔はくっついて眠っていたが、その頃だって手は繋いでいなかった。
まさか中学2年にもなって、手を繋いで眠るとは思わなかった。
けれども、これが一番安心する。
豪炎寺はの手が冷えないようにしっかりと自分の布団の中に仕舞いこむと、静かに目を閉じた。







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