26.そうだ、愛媛に行こう










 まずい、終わらない。終わる気がしない。
空欄を埋められる自信がない。
今から頑張ってもどうせ間に合わない気がする。
はオープンテラスのお洒落なテーブルの上に教科書とノートを積み上げ、溜まりに溜まった宿題を片付けていた。
頼むだけ無駄だと承知の上で半田に窮状を訴えたが、それができるなら俺だって苦労はしねぇよの一言であっさりと拒絶された。
1年生には2年の問題がわかるはずがない。
マックスはこういう時に限ってぐっすりお休み中だった。
どうしよう、マジ終わんない鬼道くんか修也ヘルプ!
今ならどんなスパルタ教育だって大人しく受けられる。
頼むから誰か助けてくれ。
は普段の3倍の集中力で宿題と戦っていた。





「ああ、おいあんた、やっと見つけた」
「・・・・・・」
「あんただろ、って」
「・・・・・・」
「なあ、俺の声聞こえてんのサン?」
「聞こえてないからしばらく黙ってて」
「聞こえてんじゃねぇか」




 ばんと宿題のプリントの上に手を置かれ、は思わず顔を上げた。
見ず知らずの少年がにやにやとした笑みを浮かべこちらを見つめている。
よし、知らない人だ無視しよう。
は少年の手の上からぐぐぐと赤ペンを引いた。
ペン先3ミリではなく蛍光ペンの先にしたのはせめてもの優しさだ。




「おいてめえ何しやがんだ!」
「人違いじゃないですかー? 私、お尻以外の場所から尻尾生やした知り合いなんていないし」
「お前がだろ。俺が捜してる女と同じじゃねぇか」
「ああ、ラブレターやファンレターならそこ置いといて。私今忙しいしごめん、お宅みたいな髪型してる人はタイプじゃない」
「そんなもん渡さねぇけど、言う前から人のこと全否定するのやめろよ」




 何の許可もなしに向かいの椅子に座られ、は渋々ペンを動かす手を止めた。
なぜこちらの名前を知っているのだろうか。
他人に噂されるほどの人気者になったのだろうか。
そうなってもおかしくないほどの魅力があるとはわかっているが、好かれるのならばこちらも人を選びたい。
少なくとも、宇宙人に負けない髪型に加えボディーペイントまで施している変人には好かれたくない。
ボディーペイントが似合うのは源田くらいだ。




「マジで私今忙しいから、自己紹介と用件を30字以内で言って」
「俺は真帝国学園の不動明王。とりあえず俺と一緒に愛媛まで来い」
「あっそ。で?」
「でって何だよ」
「何しに来たのよ」
「さっき用件言えって言ったのお前だろ・・・。俺の話聞いてんのか?」
「ううん全然」

「・・・・・・それ終わったら俺の話聞くか?」
「いいよ」




 待つ気になったのか、大人しくなった少年の存在を忘れ再び宿題に取りかかる。
30分、1時間、1時間半。
そろそろ2時間経とうとした頃、お前さあと呆れた声が完全にフリーズしていたの耳に響き渡った。




「見てっけど、さっきから全然進んでねぇじゃん」
「やっばーマジ終わんない・・・」
「理科苦手ってレベルじゃねぇぞそれ。あんた定期テストいつも赤点だろ」
「いや、試験はドS鬼畜のスパルタ指導で80点いける」
「そのドS鬼畜どこ行ったんだよ。そいつ呼んで今すぐスパルタされろ」
「・・・・・・」
「・・・いないからこれか」
「おう」





 何時間経っても真っ白なままのプリントを取り上げられる。
ああやうんうんなど独り言を呟いているが、待っている間に頭の中までおかしくなったのだろうか。
見た目、主に頭部がこれなのに頭の中までおかしくなっては救いようがないではないか。
おかしな人に好かれるのは本当に困ってしまう。
手持ち無沙汰になって教科書をぱらぱらと捲っていると、教科書に影ができる。
今すぐペン持て教えてやると言われ、は反射的にリカオくんですかと口走っていた。




「まさかお宅が夢にまで見たリカオくん・・・!?」
「リカオじゃねぇ、不動明王だ。オしか合ってねぇよ」
「そうかそうか不動くんかあ」
「ぼさっとするな! 言っとくけど俺も相当スパルタだからな、泣くんじゃねぇぞ」
「風呂場までくっついてきて教えるとか、子守唄代わりに用語ひたすら言われるとか以上の事されると泣くかもしれない」
「どんだけドS鬼畜なんだよそいつ・・・。ほら、まずはBTB溶液から・・・」






 時間が迫っているせいなのか、早口であれやこれやと教えられじわじわとプリントが黒くなっていく。
延べ時間12時間の苦戦がたった3時間で片付いた。
言うほどスパルタでもなかった。
カレーの辛さでいうと中辛くらいだ。
いつもが激辛だから感覚が麻痺してしまっているのかもしれないが、非常にわかりやすかった。
教えてくれるなら初めからそうと言ってくれれば良かったのに、不動は照れ屋の恥ずかしがり屋らしい。





「お、終わった・・・!」
「そうかそうか良かったなー。他の教科は大丈夫か、理科はもうないのか」
「ない! ありがと不動くん、さあ帰ろ」
「いやまだだぜ。何のために5時間も無駄に付き合ってやったと思ってんだ、ああ?」
「そういやそうだったね。はい、用件どうぞ」
「とりあえず俺と一緒に愛媛まで来い」
「駆け落ちのお誘いは受け付けてないんでお断りします」




