32.ストラップ型毒リンゴ










 『私から離れるの実は初めてでしょ。寂しくならない?』
からかうような口調で言われたあの時は馬鹿にするなと言い切ったが、まさかのからかいが現実になるとは思わなかった。
意外と寂しいのだ、がいない日常は。
おおっぴらにサッカーができない悲しさのせいだろうと初めは思っていたが、土方とサッカーの練習をするようになってから、寂しいのはがいないからだと知った。
兄弟がたくさんいる土方家は賑やかだ。
日中賑やかだからこそ、夜が急に寂しくなる。
人がせっかくラジオに投稿しても何の音沙汰もない。
もしかしたら聴いていないのかもしれない。
なら大いにありうる、彼女は元々リスナーではないのだから。
豪炎寺は携帯を開くと夕香の画像を映し出した。
生で見ると可愛い夕香は、写真の中でもとても可愛らしい。
早く夕香に会いたいものだ。
夕香に会って色々な話をして、弾ける笑顔でお兄ちゃんと呼んでほしい。
夕香のことを考えていると少し元気になってくる。
さすがは夕香だ、写真一枚で兄を励ますとは世界で一番よくできた妹だと断言できる。
豪炎寺は携帯を操作し、無言で画面を伏せた。
思春期の好奇心というのは恐ろしいもので、データフォルダにはどうやって撮ったんだという画像が多く保存されている。
に知れたら即行で電話を奪われ全件削除されかねない。
いつ撮ったのと謗りを受けると弁解のしようがなくなるものばかりだ。
本当に、寝顔なんてどうして撮ってしまったのだろう。
黙っていると可愛い観賞用とはよく言ったものである。
しかもこれを撮った後だ、に知られたら確実に嫌われ張り手を飛ばされ、場合によっては殺されるかもしれないことをしでかしたのは。
ただの好奇心だと思いたい。
自分でも気付いていない潜在的欲求だとか、そういった深層心理系のものからやったことではなく。
そうでなければ、今までの9年間が振り出しに戻ってしまう。





「・・・・・・、会いた」




 駄目だ、言ったらどうしようもなく会いたくなる。
豪炎寺は携帯電話をやや乱暴に床に投げ落とした。
がしゃりと金属が擦れる音が聞こえ慌てて拾い上げる。
貸すだのいらないだの貸さないだの寄越せだのと言い争いをした結果半ば強引にから借り受けたストラップは、今は携帯電話につけている。
正直これを見ると心がもやもやする。
ご利益があるお守りだと言われても、ちっとも共感できない。
拉致監禁されたり鉄骨の餌食になりかけたり、唇を奪われそうになった挙句誘拐されたり突然倒れたりと、何かと事件が降りかかっているにとってこれは、
呪いのアイテムではないかと思ってしまうほどだ。
少なくとも豪炎寺はこのストラップを、呪いの道具の中でも特に邪念が強いものだと思っていた。
9年間もの心に存在を残しているなど、よほどの邪念が無いとできない芸当だ。
これのおかげでどれだけ苛々させられたことか。
ひょっとしたら寝顔撮影事件の時のあれは、呪いから解放したくてやったのかもしれない。
だとしたら、こちらに魔が差したわけではなくなる。
そもそも魔が差してやるものではない、あれは。
どんな形であれそれなりの好意を抱いていないとできないしやらない。
よし、そういうことにしておこう。
あれは呪いにかかって眠りに就いていた白雪姫を助けるための手段だったと。
ストラップは毒リンゴで、のストラップを押しつけたいけ好かない男は継母だ。
今のはどこから見てもお姫様と例えられるような子ではないが、こちらも王子様然とはしていないのでおあいこだ。
そう考えていると、なにやら楽しくなってきた。
責任転嫁がこれほど気持ちいいものだと思わなかった。
が常日頃から原因を押しつけてくる理由がよくわかった。




「・・・あ」




 拾い上げたストラップを明かりにかざすと、根付の裏面が妙に白っぽく光る。
本当に傷がついている。
今しがた落とした時につけたわけではないと思いたい。
傷だろうが破損だろうがどうでもいいと思っているが、借り物、しかも呪いのアイテムであってもが大切にしている物は一応大事にしておきたい。
ぞんざいな手つきで根付を拭っていた豪炎寺はふと手を止め、じっくりと裏面を凝視した。
これは傷ではない。
は自身の不注意からつけてしまった傷だと思っているようだが違う、これはイニシャルが彫られているだけだ。
のではなく、おそらくはこれを贈った男の。
豪炎寺の中で、見ず知らずの少年への敵愾心がぐんぐんと伸びていく。
ただでさえ高かった敵愾心メーターがそろそろ振り切れそうだ。
あの男、それほどまでにを縛りつけておきたいのか。
いくつだ、齢4歳にしてこれか。
とことんまでにの心に、記憶に存在を刻みつけるとはますますもって許しがたい。
お前のおかげでどれだけ苦労したと思っているのだ。
どうせ今は忘れているだろうに思わせぶりなことをしやがって。
今はまだは気付いていないイニシャルを、イニシャルだと認識できないように故意に傷を増やしてもいいだろうか。
傷が増えたと知るとは怒るだろうが、1時間やそこらの説教で男の身元を闇に葬り去ることができるのならば安いものだ。
まさしく呪いだ、もう呪いとしか思えない。
かわいそうに、何年間も呪いにかけられていたのに今まで気付けなくて悪かった。
でももう大丈夫だ。
これを返す時にはもう、二度とこいつの名前を思い出させないように処理をしておくから。
礼はいらない、これも腐れ縁オプションのひとつだ。
豪炎寺の手の中で思い出のストラップ、もとい呪いのアイテムがきらりと光った。


