 誘うにしてももう少しロマンチックに誘いなよ、それじゃ振り向く女の子も振り向かないよとダメ出しを始めたに、不動は頭を抱えた。
影山総帥が連れて来いと直々に命令した女神とやらが、ここまで酷い奴だとは思わなかった。
女神というよりも悪魔と呼んだ方が正しい気がする。
何を言っているのかわからないし、特段賢いわけでもない。
むしろ理科の成績だけ見れば、正真正銘の馬鹿としか言いようがない。
なんだかもう面倒臭くなってきた。
他の連中のように石の力を使って大人しくさせようか。





「そもそも私を愛媛のどこに連れてくわけ。愛媛に何があるってんの」
「俺の学校」
「帝国は東京になかったっけ? あ、野外活動か借り物競争?」
「どれだけ広範囲な借り物競争やってんだよ。あっちからここまで来るのにそれだけ時間かかると思ってんだ」
「それもそっか。ま、何にしたって興味ないからパス」




 終わった宿題を片付けていると、急に腕を掴まれる。
そこまで親しくない人に不躾に触られるのは気分が悪い。
何すんのと声を荒げると、不動はの腕を自分の胸に押しつけた。




サンさあ、あんまり粋がってないで大人しく言うこと聞いた方が身のためだぜ?」
「・・・半田のアドバイスが役に立つとはねぇ・・・」
「は?」
「不動くん、今日のありがとうの代わりにこれあげる」





 空いているもう片方の腕で花束を掴み、にっこりと笑う。
頭か腹か、男の急所を狙うのもいいかもしれない。
不審者は生き物と思うなと常日頃から豪炎寺から聞かされていたし、半田も似たようなことを言っていた。
不動はありがたい宿題の恩人だが、不審者でもある。
よし、頭にしよう。
頭皮剥き出しの頭にどでかいたんこぶを作ってやろう。
は花束を振り上げると、真っ直ぐ不動の頭めがけて振り下ろした。
殺気に勘付いたのか、不動がすんでのところで身をかわす。
ごおんと音を立てた花束の中から鈍い光を放つ金属バットが現れたのを見ると、不動はやりすぎだろと叫んだ。




「おまっ・・・! どこまで物騒なもん持ち歩いてんだよ、殺す気か!?」
「物騒な世の中だから金属バットでも持っとけと親友が」
「持つのはいい、確かに世の中物騒だ。けど、それを実際に使うのはやめとけ!」
「でも、不審者は生き物だと思うなって腐れ縁が」
「ああわかった、その腐れ縁ってのがドS鬼畜な奴だな」





 何事もなかったように金属バットを包み直すを、不動は今度こそとんでもない女だと認識した。
何の躊躇いもなく人に凶器を振り下ろすなど、悪魔の中でもよほど残忍な方でなければやらないだろう。
なまじ顔立ちが整っているだけにそのギャップは強烈だ。
サッカー部の連中も、こういう手のつけられなくて他人に迷惑しかかけない奴はしっかりと見張っておくべきである。




「でも今のは不動くんが悪いよ。変態かと思ったもん」
「・・・もういいよ、あんた愛媛来なくていい」
「そ?」
「あと、金属バットは人を殴るためのもんじゃないし野球部に悪いからやめとけ。どうしてもってんだったら代わりに鉄パイプやるから」
「なるほど」




 無駄すぎる時間を費やしてしまった。
2,30分で片付くはずが、まさか6時間近くもかかるとは思わなかった。
影山総帥からの任務を遂行することはできなかったが、こんな女いてもいなくても変わらないだろう。
むしろいるだけ脅威かもしれない。
の同行を断念したとなれば、もう稲妻町に用はない。
とっとと愛媛に戻ろう。
何気なく時計を見た不動は硬直した。





「どうしたの不動くん」
「・・・俺さ、愛媛からはるばる7,8時間電車乗り継いで来たんだけど」
「そりゃまたご苦労なことで。今から帰ったら深夜じゃない?」
「疫病神か、あんた」
「いや、昔いけ好かないアフロからは女神と天使認定されたこともある、見た目どおりの可愛い女の子」





 疲れる。
サッカーの練習を半日ぶっ通しでやり終えた直後よりもこの、たった2,30分の会話が疲れる。
普段からこのような会話を嗜んでいるのだろうか。
こんな女にも親友と呼べる存在がいるのか。
彼女だけがそう思っているという可能性は限りなく高かったが、仮に親友が親友でなくとも、ここまで頓珍漢な子と長く付き合っている腐れ縁には頭が下がる。
見捨てず勉強を教え、やや過激すぎる不審者対策を指南する腐れ縁は、ドS鬼畜と見せかけて実はとても優しい人物なのだろう。
もしくは、彼女の本質に気付いていない愚鈍な奴か。
不動は見ず知らずの腐れ縁とやらに敬意を表し、前者の考えを採用することにした。





「不動くん不動くん」
「今度は何だよ。・・・ああ、鉄パイプは今から取りに行ってやるから」
「いや、なんかこれ以上重たいの持ってたら腕に余計な筋肉つきそうだからもういいや。明日の朝一の新幹線乗って愛媛帰ったら? お世話になったし家に泊まってきなよ」
「おふくろさんたち困るだろ、いきなり来たら」
「平気平気。うちのママ、私が変なおじさんに追っかけられて靴片っぽ失くしたって言ってもあらあらまあまあで済ませちゃうから」
「あんたのちゃらんぽらんな性格はおふくろさん譲りか」
「ん? それって褒めてるの?」
「いや全然」




 不動くんったら厳しいなあもう。
何が楽しいのかへらりと笑いおそらくは家へと歩き出したの後を、不動は慌てて追いかけた。







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