 誰かがすぐ後ろにいる気がして何度も何度も振り返るが、誰もいない。
けれども誰もいないにしては、背後から見つめられている気配が強い。
やはり誰かいるのだろうか。
は道路の角を曲がるとぱたりと立ち止まり考え込んだ。
今まで出会ってきた真偽はともかく不審者たちは皆、前方からやって来たり何かしらのコンタクトを取っていた。
ということは、今回は不審者ではないのだろうか。
気のせいなのだろうか。気のせいだと思いたい、これ以上厄介事を背負いたくないのだ。
は角からひょこりと顔だけ出して周囲を見回した。
誰もいないし、隠れているようにも見えない。
よし、気のせいだ、そういうことにしておこう。
何か言われてもまた人違いを装えばなんとかなる。
この間だって、知らない人呼ばわりするとあっさりと身を引いてくれたではないか。
それに、何を目的にどこにでもいる一般女子中学生をつけ狙うというのだ。
ただのストーカーなら警察に突き出すぞこの野郎。
は前を向くと再び歩き始めた。
先程まで感じていた視線も今はなくなっている。
そうだ、やはり気のせいだったのだ。
急に病室が変わった夕香の部屋を探すために広い病院内を彷徨ったり、そのおかげでやや遠くなってしまった半田たちの病室を行き来していたから、疲れてしまったのだ。
シャドウって誰よ俺だあんたは闇野くんでしょと生産性のない会話をして、杉森に呆れられたのも原因のひとつかもしれない。
あの人にはいつも呆れられているように感じるが、それほど闇野との会話は噛み合っていないのだろうか。
そこそこ噛み合ってきたからダークトルネードの威力も上がってきたと勝手に思っているのだが。
ああ、入院している間にダーリンが他の女病室に呼んでたと喚き散らし一方的に愚痴ってきた友人も、疲労原因の1つに確実に入るだろう。
何がダーリンだ、海外ドラマじゃあるまいに。
面白そうだから今度半田をダーリンと呼んでみようか。
奴の驚いた顔が見てみたい。
ダーリンって誰だよやめろよそういう新手の苛めだとか叫びそうだ。


退院も秒読みとなり体はほとんど治った半田は、入院当時に比べると顔面筋肉の稼動範囲が広くなっていた。
良くも悪くも、今は表情が豊かになった。
明るい表情を浮かべれば、悩んでいるような表情も浮かべる。
先日の半田の問いかけから察するに、どうやら彼は新旧『雷門』イレブンの変化に苦悩しているらしい。
半田が悩んでいるということは即ち、彼と時と同じくして入院したマックスたちも似たような思いを抱いているということだ。
仲間なのかなと尋ねてくるなど、今の雷門イレブンに対する不安感はよほど大きいようだ。
ユニフォームを流用するのは予算の都合上仕方がないとはいえ、せめて雷門という名を変えてはくれないだろうか。
半分、いや、転入組も除くと初期部員が円堂と壁山しかいない今のチームにはもう、雷門という名は似合わない。
いつの間にやら自分の中では勝手に呼称が定着した宇宙人バスターズでもいいから、とにかく無意味にかつ無意識のうちに半田たちを刺激するのはやめていただきたい。
だいたい、解説をやっているあれがいけないのだ。
あれがテレビ中継の場でもやたらと雷門中だの雷門イレブンと連呼するから、世の中に円堂たち宇宙人バスターチームが雷門中だと浸透してしまったのだ。
メディアの力は強大で、一度暗示にかかるとそれを解くには莫大な時間と労力がかかるのだから、迂闊な事は口にしてほしくない。
本当に細やかな気配りができない連中である。
気遣いができない男は今どきモテないのだと教えてやりたい。
今はサッカーボールが恋人だとかほざくのだろうが、いずれは彼女の1人や2人は欲しくなる時期が来るのだ。
憧れの子が応援に来るからいいところを見せようとして試合で奮闘しても、ひとたびフィールドから出て口を開くと幻滅させるようなら駄目なのだ。
そういう男は我が幼なじみだけで充分である。





「なーんか修也のこと考えると苛々してきた。修也まさか、私のお守り失くしたり傷つけたりしてないでしょうね・・・」




 失くしたら絶交、傷つけたら説教だとは渡す時にきちんと話している。
人から貰った物は、たとえ贈り主がどんな人だったか思い出せなくなっても大切にしたいのだ。
それがくれた人に対する礼儀だ。
だからネックレスだって毎日つけている。
クマのぬいぐるみでなくて良かったと思うことしばしばである。




「どうせもらうならクマよりうさぎさんかな!」



 もしも今度また何かくれる機会があってそれがぬいぐるみならば、クマではなくてうさぎをねだることにしよう。
うさぎなら色のミスは起こりにくいので、選ぶ方も選びやすいだろう。
なんとハードルの低いおねだりだろうか、優しすぎる性格に自分で自分を褒めてしまいそうだ。
は自宅へ帰り着くと、ネックレスを机の上へ投げ落とした。







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